会話タグは便利

病棟のローカルルールで、たとえば急変のコールだったら「急変です」とか、指示の確認をしたいだけなら「確認です」とか、看護師さん達に、会話を切り出す前に、これから話す内容の「タグ」を宣言してもらうようにしているんだけれど、これだけのことで、ずいぶん快適になる。

丁寧な言葉は疲れる

今はたぶん、日本中どこの病院に行っても、病棟と医師との通信手段は院内PHSだと思うけれど、看護師さん達はたぶん、「丁寧な会話を心がけましょう」なんて教わっているものだから、電話を取って、必ず最初に、挨拶が始まる。

会話の内容は、単なる確認であったり、書類の書き忘れを指摘するためであったり、あるいは患者さんが今そこで急変していて、今すぐ来てほしいという内容であったり、病院で交わされる会話には、さまざまな重要度があるのだけれど、最初は必ず挨拶。

自分たちの側は、これから始まる会話が、どんな重要度なのか、電話からそれを推し量る術がない。分からない状況で、「お忙しい中失礼します。○○病棟看護師の○○です。今お話ししても大丈夫ですか?」みたいな挨拶は、恐らくこういうのはどこの病院でも定番だと思うんだけれど、挨拶を聞くための数秒間が、不安でしょうがない。

丁寧な挨拶というのは、実際には何も語っていないに等しい。

自分たちにとって、病院内での電話というのは、最悪の場合患者さんの急変を意味するものだから、電話を取るときには、やっぱり最悪を想定する。丁寧な挨拶が看護師さんの側から発信されているその間、自分たちはその次を身構えていないといけないから、これがとても疲れる。

要点をまとめるのは難しい

言葉は丁寧に、分かりやすく、なるべく客観的に伝えましょうなんてやりかたが、恐らくは会話の基本として、あらゆる業界で教えられているんだろうけれど、丁寧さとか、客観性は、しばしば分かりやすさを遠ざけてしまう。

「分かりやすく客観的に」を目指した結果として、病院ではしばしば、患者さんの状態は、血圧や脈拍に置き換えられる。

看護師さんの「予感」とか、「お告げ」というのはしばしば正しくて、「変だから診に来て下さい」が、伝えてほしいことの全てであるはずなのに、予感はしばしば、分かりやすい数字に置き換えられて、印象は削除されてしまう。患者さんの状態は明らかにおかしくなっているのに、血圧や脈拍が一見すると正常で、「要するに今すぐ来てくれ」という、ただそれだけの情報が自分たちの側に伝わるために、ずいぶん時間がかかってしまう。

話が長い割に、何を言いたいのか伝わりにくい人というのが、どうしてもいる。

会話が分かりにくい人が、分かりやすくしようとして、客観性とか、丁寧さを磨いてしまうと、会話はたいてい、もっと分かりにくくなってしまう。こういう人に、「もっと短く」とか、「要点だけ教えて下さい」とかお願いしても、やっぱり厳しい。要点を伝えるためには、その人が問題の中心を理解していることがあって、電話の問い合わせは、そもそもたぶん、問題がどこにあるのか分からないから行われるのだし。

タグは便利

病棟の、自分だけのローカルルールなんだけれど、電話をかけるときに、これから話す内容の「タグ」みたいなものを宣言してくれるようにお願いしておくと、案外上手く物事が回る。タグはたとえば、「急変です」「報告だけです」「指示の確認です」「書類を書いてもらいたいのですが」とか。

最初にこういう宣言をする、というルールにするだけで、電話を受ける側の覚悟が決まるから、挨拶を聞く数秒間が、ずいぶん楽になる。重要度の高いタグ、たとえば「急変です」みたいなタグなら、それを聞いたその時点で、医師の行動は「病棟に行くこと」が全てになるから、タグを聞いたら、もうそのあとの内容は、聞かなくても行動できたりする。

タグというルールを導入すると、電話をかける側もまた、自分がこれから話す内容は、果たしてどのタグに該当するものなのか、考える必要が発生する。タグが決まれば、電話をかける相手に行ってほしいことだとか、必要な情報というものが、ある程度自然に決まるから、会話の要点が定まりやすいような気がする。

自分がこれから話す内容を、話す前に理解しておくことは、けっこう難しい。言葉というのは、声に出して初めて理解できるところがあって、「会話しながら考える」人の会話は、それでもやっぱり伝わりにくい。理解というのは、やり方を教わらないと難しくて、「もっと要領よく」とか、「要点だけ述べて下さい」みたいに檄を飛ばしても、問題は解決しない。

「タグ」はごく簡単なルールの割に、電話を受ける側の快適さは、けっこう上がる。こういうのもたぶん、理解のしかた、考えかたの、一つのやりかたになっているのだろうと思う。