働きかたが多様化している

今うちの施設に来てくれている内視鏡の先生は、普段は別の県で仕事をしていて、 週に1回、200km近く離れたその場所から、内視鏡検査のためだけに、車を飛ばして 病院に来る。もっと近くにだって、たぶん内視鏡医を必要としている場所は あるんだろうけれど、車が好きなんだという。

当直だけを代行してくれる、という働きかたが増えているらしい。

リクルートを経由して、最近何人か、夜間の当直だけを担当したい、という 仕事の依頼が入ってくるんだという。昔はこういうのは、医局の若手が アルバイト代わりに病院を泊まり歩いて、大学の安月給を補ったり、 あるいは部活の「先輩後輩」つながりで、他の大きな病院に勤める傍ら、 小さな施設に、当直だけ来てもらったり。

外来だけとか、あるいは検診だけ、内視鏡だけ、当直だけなんて、 今までだったらあり得なかったような勤務形態が、ここに来て、田舎の病院にも増えてきている気がする。

伝統的な医師のありかた

これから来てくれるかもしれない当直代行の先生は、東京都内でホテル暮らしをしているらしくて、 決まった住所を持っていないんだという。陸の上で「船医さん」みたいな暮らしかたをしていて、 いろんな病院を、いわば泊まり歩くような仕事のしかたをしていて、気ままに過ごしているんだという。

大学でも最近は、医療以外のことに、人生の軸足を移す人が増えてきていて、 医局を離れて、リクルートを頼って、県内の病院に、外来だけの非常勤医として 勤めたりする例が出てきているんだという。

「医局出身」の医師というのは、基本的には外来と病棟と、最低限度の当直と、全部一通りできて、 初めて「○○大学」を名乗ることが許されて、医局から派遣されてきた医師は、 だからある程度の「規格」に沿った、いわば使いやすい形で派遣されるのが 当たり前だったんだけれど、その代わり、多用なやりかたは許されなかった。

当直専業の医師なんて、医局出身の医師のありかたからすればこれは「規格外」であって、 医局に「こうしたい」なんて相談したところで、もちろんそれは許されなかったし、 仮にどこかの病院で、そうした勤務形態に需要があったところで、医局という場所は、 そこまで細かい対応をしてくれなかった。

人と人とをつなぐやりかた

今はたぶん、リクルートに代表されるような、医師を派遣する会社、 人字の需要と供給を代行するプロ集団が自分たちの業界に入ってきて、 流れがずいぶん変わりつつある。

うちの業界に一番欠けていた、あるいは今でも欠けているものというのは、 「人と人とのつなぎかた」であったのだと思う。

医局はたしかに、医師の配分に貢献してきた組織だと思うんだけれど、 「つなげる」ことには徹底的に不得手であって、だから医局は、 あたかもレンガを量産するみたいに、一つの決まった規格に沿った「勤務医」を 生み出して、規格に外れた人は、「開業医」になるしかなかった。

派遣される医師と、医師を受ける病院側には、本来は様々な勤務需要と、仕事の需要とがあって、 そうした中間地帯には、必ずしも「レンガ」の規格がぴったり来ない場所がたくさんあったはずなんだけれど、 「つながり形成」のプロであるリクルートみたいな会社が入ってくることで、そうした間隙にも、 医師が入っていけるようになったのだと思う。

「若手医師はどこに消えた?」論議というのは、たぶん大学病院と市中病院との衝突ではなくて、 むしろ流通形態の衝突であったのだと思う。

勤務医という、一つの規格に沿った勤務形態を大量に提供する、大学病院という流通形態と、 医師個人の需要と、受け入れ病院の仕事需要とを対応させて、全国区で需要のすりあわせを試みる、 リクルートみたいな会社のやりかたと、こういうのはたぶん、新聞メディアがネットに駆逐されつつあるのと 同じく、技術の進歩に乗り遅れた側が、一方的に敗北していくのを見てる気がする。

「カタログ映えするラベル」の時代が来る気がする

「○○大学医局」のブランドで、一定の規格に沿って養成された医師を迎える時代から、 これからはたぶん、「こういう勤務形態で働いてくれる人がほしい」なんてどこかの会社に発注したら、 「人間のカタログ」が届いて、「この人」なんて指定できるようになるんだと思う。

需要に最適な人間を、全国区で選択できるようになったなら、「人柄」とか「信頼」みたいな、 カタログに載せにくいパラメーターは、意味を持たなくなる。たぶん「いい医師を目指す」とか、 これから先は、止めたほうがいいんだと思う。

カタログの時代、大切になるのはやっぱり、専門医を持っているとか、 学会認定の資格を持っているとか、 カタログ映えするラベルを自分にたくさん貼り付けることであって、大学医局の役割もまた、 人材派遣に敗北して、これから先は「ラベルの印刷」と「ラベルの販売」へと 移行していくような気がする。

漠然とした「良さ」を目指して、カタログ映えするラベルの獲得を怠ってきた自分みたいなのは、 これから先、どう考えてもいい目を見る可能性がなさそうなんだけれど、 次どうしようかなとか、けっこう考える。