社会説得の考えかた

政治家の、小沢一郎の選挙に対する考えかたを読んで思ったこと。

川上から攻める

  • 小沢一郎の目指したやりかたというのは、田中角栄が昔やっていたことをそのまんま引き継いでいるのだな、と思う。小沢一郎が「若手」だった頃、田中角栄は小沢を評して「頭は切れるが目線が高すぎる」なんて評して、今たぶん、小沢一郎が「大人」になって、同じようなことを、若手に諭す立場になったんだろう
  • 「川上から攻める」のが小沢流のやりかた。川上というのは本来、いい田んぼがたくさんある場所で、古い人が住んでいる地域。小沢一郎が町を落としに行くときには、駅前みたいに目立つ場所でなく、その土地の古い人、子供でなく、親御さんたちの暮らしている、川上の集落から始めるんだそうだ
  • このへんは、「川上」さんだとか「上田」さん、あるいは「大林」さんとか、そういう名字の多い場所は古い場所だとか、たぶんローカルな地政学みたいなものが、伝統としてあるんだと思う
  • 田中角栄は大昔、握手3万回、辻説法3000回を最低必要な数として、若手議員に命じていた。自らが歩いて、そこに出向くやりかたは、それこそ若手時代の小沢が不得手で、同じ頃、「鈍牛」なんて言われた小渕元首相なんかはこれを地道にこなして、総理になった
  • このあたりを無精して、「政策」だけ語って人を見ないと、足下がふらついて、まともな政治家ができないんだと。今の小沢一郎は、若手にこんなことを諭すらしいんだけれど、当の小沢が、若手の頃には同じ誤謬に苦しんで、「切れる」なんて言われていたのに、ついに総理に手が届かなかった

政策より人を売る

  • 大手メディアを信じない、地域メディアの浸透力と重視するやりかた、政策よりも、何よりも「人」を売るやりかたというのは、実は小沢一郎田中角栄と、たぶん小泉元首相も、つまるところは同じやりかただったのだと思う
  • 小泉元首相の「ワンフレーズ」というのは、あれを聞いたマスメディアと、国民と、出てくる情報があれしかないから、あれをそのまま報道するしかない。情報が少ないということは、だから誰もあの人の「策」を論じることができなくて、小泉元首相はだから、自分の「顔」を担保に、国民に、ひたすら「信じてくれ」とだけ叫んでいたような気がする
  • 小泉政治というのは「分かりやすさ」を売っていたけれど、分かりやすさと、情報の少なさとはしばしばイコールで、あれはだから「政策重視」のやりかたでなく、策は横に置いて、とにかく「顔」と「印象」で勝負を仕掛けた、田中角栄の流儀を現代風にアレンジしたやりかただったんだと思う

小さくて強力な支持母体を作る

  • 何があっても、どんな政策をぶち上げても、ぶれずに自分の「顔」を信じてくれる集団、結びつきの強い、どういう状況でも力を貸してくれる集団を味方につけて、そこを足場に、人と人との絆が弱い、都市部に攻めていくのが政治の常道らしい
  • 小沢一郎は岩手だし、福田首相や小渕総理は群馬、田中角栄は新潟、麻生総理も福岡、鳩兄弟も、たしか地方の人。みんな自分の地盤、小さいけれど強力な足場を持って、そこから全国に攻め入っている
  • 都市型政治家と言われた小泉元首相にしてからが、あの人の地盤である横須賀という場所は、それでも神奈川県の中では比較的閉ざされたというか、都市っっぽくない、山っぽい、川上っぽい場所であると思う
  • 田中角栄が、あるいは池田大作が、毛沢東が、それぞれ多くの人の支持を得たい、と考えに考え抜いたときに、みんなが同じやりかた、「農村から都市を攻める」やりかたにたどりついた
  • 本当の意味での「都市の政治家」は、たぶん石原慎太郎閣下なんだろうけれど、石原軍団という、あれだけ強力な飛び道具を使っても、国会議員時代の石原慎太郎は今ひとつぱっとしなかった
  • どれだけたくさんの支持者がいても、東京の人たちは多様すぎて、「顔」を無批判に信じるような態度は取らない。石原閣下はだからこそ、骨の太い発言、世論にあえて挑戦するような言葉を出すことで存在感を示す、政治の主流に乗っかるために必要な「一歩」を、国会議員時代には踏み出せなかったんだろうと思う

都市のどこかに農村を見出す

  • 個人の説得を通じて社会の説得を試みる、政治家とか、宗教の人たちは、最初にだから、人間同士の絆が強い場所に入り込んで、そこに作り上げた強力な支持母体を原動力にして、キャズムの跳躍を試みた
  • 日本赤軍の人たちは、このへんを間違えて、「要するに山に入ればいいんだろ」なんて、人のいない山にこもって革命目指したから、煮詰まって、自壊したんだろう
  • 選挙ゲームというか、社会説得ゲームの必勝法は昔から同じといえば同じで、自民がずっとそれをやって、公明がそれに連なって、今度は民主がそれを継いだ。必勝法は一緒なのに、どうして自民が吹き飛んだのか、そのへんがよく分からない
  • 毛沢東流の「農村から都市を攻めよ」というやりかたは、現代においても、そのまま通用する
  • あるいはたぶん、「都市という場所のどこかに農村的な場所を見いだした者」が、都市型の選挙を制するんだと思う