経験の伝達には触媒が必要

ベテランの先生がたが持っている知識だとか、経験を若手に伝えるためには、伝えるベテランと、学ぶ若手と、もう1人、その場の道化役、経験伝達の触媒役としての、中間層が必要なのだと思う。

あってはならない話が聞きたい

症例検討会みたいな場所での演者は、若い先生方でなく、できればベテランの先生がたにやってもらったほうが、質疑応答がもっと面白くなるような気がする。

比較的珍しい症例だとか、典型的でない経過をたどった疾患が、身体所見だとか、特定の検査で発見されて、正しい病名に行き当たって、教科書的な治療経過と、教科書的な知識の考察が行われるのが典型的な症例検討会のありかただけれど、プレゼンテーションが若い人だと、正しいことを追認しないといけない空気があって、やりにくい。本当はそういう場所で、みんなで「もしも」の話ができたら、病気に対する理解が深まるんじゃないかと思う。

症例が呈示されたあとの質疑応答で、もしも身体所見をとったときに特定の所見を見落としていたら、その患者さんの症状はどうなっていたのか、あるいはそういう見逃し可能性を折り込んだ上で、その患者さんの症状に対して、どういう検査メニューをあらかじめ用意しておけば、見逃しを回避する役に立つのか。それは果たして、そうした見逃しの割合に、コスト的に引き合うものなのか。見逃して患者さんの具合が悪くなったとして、そうなったときに、どういうことを行えば、そこから再び、患者さんを治癒の流れに乗せられるのか。そういうことを、その場に居合わせたみんなで議論できたら、きっと勉強になるんだけれど、こういうのは「あってはならない話」だから、なかなか難しい。

間違えた人に習いたい

専門家というのは、その分野を深く勉強した人でなくて、その分野でたくさんの間違えを経験して、それを乗り越えてきた人にこそ、与えられる言葉なのだと思う。

専門家の言語定義を「たくさん間違えたことのある人」であるとした上で、専門家の人たちには、その分野の正しいやりかたでなく、むしろ間違えるためのやりかた、典型的な間違えかただとか、それを回避する方法、間違えて、状況が泥沼化したとき、そこから立ち上がって、元の正しい道に戻るやりかたを教えてほしい。

専門家という言葉は、今はしばしば、「道の真ん中を、極めて正しく歩ける人」に使われることがある。専門家でない人でも、1cm 程度の誤差で歩ける道路の真ん中を、その専門家は1mm の誤差も許すことなく、まっすぐ歩けるような。まっすぐに価値があることも多いのだろうけれど、「転ばず歩ければいい」人にとっては、やっぱり厳密に正しく歩ける人よりも、むしろ転ばない歩きかたを知っている人、転びそうになっても回復するやりかたを知っている人に、そういうのを習いたいなと思う。

昔は耳学問の機会が多かった。ベテランの先生がたから、「俺の経験では」みたいな言葉から始まる昔話を通じて、転んでも泣かないためのやりかたを教えてもらった。

1990年代の医療系メーリングリストでは、個人の経験に基づいた治療手技だとか、「うちの施設では」から始まるお話がたくさんあって、それはもちろん、エビデンスが積まれる遙か以前の、技術がまだ、世の中に出てきたばかりの、みんなが手探りの時代ならではの会話なのだけれど、あれが面白くて、勉強になって、それを読むことで、何となく、急変に対する心の余裕みたいなのが生まれた。

技術が進歩して、そういうメディアでは、論文の交換会というか、「その疾患にはこういうエビデンスが」みたいなやりとりが増えた。「私の経験」よりも、「こういう論文が」のほうが、たしかに高級なんだし、議論が論文ベースになること自体は、基本的には正しいことなんだけれど、エビデンスで固めた会話を読んで、未知状況に対する心の余裕が生まれるかといえば、難しいような気がする。

若手をいさめるカンファレンスがいいと思う

「きれいな世の中にあってはならない話」というか、失敗するためのやりかた、失敗から這い上がるためのやりかたというのは、公開された議論の場で聞くのは難しくて、研修医の勉強会みたいな場所で、ベテランから聞くことも、また難しい。「そういうときはこうするんだよ」みたいな知識の伝達は、自分みたいな30代後半ぐらいの人間が、今50代後半ぐらいのベテランとおしゃべりする機会があって、やっとぽつぽつと出てくる気がする。研修医ではこういう話を引き出すのは無理で、えらい人同士の対談でもまた、こういう失敗談は出てこない。

学びには、「怖さが分からない段階」と、「必要以上に怖がる段階」とがあって、学んで恐怖して体験して、実像が理解できて、ようやくベテランになれる。怖さが分からない人には質問ができないし、実像を理解できたベテランは、しばしば怖がっていた頃の自分を覚えていないから、恐怖を覚える世代が本当に必要な情報は、伝わらない。

経験知を伝える場として、上の先生をゲストスピーカーにお招きして、その人に「怖がる道化役をいさめてもらう」形式で、講義を行うと面白いような気がする。ベテランの声を直接聞くのではなくて、インタビューというか、恐怖を想像できるだけの経験を積んだ、インタビュー担当の15年目ぐらいの医師を別に用意して、中堅どころがまずは恐怖を語って、それを聞いたベテランが、中堅の恐怖を鎮めて、回避の方法を語るような。

知識の受け渡しを行うためには中間層が必要で、中間が怖がってみせることで、若手は初めて、「これは怖いのだ」と理解できるし、ベテランがそれをなだめて、今度は若手は、「そんなに怖がらなくても状況は回避できるのだ」ということを学べる。

事前の打ち合わせというか、準備が大変かもしれないけれど、きっと役に立つ経験が得られると思う。