マスターアップしました

2009病棟ガイド の名前で昨年から製作を続けていたマニュアル本が一応完成し、データが印刷所に納品されることになりました。

メモ書きの束に過ぎなかった原稿をまとめるのは大変で、原稿をオーム社様に持ち込んだのが昨年12月、その頃から原稿は、Subversion を用いたバージョン管理が導入されるようになりましたが、上の先生がたに査読をお願いしたり、編集部の方にレイアウトを直していただいたり、訂正箇所は膨大で、最終的に、原稿のリビジョンは120に及びました。

結局この本はなんなのかと言えば、「平凡なやりかたの劣化コピーを簡便にまとめたもの」である、ということになるのだと思います。

世の中には正しい知識、最新の知識、それに基づいた正しいやりかたがあって、それをまとめた教科書を読み、理解することができれば、正しい知識を身につけることができます。いい教科書がたくさんある現状で、それでも「劣った教科書」を出す意味というものがあって、恐らくそれは、「間違った意見があって、初めて正しいものがなんなのかが見えてくることがある」ということなんじゃないかと思います。

正解というのは状況ごとに修正を余儀なくされて、正解を知っている人がそこに居合わせたからと言って、そのことは必ずしも、その人の口から正解が出てくることを意味しません。何もないところから正解を紡ぐのはけっこう難しくて、一方で、誰の目から見ても劣った意見というものは、その人の口から正解を導くための、触媒として働くことがしばしばあります。

「研修に役立つ本」は、たくさん市販されています。ところが「上司から上手に叱られるための本」というものは少なくて、教育というものが、上司から研修医への情報伝達であるならば、「ほめられるための本」がたくさん出版されている中、「怒られるための本」というものにも、それが役に立つ機会がどこかにあるような気がしています。

馬鹿なやりかたを知らないかぎり、正しいやりかたの正しさ、正しいことの価値というものは、しばしば見えて来ません。

自分が今まで収集してきた、古くて頭の悪いやりかた、劣ったやりかた、効率の悪さを覚悟する代わり、それを行使する人に能力を要求しない、取りこぼしの少ないやりかたというものは、対比の対象として、「馬鹿なやりかた」の典型として、それはそれで意味があるんじゃないかと思うのです。

「この本の作者馬鹿だよね」なんて、臨床の現場にあって、上級生と研修医とが、お互いのコミュニケーションを円滑に行う機会が増やせたのなら、この本の意図は成功したのではないかと思います。そういうものを、作ってきたつもりです。

出版自体はもう少し先になりますが、機会がありましたら、手にとっていただければ幸いです。