一眼レフで猿になる

写真には正直全く興味がなくて、今までネットに公開していたわんこの写真自体、 ほとんどは奥さんが撮ったものだった。

この5年間ぐらい、うちではずっと、パナソニックLUMIX という、 たしか6万円ぐらいのコンパクトデジカメを使っていた。そこそこいい値段がしたし、 レンズもそこそこ明るかったものだから、性能的には全く不満がなかった。

アナログ写真じゃないんだから、デジタルの一眼レフというのは、どこか欺瞞だと思っていた。 信号を電子的に分割して表示すれば、わざわざファインダーを別に作る必要なんてないんだから、 可動式のミラーを内蔵させる仕組みというのは、あれは安い中身を顧客に高く売りつけるための、 メーカーの方便なんだと考えていた。

5年も使うと、カメラはさすがにくたびれてきて、近所の電気屋さんで安くなっていた、 キャノンの一番安いデジタル一眼レフカメラを買うことにした。病院から帰って箱開けて、 その日の夜、布団に入る前までのせいぜい3時間ぐらいの間に、気がついたら100枚以上の写真を撮っていた。

人が猿になる

デジタル一眼レフを買ったとたんに猿みたいにシャッター押したくなる」現象に、 はたして再現性があるのかどうかは分からないけれど、それに夢中になったことがない人が見れば本当にどうでもいいことに、時々人は、猿みたいにのめり込む。

一眼レフカメラのファインダーは、懐古趣味の光学機器だとばかり思っていたんだけれど、 「レンズ越しの遅延がゼロ」という状況を初めて体験して、行動は大きく変わった。

今まで使っていたデジカメの液晶ディスプレイだって、遅延はせいぜいコンマ秒オーダーだと思うんだけれど、 犬はよく動いて、「ここ」という瞬間にシャッターを切ろうとすると、ごくわずかな遅延が邪魔をして、 なかなかいいタイミングで写真が撮れなかった。

ファインダー越しにのぞいたわんこの顔は「遅延ゼロ」で、「ここ」というその瞬間にシャッターを切ると、 まさに今見た風景が、そこにうつっていた。「シャッター押したら見たものが撮れる」というのが、 こんなに快適とは想像できなかったものだから、気がついたら猿みたいにシャッターを連射していた。

たくさん撮るには快適さが必要

うちから車で1時間ぐらいの場所にドッグカフェがあって、予約をすると、プロのカメラマンが犬の撮影してくれる。

予約が必要だから頼んだことはないんだけれど、説明書きには、「2時間で1000枚ぐらい撮る」のだと書かれていた。 とにかくたくさんの写真を撮って、あとから飼い主さんと写真を選んで、100枚ぐらいを譲ってくれるらしい。 きれいな写真を撮るにはやっぱり数が大切で、被写体が人間だろうが動物だろうが、たぶん同じ。

以前から、だからカメラを持つときには、とにかく数を撮るように、たくさんシャッターを切るように心がけては いたんだけれど、液晶ディスプレイを見ながらだと、「ここ」という瞬間からのごくわずかなずれが、 シャッターを切ろうと思っても、なかなか押させてくれなかった。

ただ「ボタンを押す」という、ただそれだけの行為においてもまた、快適さというものが欠かせない。 ユーザーの感覚に訴えて、行動それ自体を変えるためには、エンジニアなら「誤差」として切り捨てるような、 ごくわずかな変化、改良みたいなものが、たぶん大きな差として効いてくるのだと思う。

応用

「見たものがその瞬間撮れる」みたいな、エンジニアがしばしば「誤差」として片付ける領域の気持ちよさというのは、ここを追求すると「人が猿になる」現象が起きて、いろいろ面白いことになる。

  • 恐らくはAmazon みたいな通販サイトも、すでにわずかになっている遅延をさらに減らせれば、 減らしただけ、売り上げが伸びたり、あるいはユーザーの行動が、 わずかな改良に対して大きく変革する瞬間が出現するような気がする
  • パチンコ屋さんなんかはたぶん、たとえばチューリップに玉が落ちて、玉をはじいているお客さんが「当たった」と知覚したその瞬間と、台の下から玉がジャラジャラ落ちてくるまでの時間とを、コンマ秒単位で調整すると、たぶん「コンマ秒」の変化と、そのパチンコの気持ちよさとの間に、何かの相関関係が生まれる
  • 今のパチンコは電子制御だから、「遅延ゼロ」とか、あるいは「マイナス遅延」、チューリップを玉が通過したその瞬間から「当たり」体験が始まるような調整ができるだろうから、たぶんどこかに、顧客が「猿」に変貌して、お財布が空っぽになるまでお金をつぎ込むような、そういう領域があるのだと思う
  • ゲームセンターのゲームは、「楽しむ」という意味では間違いなくパチンコ以上なのに、それがどうしてだかお金に結びついていない。つまるところ顧客という生き物は、「楽しむ」ためにお金を支払っているようでいて、彼らはもしかしたら、本来的な意味での「楽しみ」なんて、最初から求めていないのだと思う
  • 「判断」は、人を人のままに止めてしまう。「人の楽しみ」をどれだけ洗練させたところで、たぶん「猿の快適感」にはかなわない。もっと単純な、判断というより「作業」に近い行動をと、それに対する反応が、遅延なしで返ってくることが、 たぶん原始的な快適感を生む

「やりたいこと」と「実際にやられたこと」との距離を近づければ近づけるほど、その行為が原始的な気持ちよさみたいなものを生むし、個人の努力みたいなものが、それを近づけるゲームに貢献できる仕組みが作れれば、人は猿になる。

一眼レフカメラにあってコンパクトデジカメにない、たぶんパチンコ屋さんにあってゲームセンターにない、もしかしたらオンラインRPGにはちょっぴりある「何か」というものが、人を猿に変化させる要素であって、それを獲得できたプロダクトというのは、形を変えずに長くそこに止まれるのだと思う。

写真

以下、うちのわんこの写真。大きくなった。

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しっぽが体長と同じぐらいある