病棟の摩擦

「戦場の摩擦」、「戦場の霧」という考えかたがあって、このへんはもしかしたら、ほかの学問とか、業界なんかでは過小評価されていたり、場合によっては「ないこと」にされているような気がする。

摩擦

これは要するに「通信の遅延」みたいな意味だと理解している。

たとえば1000人の大部隊がいて、一斉に「前進」なんて号令をかけたところで、部隊は前に進まない。

声を聞いたところで、最前列の部隊はすぐに動けるけれど、後ろのほうは、前の人が動き出さなければ動けない。部隊はだから、号令とともに、必ず前後に広がって、将軍が思ったようには動かない。みんなを戦車やトラックに乗せたところで、「前に人がいると進めない」という原則は一緒だから、状況はそんなに変わらない。

作戦の規模が大きくなればなるほどに、「戦場の摩擦」は大きくなって、事態を予測することはますます難しくなる。

物事がどれだけはっきりと見通せたところで、相手の頭の中は見えないし、味方が想定通りに動くのかどうか、それを予測するのは難しい。

合理的には「こうだ」という見込みがあったところで、相手の将軍は、勇猛を装ったチキン野郎かもしれないし、味方の伝令がだらしなくて、伝えたはずの命令は、実は伝わっていないかもしれない。

技術がどんなに進歩しようと、不確実な要素が必ず残って、戦場の霧は晴れることなく、人間の頭の中に、やっぱり変わらず存在し続ける。

「摩擦」と「霧」と、だからこういうのは技術だけでは解決のしようがなくて、物事が複雑になれば、お話のスケールが大きくなれば、摩擦は大きく、霧は濃くなり、未来を見通すことはますます難しくなる。

軍事学なんかだと、だから作戦を立てるときには「摩擦」と「霧」の影響を最小限に抑えるように、できるだけ小さな作戦を、できるだけ単純なやりかたで達成できるように、将軍は頭を使うものなんだという。

摩擦や霧のない状況はあり得ない

戦場の「摩擦」と「霧」の考えかたというのは、人の振る舞いを検討する他の学問、たとえば経済学なんかだとどういう扱いになっているのか、正直よく分からない。

「○○を行うとこうなるぞ」なんて未来予測はたくさんあるけれど、そういうのはたいてい外れるし、経済学が相手にするのは何しろ「社会」だから、摩擦の影響は計り知れない。どれだけ厳密な予測を行ったところで、それが成就する可能性は薄いのだろうし、人間の摩擦、「人は今までどおりの生活を、分からなかったらとりあえず繰り返す」なんて原則に打ち勝てるだけの説得力を持った、強力な理論なんて、そう簡単には出てこないだろう。新聞読む人も減ってるみたいだし。

業界によって、このへんは理論に織り込み済みであったり、あるいは徹底的な実験を繰り返すことで、ノウハウとしてそれを回避するすべを伝えていたり、きっと様々なやりかたで、理論と現実との折り合いをつけているんだろうけれど、「摩擦」や「霧」を、「誤差」として切り捨ててしまうと、たぶんろくでもないことが起きる。

病棟の摩擦について

医療なんかだと、この「摩擦と霧」の問題は、もっと深刻になっている。

「摩擦」は「職員の努力でなくすべきもの」であるし、「霧」については「主治医の努力でなくなるもの」だと考えられているみたいだから、教科書にはあまり、こういうことが考慮されていない。

「摩擦」を減らすやりかたというのは一応あって、たとえば「看護師さんが指示を間違えても、それが問題にならないような処方」を出しておけば、間違えがあっても、トラブルになりにくい。

自分の患者さん限定で、うちの病棟では、点滴が必要な全ての患者さんには「同じ点滴」が入るように心がけている。点滴間違えというのはどうしたって怒る可能性があるんだけれど、「間違えたところで同じ輸液しか入らない」から、間違えにならない。

病棟で使う輸液製剤の種類を絞るとか、内服を、病名ごと、もう一歩踏み込んで、病名が違っても、ほとんど同じにすると、「間違えない医療」じゃなくて、「間違えようがない医療」というのが部分的に実現できるんだけれど、こういうのは何となく、「患者さんにベストを尽くす」みたいな考えかたとぶつかってしまう。 「クリニカルパス」という、定食メニュー的なやりかたも、毎年のように「改良」されて、個人的には目指してる場所が違うような気がする。

「間違えないための工夫」というのは、看護師さんの雑誌によく載るんだけれど、「間違ってもそれが問題にならないような工夫」というのは、不謹慎だからなのか、それがなんというか「かっこわるく」て、一見するとアバウトで、素朴な解決に見えるからなのか、あんまり見ない。

「摩擦」や「霧」を、「ならぬものはならぬものです」なんて、思考経路から追放してしまうと、どこかに大きな落とし穴が空いて、「ないこと」になっているそんな大穴に、ある日みんなでそこに向かってまっしぐら、という状況が出現しそうで、けっこう怖い。

個人的には、理想の病棟というのは、「患者さん入院しますから、いつものように、適当に」というオーダーだけで治療が始まるようなものを考えているんだけれど、こういうこと言うと、「だらしない」なんて叩かれる。偉い人たちにとっての理想の病棟は、たぶん米軍の特殊部隊みたいな、訓練された精鋭が、号令一下、一糸乱れず業務に当たる様を想像してるんだろうけれど、そういうのはたしかにかっこいいし、いかにも仕事をしてるっぽいんだけれど、理想の先にこれを想像しちゃいけないんだと思う。