本が出ることになりました

研修医時代を過ごした病院には、何年も使われ続けてボロボロで、外科の若手が練習がてら、人工血管や人工硬膜で破れた場所にパッチを当てた、 なんだか異様な見た目のソファーがあって、勤務時間を終えた上の先生がたが集まっては、毎日遅くまで、患者さんのこと、病気のこと、いろんなことを語りあっていました。

夜間の救急外来は1年生の仕事で、救急外来で診断に困った患者さんが来たときには、実際問題「困る」のは日常であったのですが、ソファーのあるその場所に、資料を持って駆け込むと、そこに集った先生がたから、怒られながら、突っ込まれながら、いろんな科から、たくさんのアドバイスがもらえたものです。

現場の問題は、しばしば複数の診療科にまたがっていることがあって、ある科を回っている研修医にとっては深刻な問題が、別の科の先生にとっては常識になっていたりすることも多くて、いろんな科の医師が集まったソファーセットは、専門科別の講義では習うことができない、貴重な知識を学ぶ場所になっていました。

病院はそのうち増築されて、スタッフも増え、ソファーセットも新しくなりました。レジデントはレジデントの、スタッフはスタッフの、それぞれ専用の医局がもらえるようになり、救急外来も整備され、自分たちが怒られる側から教える側になった頃には、夜中の医局で研修医が突っ込まれる声も珍しくなりました。

ボロボロのソファーセットと共に、きれいになった医局からは、やっぱり何か、大切なものが失われたように思えました。

それは忙しい業務のなかで、未熟な研修医が、それでも何とか事故を起こさずに業務を回すための技術であったり、 「こういうときにはこう考えるとうまくいく」といった、教科書よりもむしろ経験に基づいたやりかたであったり、 正しい医療の時代にはそぐわない、古いソファーセットで教わった知識は、それでも捨て去るにはあまりに惜しく、自分にとって大切な財産でした。

大学病院に職場が移り、そこでまた、いろんな人と知りあいになりました。現場を回すのはやっぱりどこでも大変で、みんなやっぱり、ポケットにはメモ帳を忍ばせていて、教科書には書かれていない、現場で役に立つ知識のメモは膨らみました。

いろいろあって、本当にいろんなことが重なって、原稿をオーム社 様に拾っていただくことになり、 レジデント初期研修用資料 内科診療ヒントブック という本として、出版することになりました。

症状別の診療マニュアルというのは、書く人が「内科全部を隅々まで理解している」ということが大前提で、この本はだから、中の人にそんな能力がない以上、内容は正直不完全で、それぞれの専門を持った先生がたから見れば、まだまだいくらでも、改良すべき、訂正すべき部分があるのだろうと思います。

それでもこういう形式の本、症状別に分類された、考えかたの記載でなく、具体的な動きかたを中心に記載を行ったマニュアル本というものに居場所ができて、「こういうものなら簡単だよ」とか、「こんなのでいいなら、もっといくらでも上等なの作れるよ」とか、もっと有能な、ふさわしい知識を持った先生がたを呼び込むことができるのなら、不完全な内容であっても、この本を世に出す意味というものもあるのではないかと考えています。

機会がありましたら、ぜひとも手にとっていただければ幸いです。