白鳥は水の下で足をかく

水面に浮かぶ姿がどれだけきれいであったとしても、水かきだとか、足だとか、水面下の構造を 持たない白鳥は、いつか沈んでしまう。

ある仕事に打ち込んで、努力の見返りとして、その仕事から、見合った対価を得られる人は幸福だけれど、 それはすごくまれなことで、あるいはもしかしたら、「水の下に何もない白鳥」みたいに、 そういうやりかたは、むしろいびつなものなのかもしれない。

「成功するために本業に打ち込む」やりかたというのは案外正解からは遠くて、 むしろ「本業を楽しむために副業を頑張る」人というのが、正解にたどり着く可能性が高いような気がする。 大事なのは「本業」と「副業」と、できれば白鳥みたいに、生き物としてリンクしていることで、 「役者を目指して、副業でアルバイトを頑張る」みたいなやりかたは、それとは少し違う。

井上隆智穂というF1 ドライバー

セナが亡くなったあと、シューマッハが大活躍を始めた頃に、井上高千穂という日本人F1 ドライバーがデビューした。

日本人なのに、ヨーロッパで地味に下積みを積んでいた選手で、当時日本人ドライバーといえば 片山右京だったし、日本での知名度はあんまり高くなかった選手だったものだから、 「井上はF1のシートを金で買った」とか、たしかファンの評判はあまり芳しいものではなくて、 井上自身が所属していたチームの車も、それほど戦闘力の高いものではなかったから、 あまり活躍はできなかった。

井上選手は、ドライバーとしての腕前こそ、超一流どころには及ばなかったけれど、 スポンサーを見つけてくるのが上手で、英語での交渉が上手で、口一つ、身一つでいろんなチームと交渉して、 下位のチーム、自分が引っ張ってこれるお金で手の届くシートを「買って」はレースを続けて、 ついにはF1 のシートを「買った」。

当時はどちらかというと、井上選手のやりかたは「汚い」なんて空気だったけれど、 片手に余る数しかいない日本人F1 ドライバーとして、あの人はそれでも、大成功をおさめたんだと思う。

そこに立ち続けるためのコスト

F1 ドライバーだとか、あるいは音楽や芸術方面のメディアで活躍することは、多くの人にとっての夢なんだろうけれど、 それがかなう人はすごく少ない。それを「本業」として、その仕事に打ち込んだところで、 多くのプロドライバーや、若手の芸術家は収入が乏しいし、ほとんどの人はたぶん、 夢が破れて、経済的な成功とは無縁のまま、その場所にいられなくなってしまう。

人の注目や、尊敬を得られる場所、F1 や芸術、あるいは学会なんかもそうなんだろうけれど、 そういう場所に立ち続けるためにはコストが必要で、どれだけ才能を持った人であっても、 自らの能力を磨いて認められるまでの時間、そこに立ち続けるためのコストを支払わないといけない。

井上選手は、ドライバーとしては決して超一流ではなかったのかもしれないけれど、 ドライバーとしてそこに居続けるためのコストを支払うことができて、 たぶん「ドライバーとしての自分」を、交渉を通じてお金に換えることに長けていて、 結果として、ドライバーとしての競争なら、もっと優れていたかもしれない多くのドライバー候補を押しのけて、 F1 のシートを手に入れた。

恐らくは才能だけで成功した人なんて少なくて、偉大なF1 ドライバーが実は手強い交渉者だったとか、 大成功したミュージシャンは、実は若い頃から商売上手で、お客さんのつかない駆け出しの頃から、 小さな人数のコンサートでも、それを上手にお金に換えて、生活できていたんだとか、 みんな「水面下」で頑張っていたのだと思う。

メディアの間合いと商売

漠然と「間合いの広いメディア」と、「間合いの狭いメディア」とがあって、 スポーツや芸術方面みたいな「間合いの広い」メディアでお金を稼ぐのは恐ろしく大変で、 お客さんに直接ものを売る、「間合いの狭いメディア」というのは要するに商売そのものだから、 こちら側での活動は、たいてい直接お金に結びつく。

「趣味だからお金にならなくてもかまわない」という態度だとか、「これは人助けだと思ってやってます」なんて、 何か間合いの広いメディアで頑張って、幸運にも成功をおさめた人は、どこかできっと、「見返り」がほしくなる。 若い頃からひたすら勉強して、食うや食わずの生活で論文書いて、 やっとの思いで前任者が退官したあとアカデミックポストに座れて、今さら「本業」をいくら頑張ったところで、 たいていはお金にならないから、投入した努力は、少なくともお金で報われない。

プラチナコロイドの健康食品売ってる東大の先生だとか、ミラクルエンザイム売ってる内視鏡の権威だとか、 テレビに出まくってる脳科学者だとか、あの人たちはたぶん、駆け出しの頃、本当に頑張って、 「水面下」のことなんか、考えもしなかったんだと思う。

「間合いの広いメディアで名前を売りつつ間合いの近いところでご飯を食べる」か、 逆に「間合いの近いメディアでご飯を食べつつ、間合いの広いメディアに打って出る」のが、 正解に近いような気がする。もちろん本当に才能のある人は、「正解」なんて蹴散らしながら、 自分の信じた道を当然のように進むのだけれど。