ゼロに戻すためのコスト

著作物やゲーム、乗用車みたいな工業製品、あるいは農作物やペットに至るまで、お金を通じて売買される価値を持った何かというのは、「情報」という言葉で代表させることができる。

対価を支払って「情報」を手に入れる、「購買」という行為はこれから先、未来はどんどん細っていくのだと思う。それは安価な中国製品みたいな、価格破壊というやりかたであったり、あるいはうちの犬みたいに「誰かから無償で分けてもらう」ような、情報入手の手段が多様化していくことであったり、いろんなやりかたが手提案されていく中で、情報それ自体の価値というのは、たぶんだんだんと減っていく。

情報の価値は、どんどん「ゼロ」に近づく。一部の情報は、むしろその価値を高めるんだろうけれど、平均すれば、ある分野の情報が生み出す富の総和は、やっぱりこれから減っていく。

それが貴重であった昔とは対照的に、情報はどんどん増えて、ちょっと油断しただけで、部屋の中、あるいは頭の中は、情報であふれかえる。テキストやプログラム、工業製品や農作物、あるいは生物、あるいは「思い」みたいなものまで、基本的には全て「情報」だから、一度あふれてしまった情報を消去するのは、たぶん手に入れる以上に難しい。

葬儀というやりかた

近所のパチンコ屋さんが潰れて、ずっと廃墟だったんだけれど、結局そこには葬儀社の展示スペースが入った。普段は仏壇を展示していて、仏教なのに「ハロウィンフェア」とかやってて、その一角はいつも賑やか。

葬儀社がやっていることというのは、「情報の消去」なんだと思う。

情報の話を拡張していくと、生きている人それ自体もまた、情報であると言える。

人が生きているだけで情報は増えていく。ものだって増えるだろうし、その人と同じ時間を共有した人の頭には、その人との記憶というものが、どうしようもなく積み重なっていく。人の時間は有限で、部屋の大きさも、あるいは思い出を格納するための頭の容量も有限で、人が亡くなったのなら、スペースを空けないと、未来に進めない。

葬儀というセレモニーは、亡くなった人の持ち物だとか、あるいは思い出だとか、そういうものに「消去可能である」というタグをつけるために行うものであって、それはやっぱり、必要なものなんだと思う。葬儀は人の数だけ需要があって、一生のうちに2度も3度も死ねる人はそうそういないから、葬儀にかかわるチャンスは1回切り。比較できないし、体験もできないから、葬儀というのは高付加価値の産業で、たぶんこれから先も、状況は変わらないんだろうと思う。

対価を払って何かを消す

お葬式はものすごく高い。あれにもとんでもないお金がかかるのを知ったときのびっくり感と、乗用車に乗り始めて間もない頃、町中に出ると、乗用車はもはや、有償の駐車場なしにはコーヒー一つ飲めない道具なんだと気がついて愕然としたときと、どこか似ている気がする。

「駐車場」という存在もまた、葬儀社によく似ている気がする。駐車場が行っていることは、乗用車に乗っているその人から、一時的に自動車という存在、情報を、消去することに他ならなくて、車を運転している人は、乗用車という情報を消去されることではじめて、空いた空間分だけ自由を手に入れる。

捨てる、忘れる、葬ることに対して、世の中ではたぶんお金が取れる。

情報の価値はゼロに近づくけれど、情報を消去するためには、誰かに対価を支払う必要がある。情報が増えて、情報を販売することで対価をもらってきた業界は、いまはもう、地獄のコストカット競争に晒されて、大変なことになっている。みんなが大変なその裏で、実は情報の消去には一定以上の需要があって、こちらの業界は案外、コストカット圧力とは無縁に思える。

「消去」ビジネスは案外、インターネットと親和性が高いような気がする。「ここには何でもあるけれど、唯一取り消しボタンだけはないんだよ」っていうのが、ネット世間の基本スタンスだし、発信が簡単になった昨今、たぶん「やっちまった」人たちが、お金を払ってでもほしいものというのは、何といっても「取り消しボタン」だろうから。

いろんなものを消してみる

  • たとえば「もらったけれど捨てられない迷惑な何か」に、適当な物語を付加して処分して、あとから口裏合わせてくれるサービスがあってもいいかもしれない。業者が消しているのは「もの」それ自体じゃなくて、それをくれた人の「義理」という、もっと消しにくい何かになる
  • ペットなんかは、保健所に捨てれば無料だけれど、「ペットとの思いで」みたいなのは、後味の悪さとしてつきまとう。だから「飼育代行」とか、「次の引き取り手を責任持って探します」みたいなサービスがあったなら、欺瞞っぽいけれど「愛護的」で、需要が期待できると思う。この業者が消しているのはペットそれ自体じゃなくて、ペットを捨てる罪悪感とか、あるいはペットと過ごした記憶とか、そういうものである必要がある。「うちの犬は別の誰かと幸せに暮らしている」なら、人はペットの存在を忘れられるだろうけれど、「うちの犬は自分が保健所に捨てたから、無残に死んだ」なら、それは消去になっていないから
  • 過去をなかったことにするのは難しいんだろうけれど、とりあえず黒歴史を可視化するサービスは、政治の人とかに向けてあってもいいような気がする。過去を突っつかれてカウンター返せないのは、日本の政治家ぐらいなんだと思う。ネット世間で、ある特定IDにひも付いた情報を全部探して消すお仕事、というのは、有償でも利用したがる人がいるような気がする。Google とかWayBackMachine に英語手紙書くのは面倒だし
  • 古本回収なんかもそうで、あれを「不要品という情報を購入する」という解釈でなく、「ある人が保持している情報の一部を有償で消去する」と考えると、応用が利く気がする。同じ古本屋さんで、片方はお金をくれるのに、もう片方はお金を請求される。それなのに、たぶんお金を喜んで支払う消費者はきっといるんだと思う