スマートフォンが消し去ったもの

今さらなんだけれど、新しく購入したHT-03Aという携帯電話を、このところずっと使っている。

前使っていた携帯電話は、機能なんて何もついてない、文字通り「携帯できる電話」だったものだから、 スマートフォンのちょっとした機能に、いちいちびっくりする毎日。

Palm を使っていた

大学病院で働いていた頃は、Palm という携帯コンピューターを使っていて、 メモ代わりにしたり、患者さんの情報を入れておいたり、あるいはblog の原稿をちょこちょこ書いたりしていた。

Palm は面白くて、同業者の中でも、自分は相当熱心に使い込んでいたほうだと思うんだけれど、 職場が変わって「これでないと」という場面が減って、結局面倒くさくなった。

その面倒くささの根っこにあったのは、「同期」という操作だったのだと思う。

たとえば「今日時間があったときに読もう」なんて思った文章は、Palm でそれを読もうとしたら、 自分のノートPC から、いちいち同期しないといけない。文字を読むのは素早くできて、 転送するときに、大まかな内容は読めてしまうから、せっかく文章を転送したところで、そのときにはもう、 読む気力がなくなってしまう。

Palm にはずいぶん慣れて、比較的長い文章も打てるようになっていたんだけれど、文章を作って、 PC にそれを同期して、ネットに載せるには、さらにそこから文章を加工しないといけなかった。昔は実際に そうしてたんだけれど、「一言」のメモならTwitter に書き込めば一発だから、結局Palm を持ち歩く機会は減って、 今でもノートPC の隣には Tungsten|c というPDA が置いてあるのだけれど、もう久しく電源を入れていない。

スマートフォンが消し去ったもの

全世界規模の無線インターネットインフラ、速いCPUに、大画面の新しい携帯電話という、 初期のPalm に比べれば恐ろしく大がかりな、やりかたは正攻法なんだけれど、力技的なスマートフォンが 追放したのは、そもそもが一手間でしかなかった「同期」という操作だけなんだけれど、 たかだかそれだけのことで、生活は大きく変わった。

「手のひらサイズ」で全部やるのは無理だった昔、Palm という機械は、 「親PC との同期」という考えかたを導入することで、 「手のひらサイズのコンピューター」という夢を、ずっと低コストで達成した、本当に画期的な商品だった。

Palm 界隈は結局しぼんでしまったけれど、ほんの少し前、 それでもPalm をはじめとした手のひらサイズのコンピューターにはたくさんのバリエーションが発売されて、 ごく初期の頃に発売されたPalm から、PDA のブームが一段落する頃に発売された Tungsten|c まで、 機械はずいぶん高性能になったのに、「同期」という操作だけは、変えられなかった。

使いはじめた当初、Palm は本当に面白い道具だったし、「同期」にかかる時間だって、 別に長いものではなかったんだけれど、Palm がどれだけ高性能になっても、 ネットから何かをとり入れて、作った何かを再びネットにアップロードするときには、 どうしても「同期」という一手間が必要で、Palm がどれだけ精密に、高性能になっても、 やっぱりあんまり変わらなかった。

今度買ったHT-03A というスマートフォンは、全盛期のSony が出してたClie なんかに比べると、 あんまり精密でないというか、どこかおもちゃっぽいし、Tungsten|c なんかと比べれば、 質感も、キーボードの使い勝手も劣っているんだけれど、もう戻れない。

快適さの階層性について

家の家具をいくら工夫したところで、基礎の脆弱さをカバーすることはできないように、 「快適さ」というものにも階層性があって、ある階層で生じた不快は、 それよりも上位の階層でどれだけがんばっても、挽回することはできないような気がする。

Palm の登場は、たしかに画期的だったのだけれど、「同期」という、 どうしても避けて通れない操作を追放するのが難しくて、いろんなメーカーが、 高機能なPDA端末を投入したんだけれど、やっぱりそれは快適さにつながらなかった。

スマートホンになって、今久しぶりにHTML ファイルで勉強ノートをアップロードしたんだけれど、 個人的にはそれをすごく気に入っている。

今までも、LaTeX で作ったマニュアル類は全部HTMLで公開していたんだけれど、 Palm でHTMLファイル を読むのは大変だったし、内容をPCで更新しても、結局それを、 Palm に転送しないと読めなかったから、 いろんな文章を作った割には、それを自分で使う機会というのは少なかった。

スマートフォンになって、ネットに上げた自分のマニュアルは、そのまま手元のスマートフォンで読める。 文字しかないから、細い回線でも十分快適だし、索引ページの単語をタップすれば、必要な情報に飛べる。 うちのページからなら、誰だって同じ経験ができるんだけれど、Palm を手に入れた頃、 こういうのを夢見て上手くいかなくて、 やっとそれが自分の手でできるようになると、ずいぶんうれしい。

スマートフォンを買ってから、お布団でごろごろしながらインターネットを見る機会が増えた。

寝室の布団から出て、「ほんの数歩」歩けば、Core i7光回線をつないだデスクトップPCがそこにあるのに、 今はなんだか、布団にくるまってごろごろしながら、無線LAN にショボいCPU、小さな画面で、 そんなに「我慢している」という感覚を覚えることなく、遅いネットを楽しむ。

こういうのもたぶん、「n-clickを1-clickにすると商売になる。1-clickを0-clickにすると革命になる」という言葉に連なる現象。 「1-click」に相当するのは、「布団から出て3歩歩く」ことであって、革命と言っても、 起きたことは「お布団に潜ったままでインターネット」なんだから、それはずいぶんとだらしないものなんだけれど。

恐らくは自分が今体験している快適さというのは、iモード携帯電話を使っていた人たちにいわせれば、 たぶんその人たちが8年も前に通過した場所なんだろうけれど、「携帯電話でインターネット」が 当たり前という文化に育った人、「そこまで行く」面倒くささを解消してしまった携帯機になれてしまった人には、 デスクトップPC で見るインターネットだとか、据え置きゲーム機で楽しむテレビゲームは、 そこに行くだけのほんのわずかな手間が、恐らくは我慢できない煩雑さに見えてしまうんだろうと思う。

機械がどれだけ高性能になったところで、「数歩」の煩わしさを乗り越えることは、きっと難しい。