案外やっていけるお店のこと

自宅から車で10分ぐらいのところに、小さくて、今にも潰れそうな本屋さんがある。休みの日なんかにそこを通って、人が入っているのを見たことがないんだけれど、もうずっとそこで商売をしていて、風景は変わらない。

店の広さはせいぜい12畳といったところで、品揃えも漫画本と雑誌ぐらい、駅の売店がちょっと大きくなった程度で、これといった特徴のないお店。

「そこを使っているのは子供なんだよ」なんて、最近教えてもらった。

平日の人の流れ

このへんは例によって妄想でしかないんだけれど、その店を潤しているのは、たぶん「学校の子供さん」なんだと思う。

店のそばには小学校があって、そこの子供たちが、たぶん帰りしなに、そのお店による。子供は車を運転できないから、町中にあるもっと大きな本屋さんにはいけないし、クレジットカードも持ってないだろうから、Amazon で何かを買うのも難しい。「お客さん」の数自体は、どれだけ多く見積もったところで、その小学校の生徒分しかいないけれど、こういう人たちは、実世界の店舗に頼る確率が高いから、大規模書店ほどにはお金を使わない、小さなお店に生きる目が出てくる。

「市場」といっても、せいぜい小学校1つでしかないから、こういう場所に、全国チェーンが算入してくる確率は低くい。お店はたぶん、小さな場所で、小さな商売を続けながら、案外ちゃんと食べていけるんだと思う。

そういう目で周辺を見渡すと、「プラモデルとモデルガンがやけに多い、いつ見ても誰もいない模型屋さん」とか、「何でやっていけているのかよく分からない古い呉服屋さん」だとか、お店とか、それぞれたぶん、学校の男子にモデルガンを販売してたり、あるいは学校指定の上履きを一手に販売していたり、たぶんそこにいる人にしか分からない、小さな商売ができるだけの理由が、そこにあるのだと思う。

人数だけでは分からない

自分たちは普段、「平日」を知らない。休日の、賑やかな場所しか見たことがないから、そこに住んでいる人たちが、じゃあ普段どんな振る舞いをして、どういう生活を送っていて、生活を続けるために、どういう形でお金を使っているのか、そういうのが分からない。

病院にこもっていると、「平日の人」とか「平日の町」がどうなっているのか分からない。こういうのはもしかしたら、仕事として町をリサーチしている人ですら、人口の動態みたいなものは把握しているのだろうけれど、「生活する人の動きかた」みたいなものを細かく観察できる人は、決して多くないような気がする。

「独立してスモールビジネスを」なんてお話も、どことなく、「平日を知らない人」の発想が多いような気がする。想定顧客は全国とか全世界、「町の地形要素」みたいなものを効率よく利用しよう、という話題は少なめで、夢先行、企画先行、継続性とか、兵站要素みたいなものは、あんまり話題として出てこない。

兵站の話題はつまらない」という大前提があるから、blog 界隈みたいな場所だと、そもそもこういう話題は受けないだけなのかもしれないけれど、全世界に語れる夢なんて持っていなくても、食べていける場所というのは、丁寧に探すといろんなところにあるような気がする。

流れのどこかによどみを探す

たとえば訪問診療なんかは、「商売にならない」医療の代表みたいに言われるんだけれど、町のどこかに「高齢者の多く住んでいるマンション」を探し出すことができると、病棟回診と同じペースで「訪問」ができて、訪問診療には訪問加算がつくから、黒字が増えて、きちんと食べていけるんだという。診療の腕とか、人当たりの良さみたいな、まっとうな努力はしばしば報われないけれど、人の流れを読んだり、そこに住んでいる人たちの生活が想像できたなら、施行はきっと報われる。

それは子供の集まる学校であったり、あるいは中高年の人たちが教室を開いて集う平日の公民館だったり、病院のそば、ショッピングセンターのそば、たぶんいろんなところに「平日生活する人が利用する場所」というのがある。

「平日の人」は、たいていは何かの目的だとか、資格があってそこに集まる。そういう人たちはたいてい、たとえば小学生なら自動車に乗れないとか、モデルガンはほしいけれど、親御さんに見つかるライフルは大きすぎて拳銃しか買えないとか、「選別されているがゆえに欠けている」要素というのがあって、欠けた人に、足りない何かを販売できれば、それはきっと商売になるんだと思う。