何か新しいもの

上司に当たる人から、「何か新しいものを作れ」と命じられた。夢の中で。

こんな夢を見た

夢の中で、自分たちのチームは、上司から「何か新しいものを作れ」と命じられていて、途方に暮れていた。会議で何かを決めようにも、そもそも「新しいもの」とは何なのか、あまりにも漠然とした課題に、みんな愚痴しかでなかった。

しばらくして、リーダーの人が、黒板みたいな場所に模造紙を貼って、やおら円グラフを書き出した。黒板に書けばいいと思うんだけれど、なぜだか紙を貼っていた。グラフにはゼロから24までの数字が並べられていた。それは要するに時計であって、リーダーは、24時間の自分の生活スケジュールを、そこに書き込んでいった。

0時から7時までは睡眠、8時までご飯、9時まで通勤、それから11時まで仕事、11時15分から12時半まで仕事、2時から5時まで仕事、家に帰って、ご飯があって、お風呂に入って、遊び時間があって、24時に就寝。

24時間を円グラフにして、時間ごとに区切った「パイ」の中に、リーダーは、その時使っている道具とか、アプリケーションを埋めていった。起きてから朝ご飯の間には、メーラーとブラウザ、Twitter 、何かのメッセンジャー。通勤時間帯はRSSリーダー。リーダーが仕事で使っていたのは、どうしてだか Word だった。

リーダーは、書いてる途中、メンバーに、「この15分は何だ?」 なんて、11時からの15分について尋ねた。「ウンコです」なんてメンバーが答えて、みんなで笑った。トイレの中で使われている道具は何もなくて、そのあとまた、それぞれのパイに、その時使っているアプリケーションが書き込まれていった。「遊び」の場所にはネットワークRPGの名前が入って、就寝時間は、やっぱり空白だった。

空白には「新しいもの」がある

夢の続き。

こんなグラフが一通り描かれて、それは要するに、アプリケーションからみたリーダーの1日なんだけれど、リーダーはそのあと、この円グラフの中にある空白を探そうなんて意味のことを宣言した。

「ウンコのときはどうしている?」なんて、自分がリーダーに尋ねられた。手を使うのがためらわれるから、その時には何もできない。

今度は「ウンコの制約条件は?」なんて聞かれた。両手が使えない。メディアを手で持てない。大きな音はちょっと迷惑かも。アプリケーションを立ち上げるのも、終了させるのも、その時の手はまだ汚いから、操作というものがそもそもできない。携帯電話で何かするにしても、落としたら致命的。そんな返事をした。

「じゃあ逆に言えば、使うのに両手がいらない、勝手に立ち上がって勝手に終了する何かを作れば、ウンコタイムというニッチでそれは無敵でいられる」なんてリーダーは宣言して、ウンコ時間の場所に、マジックで○を描いた。空白の○は、ニッチを意味してるんだと。

話が休み時間に移った。そこにはブラウザとか、Twitter とか書かれていたんだけれど、夜の休み時間にある「ゲーム」が、昼の休み時間には書かれていなかった。リーダーは自分のことなのに、メンバーに「どうしてだ?」と尋ねた。

RPGを気合い入れてやるには時間が足りないし、途中で抜けると他の人の迷惑になる。あれは集中しないと厳しいからとか、そんな意見が出た。リーダーはまた、休み時間に空っぽの○を描いて、今度は練る前の休み時間に書いてあった「ゲーム」を丸で囲って、お互いを線で結んだ。これはたぶん、「お昼休みにもゲームというアプリケーションが進出する余地がある」という意味で、時間の制約がない、仲間はいるけれど、抜けることが迷惑にならないゲームがあれば、お昼休みというニッチに、ゲームが割り込めるという意味。

お話はお風呂に移った。ここも空白。で、やっぱり両手を使うのが厳しい、風呂ポチャするとスマートホンは即死するとか、制限多くて、ここにも空白ができた。で、両手を使わなくてもいい、ぼーっと見てるだけでいい「ウンコ時間のチャンピオン」が生み出せたのなら、この製品はお風呂タイムにも使えるよねなんて話になって、お風呂タイムにも丸が描かれて、ウンコタイムの丸と結ばれた。ここで「防水iPod 」みたいなのを想像してしまうと重たくなるけれど、たとえば本体はディスプレイだけで独立して、無線トラックボールに2ボタンのついたリモコンを、防水で、できれば手ごと洗えるような構造にしておくと、トイレのときにも、お風呂場でも使えるPCが、まあまあ衛生的に使えるんだと思った。

こんなかんじで、誰かの24時間がアプリケーションの消費、という軸で分解されて、どこにニッチが残っていて、その機能はどこに使い回すことが可能で、その場所に進出するためには、まずはどんなことが制約条件になっているのか、時計みたいな絵を前に、ブレーンストーミングが進んだ。会議室のどこかには、開発部隊みたいな人が潜んでいて、会議が進むたび、何人かが会議室から抜け出していた。

以上夢。

新製品の探しかた

こんな夢を見た。知った顔は誰もいなくて、夢なのに、夢の中で、「どうして自分は夢の中でもこんなこと考えてるんだろう」なんて思ってたから、あるいは何かのビジネス本から想起したものかもしれない。

夢物語だけれど、時間という軸で「何か」に制約をかけて、さらに「トイレ」だとか「お風呂」という制約をそこに重ねて、その中で使える何かを探すというやりかたは、漫然とブレインストーミングを繰り返すよりも、いい発想にたどり着く可能性が高いような気がする。

たとえば医事課の事務さんたちは、コンピューターを前に、しばしば電卓を使う。たぶん何かを計算して、それをエクセルに入力する必要があって、電卓アプリを立ち上げるよりも、リアル電卓を叩いたほうが速いんだろうけれど、「便利な電卓アプリ」を作ったところで、たぶん現場は使わない。マウスクリックしてアプリケーションを立ち上げるよりも、電卓叩いたほうが速いから。

「医事課という現場で使われる新しい何か」を生み出そうなんて考えたら、たぶん仕事をする事務の人たちを、後ろから一日眺めてから考えると、上手くいくような気がする。

それが電卓なら、それが取り出されるのはどういう状況なのか。「計算」には何パターンあって、解答が、どこの場所に出力されないといけないのか。バーチャル電卓に比べたときの、リアル電卓の長所は何なのか。たとえばキーボードの数は増えれば作業は楽だし、たかだか数字1行分でも、これはマルチディスプレイと同じ効果があるから、画面を細かくいじる必要がない。アプリケーションなら、マウスクリック、立ち上げ、下手すると窓移動してからはじめて計算が必要で、答えをマウスドラッグ、コピー、ペーストなんてしないといけない。リアル電卓なら、叩けば答えが出て、たぶんマウスを使うよりも、いきなり数字キーを打ち始めたほうが速い。

こんな観察があったとして、だったらリアル電卓に対抗するための電卓アプリケーションに必要な能力は、仕事の状況をモニターして、勝手に立ち上がって、答えを出した瞬間に、必要な場所に答えを出力して消え失せる、そんなものなんだなという想像ができる。

あるいは逆に、実は「計算」が6パターンぐらいしかなくて、事務さんはいちいちそれを計算しているようでいて、実はそれは計算じゃなくて、数字キーを、言わば組み合わせホットキーとして、必要な数字を呼び出しているだけだったら、これはもう、電卓じゃなくて、6つのキーだけを備えた、それをクリックしたら決まった数字を出力するだけのアプリケーションがあるだけで、作業はずいぶん楽になる。

「新しい何か」を位置から考えるのは大変だけれど、ある動作を時間軸で、アプリケーションの軸で、1日を、あるいは1プロセスを細かく分解してみていくことで、動作のニッチを見つけ出すことができる。

「そっちのほうが便利だから」、機械でなく人の手で行われている場所があって、じゃあ機械がどんな便利を獲得できたなら、人の便利を上回れるのか、そんな考えかたをすると、新しいものへの手がかりが得られるんだと思う。