責任転嫁の技術

正しい医療を現場に広めたかったのなら、正しい医療の講義をするよりも、むしろ間違ったやりかたを分かりやすく解説して、それを笑いものにしたほうが、正しいやりかたが広まりやすい。同じようにたぶん、責任ある態度を現場に広めたかったのなら、責任転嫁の技術を分かりやすく解説したものを、職場に貼りだしておけばいいんだと思う。

上司の三つの言葉。「俺は聞いてない」「言ったはずだ」「あとは、任せた」 みたいな標語は身も蓋もないけれど、これを職場の壁に貼りだしておくと、上司はたぶん、責任ある態度を取らざるを得なくなる。

転院は大変

休みの日、緊急の開胸手術が必要な、けっこう若い患者さんが運ばれてきて、転院先を探すのに、7件の施設から、「無理です」なんて断りの返事をいただいた。

休日に人工心肺を回せる病院は少ないし、今の時代、胸部外科医を複数抱えている病院が、そもそも少ない。病診連携の人たちを介した、本来の交渉ルートでは、もう県内に当たれる病院が無くなってしまって、このときは結局、病院長に相談した。病院長の同窓生名簿を経由して、トップ同士の話しあいが行われて、患者さんの行き先がようやく決まった。幸い何事も起きなかったけれど、待っているのは怖かった。

病気にはたぶん、「重症度」と「重責度」というパラメーターがあって、重症な疾患は、必ずしも重責ではなかったり、逆に軽症と判断できるような患者さんであっても、主治医にのしかかってくる責任が重大である場合もあって、両者は必ずしも相関しない。

当たりたくない病気のこと

「できれば当たりたくない病気」というものが、たぶんいくつかあって、教科書的には誰もが知っていて、それは手術なんかを考えなくてもいい、「点滴して寝ていれば治せる」病気なんだけれど、そのくせ一定の確率で急変があって、急変したら、たいてい誰にも助けられない。頭側から順番に、ウィルス性の脳炎、ウィルス性の肺炎、下行脚の解離性大動脈瘤、恐らくは急性心膜炎、若い人の進行する肝炎あたりがそうなんだと思うけれど、こういう患者さんは滅多に来ない代わり、患者さんが来て、病棟で受けてしまうと、ずいぶん大変な思いをすることになる。

急変の可能性があるものだから、こういう病気はやっぱり大病院で管理してもらったほうがいいんだけれど、一定の確率で急変があるから、診る側の責任は重い。患者さんをお願いする側も、受ける側も、それを分かっているものだから、「うちだとちょっと難しいですね」だとか、「その疾患であれば、点滴をしていれば大丈夫ですから、当院から治療メニューをお送りしますが?」とか、お互い必死で、お互い「分かっている」んだけれど、なんだか嫌がらせを受けているようなやりとりになってしまう。

そこから先というのは、これはもう、「腹をくくって自分の施設で患者さんを診る」か、「救急の患者さんは全く受けないことにする」か、どちらかになってしまう。前者をやるとストレスで主治医が潰れるし、後者を徹底すると、患者さんがいなくなって、病院が潰れる。「表ルート」だと絶対に上手くいかない、こういうときのために、「病院長の同窓生名簿」というものがあって、そういうルートを使って横車を押すことで、今はどうにかなっているんだけれど、あの世代がいなくなる10 年後、こういうことはますます難しくなる。

責任転嫁を技術化してほしい

自分の施設では難しい患者さんに行き当たって、もっと設備の整った施設に、正規ルートでお願いして、「満床です」とか「2週間後にどうぞ」とか、「おととい来やがれ」をちょっと丁寧にした返事を受けることが、ずいぶん増えた。

病診連携という制度ができて、それを専業にしているスタッフが、どこの施設にも常駐するようになって、制度は整備されたんだけれど、橋は腐った。悪性腫瘍の患者さんだとか、心筋梗塞の患者さんだとか、重症度と、重積度とが一致した患者さんなら、「ここ」と名指しされた施設があって、まだしも取ってくれるのだけれど。

治療設備がないというよりも、その病気の転機に対して、自分の施設では責任を負いきれないという病気について、今はなんというか、受けたらもう移動ができない。よしんばご家族が転院を希望しても、病院どうしの話しあいでは、しばしばそれがかなわない。

正しいやりかたでは転院の難しい患者さんを、それでもその人にとって望ましい施設にお願いするために必要なのは、結局のところ、同窓会名簿と携帯電話になる。近隣施設の病院長だとか、部長先生の専門分野をあらかじめ把握しておいて、そういう人たちに失礼のない連絡ルートをあらかじめ準備しておいて、直接電話をつないでもらって、泣き言言って、頭を下げて、無理を言って、患者さんを取ってもらう。

病診連携の人たちにしてみれば、現場の頭ごなしに飛び道具を使われるようなものだし、病院として「難しい」と返事した患者さんが、なぜか翌日に転院搬送されてくるんだから、患者さんを受ける側は、きっとすごく理不尽な思いをしているんだろうと思う。

責任転嫁の技術なんて下らないし、たとえば医療の技量を上げることに比べたら、圧倒的につまらないものなんだけれど、下らない、つまらないものだからこそ、こういうものをきっちりやっておかないと、下らない何かに喰われて、身動きができなくなるときが来る。病院間ネットワークみたいな、電子化の技術がどれだけ進んでも、このへんはきっと変わらない。

「責任転嫁の技術」なんてものを、だからこそ文章化して、みんなで共有しないといけないんだと思う。

転院先を探して主治医がうろたえるような疾患だとか、状況というのはたぶんいくつかに限定される。ある病院に赴任した医師が真っ先にしなくてはいけないのは、そうしたうろたえ状況リストに対応できる能力を持った施設が、近隣ではどこにあって、その施設を管理している病院長だとか、部長は誰で、その人に失礼の無いよう、直接連絡を取るためにはどういう手続きを踏めばいいのか、それを把握することなんだと思うし、そんなリストを作って共有しておくことで、恐らくは初めて、現場の医師は、政治の問題から自由になれる。

このまま行くと、もう「全部受けない」が正解になって、一度そうなると、もう後戻りはできないような気がする。