謝罪に関する覚え書き

そのうちまとめたいと思っているもの。ゴールでなく、手段としての謝罪について。

  • 謝罪というものを、事実と感情とを切り分けるための手段である、道具であると考えることで、謝罪の使いかたが上手になるんだと思う
  • 苦情の原因は、「相手の勘違い」などではなく、常に「こちらの配慮不足」であると考えないといけない。事実で妥協する必要はないけれど、印象には配慮しないといけない
  • 「相手がバカだから」「いちゃもんをつけられた」なら、それは馬鹿な相手を想定した対応を用意できなかった自分の非であって、だからこそ、謝らないといけない。謝罪という局面で大切なのは感情であって、事実は関係ない
  • 「謝罪というのは弱さの現れ」であるという文化は止めたほうがいいんだと思う。「謝れる人は強い」という意見も同じぐらいに有害。謝罪は単なる手段であって、交渉者は、謝罪という行為に対して中立でないといけない
  • 謝罪は具体的でないといけない。相手に対して、こちらが何に対して謝っているのか、正確に伝えないとこじれるし、「相手が想定していた不快要素を、自らが言語化して相手に伝えること」で、初めて謝罪という行為が成立する。ごめんなさいという言葉それ自体は、意味がない
  • 謝るべきタイミングが来たら、行動は一刻を争う。衝撃力は、火力に比例して、スピードの2乗に比例する。相手の不快感は、遅延時間に2乗して大きくなっていく
  • 「自ら出向く」のが大切。ほんの数歩であっても、相手に来てもらうのと、自分が歩くのとでは、印象が全く違う
  • 病院の外来にはカーテンがあって、患者さんは待合室で待つ。カーテンを出て、待合室の患者さんのところに歩くだけで、恐ろしく印象が良くなる。あるいは患者さんをナースルームに呼び出すときには、面倒でも必ず主治医が迎えに行く。患者さんの話を聞くときには、主治医の靴を揃えたベクトルが、患者さんの方向を向いていないといけない。相手と自分とを隔てるカーテンであるとか、待合室までの距離であるとか、こういうものを、コミュニケーションの武器として生かすことを考えないといけない
  • 謝るときには、相手の反応に期待してはいけない。あくまでもそれは、こちら側が勝手に切るカードなのであって、取引ではない。その代わり「ここで謝った」という行為それ自体は、状況が法律案件になったときに、地味に効いてくる
  • 「主治医がそのことを覚えていない」ことは、謝罪をしない理由にはならない。謝罪というのは「相手にとっての事実」と、「それに関して生じた情動」に対して機械的に行われるものであって、主治医にとっての、あるいは客観的な事実はどうであったのか、謝罪の行使について言えば、それは全く関係がない
  • 謝罪というカードで、事態を完全にコントロールすることはできない。その代わり、行うべきタイミングで謝罪の機会を逸したなら、状況は確実に悪くなると心得るべき
  • 「分からないけれどとりあえずごめんなさい」と言われたら、相手は怒る。謝る側が「納得」を表明しないと、謝罪にはなんの効果も期待できない。謝罪をする相手が何を感じ、どういうことに怒っているのか、それを謝罪者する側から言葉にして伝え、相手がそれに同意することで、初めて納得が観測されて、謝罪の言葉に意味が生まれる。情報の収集が大切