総合医はお辞儀ができない

相手に打ち勝つためでなく、むしろ様々な業種の人たちと「共生」していくために、 専門性という看板が役に立つような気がする。

握手をしないと始まらない

「何でもできる医師ははかっこいい」なんて、そういう価値軸に基づいた訓練を受けた大手民間病院の医師が、 大学に「帰還」して、「何でもできる」自分をそこでデビューさせることに失敗して、 そこから先がちょっと不遇になるという事例が時々ある。

こういうのはたぶん、「握手の失敗」なんだと思う。

人がたくさんいる豊かな環境、様々な専門技能に分化した、そのくせ「優秀さ」みたいな漠然としたパラメーターにおいては 似たような人たちが群雄割拠している場所に割り込んでいくためには、たぶん「見えやすい弱点」が必要になる。

頭を下げないと、新しい場所には入れない。「何でもできます」という人は、 「何かができない」人に対して頭を下げるための理由が発生しないから、 どこか新しい場所に分け入って、そこに自分の居場所を確保するのが難しい。

これが専門家なら、こういうときに「専門家です。他のこと分かりません。教えて下さい。よろしくお願いします」 なんて、最初からそこにいる誰かと握手して、自分の居場所を分けてもらうための「最初のお辞儀」がやりやすい。

恐らくは専門技能というのは、それを使って誰かを従えるための武器というよりも、 「私はここが弱いんです」なんて、その専門家を迎え入れる人たちに明示することで、 新しい場所に入り込むための切符を提供する道具として、上手に機能しているんだと思う。

「えらくなれる場所」を探す

誰だってたぶん、「相手に舐められたくない」なんて、どうしようもなく思ってる。 メッセージはだから、発信する側と、それを受け入れる側と、しばしば意味あいが異なってくる。

「専門技能を持っています」というメッセージは、それを受ける側からすれば、 「専門領域以外は弱いんだ」なんて受け取られる。迎える側はだから、 「教えてやろう」なんて、素直に行動する気がする。

「何でもできます」という看板は、相手には「俺すげぇ、俺に黙ってついてこい」なんてメッセージを送る。 「何でもできる」人が、どれだけ丁寧に、腰を低くして相手に接したところで、 そうしたメッセージは伝わらない。

「何でもできる」人が、看板の伝えるメッセージのとおりに、その能力を生かすためには、 最初から「そこで一番えらい人」としてそこを訪れない限り、難しい。 「俺すげぇ」の看板を背負わざるを得なかった、「何でもできる」以外の売り要素を身につけることに失敗した人は、 だから「自分がえらくなれる場所」を探して、そこに居着くことを考えないと、幸せにはなれない。

「万能選手」はたぶん、高地とか、雪山みたいな厳しい環境に追いやられる。 ジャングルだとか、サバンナだとか、生態の豊かな場所にいる生き物は、 競争の結果として、ある種の専門性を備えた、お互いに生態系を形作る理由を持っていないと、 生き残れない。

夜行性の生き物や、あるいは高地や雪山、乾燥地帯みたいな場所に適応した生き物というのは、 一見すると専門性が高いようでいて、彼らは案外、「そこに追いやられた何でも屋」であるような気がする。 そういう場所には栄養だって少ないだろうし、使えるものなら何でも使い尽くさないと、 たぶん生き残っていけないだろうから。

「何でもできる」訓練を受けた医師は、自分みたいに田舎の病院に引きこもったりとか、 救急に進んだりとか、当直専業で働いていたりする。ああいうのはみんな、 「えらくなれる場所」を、それぞれ探した帰結なんだと思う。

それでも頑張ったほうがいい

ここ何年間か、いろんな科の先生に、「バカです。無能です。よろしくお願いします」と頭を下げて、 いろんなノウハウを教えてもらった。そういうものがずいぶんたまって、 それはやっぱり便利だったから、マニュアルにまとめて、無料だからではあるんだろうけれど、 一応そこそこ評判がいい。

「君はここが弱いね」なんて指摘から始まった交流は、長持ちするし、いろいろ教えてもらえる。 「明示的に無能を表明する。外に対して常に開いている」というやりかたは、だからあざとい 処世術として、理にかなっているんだけれど、それでもなお、「これ」という専門技能は、 自分なりに磨いておくべきなんだと思う。

教えてもらって、「内なる技術屋のプライド」みたいなのと戦うのは、やっぱり難しい。 握手の代わりに「教えてあげますよ」なんて言われるのは、それは交渉の第一歩として大成功なのに、 内心では「俺知ってるよ」って言い返したくなる欲求を抑えるのが大変で、こういう葛藤を乗り越えるには、やっぱりどこかで「えらくなれる場所」を持っていないといけない。

下らないことなんだけれど、blog をほめてもらえるようになって、 こういう葛藤がずいぶん減って、「バカなんで教えて下さい」なんて、 いろんな人に頼めるようになった。

自分の中に、「相手に素直に頭を下げられる何か」を得るために、たぶん専門技能というものは 磨く必要があって、頼れる何かを一つ持つことで、その人はたぶん、たくさんの人と、 葛藤無くつきあえるようになるんだと思う。