制服が感情を作り出す

楳図かずおのSF短編で、どこだかすごい重力の惑星を探査するために、人体を改造する話があった。

探査に参加するのは男女の科学者で、主人公の青年は、先に改造された女性学者が怪物にしか見えない容貌になってるのを見て絶望していた。プロジェクトはそれでも進んで、主人公の外見も、どんどん怪物へと変わってしまう。

最終的に、主人公も全身がアメーバみたいな生き物に変態して、女性学者と同じ環境で過ごせるようになる。「人類」視点から見て、両方とも怪物にしか見えない者同士、初めて隔壁が開いて対面して、主人公が相対した怪物に向かって、「私はあなたを美しいと思う」とつぶやくいていた。

私はあなたと違う

第9地区」という映画も、外観の断絶がテーマの一つだったし、「ヘルシング」の少佐も、「私はあなたとは違う」ということが、闘争のはじまりであり、原動力なのだなんて看破していた。

お互い分かりあうためには、お互いに地続きであるということ、どこかに同じを見出すことが、とても大切なことなのだと思う。

逆説的だけれど、ある種の断絶は、今度はあきらめを引き出したり、恐れを引き出したり、恐れが転じて権威に結びついたりする。断絶は争いの原因になるけれど、断絶を上手に運用できる人は、それを強力な武器として利用できる。

中世の首切り職人は、汚らしい仕事として忌み嫌われてた一方で、彼らが身につけてた衣服なんかがお守りとして珍重されたり、首切り職人が飲み屋さんに入ると安くしてもらえたり、当時の人々の中で、首切り職人というのは、ある種の権威を持っていたんだという。

権威と軽蔑の根は同じ

「権威」と「軽蔑」という感情は、一見反対なようでいて、お互いそれほど遠いものではないのだろうと思う。権威と軽蔑と、そうした感情を生む根っこにあるのは価値観の断絶であって、断絶した相手に対する態度というのは、お互いの関係の中で、極端から極端へと大きく変化する。

今の時代にあって、自分たち医療従事者は、白衣を着ないほうがいいのかもしれない。特に地続き感が武器になるような診療科では、実際に白衣を着ない人も増えている。

昔の集中治療室なんかがそれに近かったけれど、「病院は基本的に不潔ですから」なんて理屈を付けて、お見舞いに来る家族の方に、例外なく白衣の着用をお願いすると、面白いことがおこりそうな気がする。

今の病院には、病衣を着た患者さんと、患者さんのご家族と、白衣を着た医療従事者とがいる。お互いに地続きな部分と、断絶した部分とを持っていて、それが感情の地形を作り出す。

患者さん以外の、全ての登場人物が白衣を着ると、果たして患者さんのご家族は、患者さん本人と、同じ白衣を着た医師と、もしかしたら「地続き」を見出す方向が変化する。少なくともたぶん、病院という社会での感情地形は、白衣という道具を導入すると、大きく変わる。想像でしかないけれど、患者さん以外の全員が白衣を着てしまうと、ご家族の中には、家族じゃなくて、むしろ医療者の側に立つ人が増えるんじゃないかと思う。

入院した患者さんは、病衣という制服を着ることで、病人として振る舞うようになる。むしろ高齢の患者さんなんかは、病衣を着ないで、あえて普段着ている私服をそのまま着てもらって過ごしたほうが、入院によるストレスが少しでも減るんじゃないかという気がする。

制服はあったほうがいい

どんな職業にも、あるいは立場にも「制服」に相当するものがあって、病院に来る人はたいてい、どこかで普段の制服みたいなものを引きずっている。

面談するときに、上下ジャージとか、一見パジャマみたいな格好で来院するご家族というのがまれにいて、こういう人たちとは、会話の間合いが取りにくい。その人なりのドレスコードみたいなものがあやふやな人は、逆に白衣というものが、その人から見てどう思われているのか全然分からないから、会話をどう進めればいいのか、方針が決められない。

個人的には、中学高校のどこかの時期は、やはり制服があったほうがいいんじゃないかと思っている。

若いある時期に、制服という制約を押しつけられることで、初めてたぶん、ドレスコードの地続きと、断絶と、そんな感情を体験できて、そのことにはたぶん、意味がある。

生徒手帳の音読を毎日強制したところで、面倒くさいなと反発されこそすれ、学生の行動は変わらない。ところがとりあえず制服というものを押しつけられた学生は、その瞬間から「彼は学生だ」という、社会での役割みたいなものから逃げられなる。「学生の振るまい」を周囲から強制されて、振る舞ってみて、それから初めて、それに反抗しようとか、これは良くないとか、そういう感情が生まれるんだと思う。

押しつけという体験がないと、「これはよくない」の、「これ」という原点が得られない。原点なんてないほうが自由だけれど、そういうものを押しつけられないと、反抗しようにも、どう反抗していいのか分からなくなるんだと思う。原点なしで反抗するのは、無重力空間に放り出された状態で歩こうとするようなものだから、管理するほうは、そのほうが楽かもしれないんだけれど。

制服が生み出す効果というものがあって、外観は、否応なしにその人の行動を制約するし、上手に使えればお互いの関係が上手くいく。

自由を知るために、自由にやるために、いろんな不自由を体験しておくことには、きっと大きな意味があると思う。