たくさんの人としゃべるための道具

ネット上で「本を買ったよ」という声をかけてもらったときには、できる範囲で、それに反応していこうなんて考えてる。

自分が今回出した本というのは読者が限定されているし、インターネット以外の告知をほとんど行っていないから、それが最大限売れたところで、その数はたぶん、頑張れば個人の範囲でどうにか手に負える。ネットに散らばった声を集めたり、話を聞かせていただいたり、あるいはこちらからお礼を言わせてもらったり、1000人ぐらいまでだったらたぶん、どうにかなる。

Twitter は便利

Twitter という道具は、言ってしまえば電子メールの劣化コピーみたいなもので、短いメッセージを、宛先をくっつけて誰かに送ったり、あるいは宛先なしで、ネットに公開したりが自由にできる、ただそれだけの道具なんだけれど、「1000人ぐらいまでの不特定多数の人と会話がしたい」なんて考えたときに、電子メールとのわずかな差というものが、決定的な差として効いてくる。

たとえば電子メールを使ってとりあえず1000通、お礼のメールを書こうなんて思ったら、大変な仕事量になる。

メールを打つには相手のアドレスを知らないといけないし、アドレスのリストを作るのがまず手間になる。メールを打つためには、そのアドレスをコピーしたり、最低限クリックして、宛先欄にアドレスを転記しないといけない。メールはやっぱり手紙の延長だから、宛先を入れて、件名にも何かを書いて、それでようやく、本文を書くことができる。

今はこういう作業を全部自動化するソフトもあるのだろうし、メーリングリストというのはこういうサービスなのだろうけれど、今度は本文まで含めて、全部自動化されてしまう。これはダイレクトメールであって、会話をしている感覚とは、またずいぶん違う。メーリングリストは他の人の反応を見ることもできないだろうから、手紙を書く側は、同じことを何回も書かないといけない。

これがTwitter だと、検索をして、そこに出てきた人のIDをクリックしたら、もう通信ができる。住所録を用意する必要もないし、件名を入れる必要もなく、いきなり本文が書けて、それで十分に用件が伝わる。

電子メールとTwitter と、減らせる手間というのは、せいぜい1クリックと1行程度で、電子メールに満足している人から見れば、それは誤差にしか見えないかもしれない。Twitter はよく落ちて、それは電子メールの劣化コピーにすら見えるだろうけれど、これから1000人ぐらいの人と会話をしようなんて考えたときには、これほどありがたいインフラはちょっと見当たらない。誤差に等しいわずかな差というものが、特定の需要を抱えると、しばしば大きな意味を持つ。

新しいメディアには、たぶん見えかたの非対称性みたいなものが存在する。今それで間に合っている人から見ると、新しいものというのはたいてい、今あるものの再発明か、劣化コピーに見える。今あるものでは足りなかった人にとっては、新しいメディアが実現した、ほんの数クリック程度の改良が、決定的な差に見える。

電子出版のこと

買って下さった方々に、一方的に作者の声を送りつけるようなやりかたというのは、実際のところ、どこまで意味があるのかは分からない。

こういうのは、やり始めたらきりがないし、数万部を売り上げるプロの人たちがこれをはじめたら、もう本を書く時間がなくなってしまうけれど、たぶん上限1000人ぐらいまでだったなら、個人の気合いでどうにかなる。

「こういうやりかたは、販売部数が少なく、かつ、ネットをホームグラウンドとしているという条件でのみ、成立する戦略ですね」という意見を某所でいただいたのだけれど、逆に言うとこういう場所で何かを小さく販売しようなんて考えたときには、読者と作者とが直接会話するというやりかたが、差別化をはかるための手段として、考えられてもいいんじゃないかと思う。

電子出版の時代が将来的に来るとして、出版それ自体のコストは下がって、たぶん電子書籍で何かを発信する人の数は増えていく。

電子出版はどこにいてもその場で買える。お風呂の中で、携帯用の端末で、誰かと会話をしながら話題になった本がそこにあったとして、興味を持って「自分もこの本を買ったよ」なんて宣言したら、即座に作者の人から「ありがとうございます」なんて返事が来るようになる。そういうのがこれから当たり前になる。

こういうのを下らないと思う人は、たぶん今までの書籍メディアで十分に間に合っている人なのだろうし、これから電子出版で何かを販売しようなんて考えている人は、世の中のどこかにいる競合者は、たぶん1万人ぐらいの読者だったら、全員にお礼のメッセージを送ることぐらい当たり前に覚悟をしているだろうから、そういう人たちを相手に互していけるだけの準備をしておかないといけない。

人に使える時間は有限だから、通信にも上限があるのだろうけれど、こういう流れは、そんなに悪いことではないような気がする。