問題を先送りする医学

休日当直のアルバイトに来て下さっている、大学の救急医学教室の先生が本当に熱心で、休日でも、夜中でも、自分にできる検査はすべてやって下さって、あとから引き継ぐ側は大いに助かる。でもその一方で、地域にある基幹病院の専門家が、こうした熱意みなぎる診療スタイルに邁進すると、やっぱり後続は潰れるんだろうなとも思う。

専門家とは何か

いろんな科が覇を競う基幹病院にあって、「専門家である」ということは、やっぱり「他科の知らない何かを知っている」ということなのだと思う。

救急の先生がたは、何でもできる。救急車で来た患者さんは全部診療するし、内科の診察はもちろん、簡単な手術までこなせる人もいる。たいていの問題はその場で解決してしまうし、みんな熱心で、よく勉強している。

こういうのはたしかに頭が下がるんだけれど、じゃあ救急医学教室の先生がたが、他科の専門家が知らない何かを知っているのか、あるいは他科の人間がぜひとも知りたい何かの技術を、救急医学教室に行けば学べるのかといえば、やっぱり難しいような気がする。

救急の人たちは熱心だけれど、熱意で戦うかぎり、どれだけ頑張ったところで、「熱心ですね」といわれこそすれ、救急部が専門家であるという受け止められかたには、なかなか到達できないのだと思う。

熱意は競合殺しの武器

十分なマンパワーと設備があって、そこに熱意が加わると、真夜中でも緊急手術に対応できるとか、どんな問題でもその場で解決できるとか、恐らくはそういうやりかたに、救急という場所が一歩近づく。ところが業界のトップに立つ人たちがそれをやってしまうと、基幹病院以外の施設は、もう同じ体制を維持することなんてできなくなってしまう。

24時間体制の救急対応を売りにしている某グループが昔、神奈川県に初めて病院を作ったとき、その地域で開業していた17施設が倒産したんだという。

頂点に立つ病院が熱意を売りに頑張ると、他の施設で何か問題に突き当たったとき、「その基幹病院に患者さんを搬送する」という選択枝以外に、地域から正解がなくなってしまう。こうなるともう、不十分な設備で救急を受けること自体が罪悪だから、受けないこと、診ないことが「患者さんのため」になって、競合はみんな撤退してしまう。

熱意というのは、いろんな施設の救急外来が覇を競った昔のやりかたであって、人が減ってしまった現在、トップグループの人たちが、業界を育てていこうと考えたときには、基幹病院が熱意で頑張るほどに、地域の救急体制は崩れていってしまうんだろうと思う。

問題を先送りしてほしい

基幹病院の救急部みたいな場所、たいていの検査や治療が、真夜中でもすぐに動かせるような場所だからこそ、救急部の先生がたには、もっと積極的に、「問題の先送り」を試みてほしいなと思う。

今できる治療を、あえて翌朝まで待ってみる、今できる検査をあえて先送りして、患者さんがそれでも大丈夫なのか、十分な設備と人手、何かトラブルが起きたときに、それに即応できる体制が常に整っている施設でないと、こういうことは確かめられない。熱意というものをまじめに使うなら、24時間緊急手術に対応できる体制を整えたり、どんなに眠いときでも頑張って検査を行う方向に行くのだろうけれど、「できることをあえて今しない」ことにも、たぶんそれ以上にエネルギーがいる。

患者さんが抱えたいろんな問題を、その場での解決を試みないで、十分に対応できる状況を整えた上で、あえて翌朝まで先送りすることで、初めてそこで、「待ったらどうなるのか」、「この状況で待っていいのか」という、他科では得ることができなかった、救急医学教室ならではの知識が発生する。これは他科では得られない、ぜひとも学びたい知見になりうる。

緊急事態にそもそも対応できない病院では、まず「待つ」ことができない。待ったらどうなるのか分からないし、分からないから、大きな施設に患者さんをお願いして、その場で何とかしてもらうことしかできない。大きな施設が「何でもその場で」を向上させるほどに、そこに送ることが正解になって、小さな施設にできることの割合は減っていく。結果としてたぶん、小さな施設の「優秀さ」というものは、「大きな施設に紹介できること」で決まってしまうから、トップが頑張ると、トップ以外の施設は、トップから見て、急速に無能化していくことになる。

大きな施設が、今できることをあえて今やらないで待つことで、小さな施設はその経験を学んで、同じ「待つ」を再現できる。

後ろ向きなんだけれど、大きな施設、十分なマンパワーを持ったところが、熱意を持って後ろ向きになってみせると、たぶん業界が育つんだと思う。