合理化が手にした利益

恐らくは「能力ある人を育てる仕組み」があった場所に、「既得権」と「無駄」というキーワードをぶつけると、そこが「合理化」する。合理化した帰結として、「能力ある人を育てるための教育コスト」が、「無駄を排除した利益」として、攻撃者に転がり込んでくる。

合理化はだから、短期的には間違いなく利益を生む。その代わり、教育システムが「合理化」されてしまうから、もう後続は育たない。教育システムを再建しようにも、それには「既得権」のラベルが張り付いているものだから、政治という営為が「嫉妬の最小化」を目標に行われている以上、システムが再生することはあり得ない。

昔は旦那がいた

「日本一の左官職人」の昔話。

その人が若い頃には、どこの町にも「大旦那」とか「若旦那」がいて、若手の職人は、そういう人に目をかけてもらって、ある日「粋な茶室を作ってくれ。金は出す」なんて注文を受けたんだという。機会を与えられた若手は必死になって茶室を作って、それはもしかしたら、師匠の手には及ばないのだけれど、「旦那」はどこかに光るものを見つけて、お金をくれたのだという。

茶室を頼む旦那はいなくなって、「若手」はもう育たないから、日本一の職人は、同時に最後の職人でもあって、たぶん今、「最後の日本一」が、いろんな業界にいるんだと思う。

マタギ」と「ナガサ」

熊撃ちの猟師であった「マタギ」が羽振りのよかった昔は、地元の鍛冶屋さんに自分の刃物を作ってもらうものだったんだという。

鍛冶屋さんにもやっぱり、「師匠」と「若手」とがいて、手分けして、いろんな刃物を打ち分ける。マタギの人たちは、「ナガサ」と呼ばれる大きな刃物を携帯するのが常で、これで藪を割って山に入って、何かの理由で銃が使えないときには、ナガサで熊と戦うときもあるらしい。

ナガサはだから、恐ろしく頑丈にこしらえてあって、先端部分だけ、相手をさせるよう、両刃になっている。マタギの命を預ける刃物だから、もちろんこれは「師匠」の仕事で、値段もえらく高価なものだそうなんだけれど、「師匠」が留守にしていたある日、マタギがナガサをオーダーして、まだ若手であったその鍛冶屋さんは、必死になって一振りのナガサを仕上げて、その人に届けたんだという。

それが独立したきっかけになったのだと。

無駄と一緒に捨てたもの

昔の問屋さんは、若手を育てる役割を担っていたのだなんて記事を読んだ。

昔はあちこちに問屋さんがいて、こういう人たちは、流通から対価を得ていたんだけれど、問屋さんは「無駄」であると同時に、たとえば作家の目利きをして、腕のいい若手にはお金をはずんだり、引き合いの少ない気切には在庫リスクを引き受けてくれたりして、若手の作家を育てる役割も担っていたんだという。問屋さんがAmazon に追い払われて、流通には無駄がなくなったその代わり、「若手」はたぶん、育つ機会を減らしたのだと思う。

「能力」というものを、「仕事を作り出して、それを最初から最後まで完成できる人」みたいに定義すると、その人がどれだけ優秀であったとしても、機会がなければ、能力は磨けない。今はなんだか、「能力を持った人」を育てる仕組みが、社会の中からどんどん減っているような気がする。

焼き畑農業の先にあるもの

それは無駄といえば無駄なのだと思う。「大旦那」というのは要するに成金なんだし、「マタギ」の財を作った熊の胆のう、同じ重さの金より高いなんて言われた物質にしたって、今では普通に薬局で買える。無駄がなくなること自体は、決して悪いことには見えないんだけれど、「無駄にお金を使える人」が社会から減ったことで、「能力を持った人」が誕生する余地が、世の中から失われてしまった。

「社会から無駄を放逐して、全体の富が増えました」なんて、これは一見いいことなんだけれど、「富」が増えた本当の理由というのは、実は社会というか、旦那衆が負担していた「教育コスト」をお金に換えて、それに変わるものを、社会からなくしてしまったからなんだと思う。

戦争を民営化する、「戦争株式会社」を導入すると、戦争のコストが劇的に下がる。雇う側は、安価に「強い軍隊を購入する」ことができて、現場で戦う兵士もまた、国軍で戦うよりも、はるかにいい給料、いい装備で仕事ができる。

民営化はだから「いいこと」なんだけれど、このやりかたで損をするのは、「戦争株式会社」に熟練した兵士を奪われる国家の軍隊で、彼らは軍隊の教育コストを負担しないからこそお金を得られるし、教育を受けていない、何の資格も持っていない人たちには、だから「戦争株式会社」は、過酷に安い給料しか支払わない。

国内の問題にそっぽを向いて、「移民入れましょう」なんて人たちの本音は、あれは「能力を生むコストの外注」であって、「教育に必要な無駄」、能力を持った人を生むシステムを、今から日本に再構築することを、「上」の人たちは、もう無理だと、日本をどこかで見限っているからなんだと思う。

いろいろ詰んでる。