弱い何かに財布を接続する

自分のためにお金を使う人は減っている。将来への不安とか、不信みたいなものがある限り、この傾向は変わらないと思う。

少し前なら、自分のすごさを表現するために無理して高い車を買うとか、「あえてお金を使ってみせること」というのが、ある種のかっこよさにつながっていたけれど、そうしたリンクはもう切れている。

で、今は何となく、「か弱くてかわいい何か」に強者の財布を接続できた人が、上手な商売を行っている気がする。

  • トリンプのサイトにはおねだり の機能がついていて、商品を買う女性から、男性の側に、支払いをお願いすることができて、これが大成功しているらしい
  • GREE というサイトのマスコットであるクリノッペがすごい らしい。自分自身の分身である「アバター」にお金を支払うことに抵抗がある人でも、加入すると勝手についてくるペットと遊ぶうちに、そっちにはお金を使ってしまうらしい
  • ペットビジネスは、「弱さ」と「財布」が直結していて、どちらかというと、小型犬ほどお金が出ていく。大型犬、フルサイズの狼犬なんかだと、ご飯も「鶏の首」みたいな、えらくスパルタンなものになるけれど、小型犬だと種類が豊富で、チワワ用の一食が700円とか、高いのがずいぶん売れているらしい
  • 子供が商売の王道なのは、今も昔も同じ。子供が映画を見たいと希望すれば、親もお金を支払う必要がある。やっぱり「ドラえもん」と「クレヨンしんちゃん」は強いらしい。お母さんを巻き込んだ平成ライダーは大成功して、もう少しマニア向けに大人な内容にした最近のライダーは、売り上げがちょっと翳ったらしい
  • ヒトパピローマウイルスワクチンは、若い女性に向けたものだけれど、自費だから数万円する。で、「おばあちゃんが孫にワクチンをプレゼント」する、なんて事例が紹介されていた。高齢の人が、若い人に「未来」をプレゼントするというのはたしかに美談なんだけれど、こういうお話が広まると、似たような行動をする人が、あるいは増えるのかもしれない
  • 新聞も売れなくなっている。「読む人」に訴えるやりかた、いい記事を書く、というのは、もはや購買を刺激しないのだと思う。むしろたとえば、「お孫さんに社会の正しい見かたをプレゼント」みたいなテーマで、「お爺ちゃんがお孫さんに朝日新聞を契約して、未来の日本をプレゼントした」とか、そういうエピソード作って広めると、少し違った購買を引き出せる気がする。「読む人」に向けた記事と、「読ませたい人」に向けた記事とでは、ずいぶん違ってくる。一面トップに「今日は敬老の日」とか並ぶ新聞になるんだと思う
  • 購買でなく、道徳的な振る舞いも、「弱い誰か」を仮想すると引き出せるのだと思う。ゲームだとか漫画は、海賊版の被害が相当に大きいらしい。「自分のため」ならば海賊版で満足する人も、あるいは「か弱い誰かにプレゼントをする」ときなら、海賊版でなく、正規品にお金を払う、道徳的なユーザーになるような気がする。今はそうでもないみたいだけれど
  • 財布を持った人にとっての「かわいらしさ」というのは大事なんだと思う。高齢者の患者さんなんかだと、数百円のおむつとか、食事代に「高い」と文句を言われるのは当たり前で、高いなんて言ってたご家族が、ペットショップで2000円の天然鹿肉をまとめ買いしてたりする

恐らくは「弱い何か」に対して「強い人」でありたいというのは、それなりに普遍的な感情で、「いい人」、「強い人」であることを表現するためにお金を使う、道徳的な振る舞いを引き出すという道は、まだ残っているような気がする。

弱いとは何なのか、かわいいとは何なのか。このあたりに鍵がある。