選挙はくじ引きにすればいい

候補者の「努力」が結果に反映される、今の選挙システムというのはまじめすぎるような気がする。

選挙というものは、もっとうんと馬鹿らしいやりかた、賭け事に近い、偶然に大きく左右されるような やりかたをしたほうがいいと思う。

具体的には、投票された票については、今までどおり候補者に配分するとして、無効票だとか白票、 そもそも投票されなかった票を一つにまとめて、候補者全員で「くじ引き」を行って、 勝った人がそれを総取りできるようにする。

選挙に対する意識の高い、投票率の高い地域なら、このやりかたはなんの影響ももたらさないけれど、 投票率が低い、そのくせ結束した小さな「地盤」を持つ候補者が、ベテランの顔をして当選を繰り返すような地域なら、 たぶん当選者の顔ぶれは毎回変わる。

その地域で何度も当選しているベテランは、たとえば「飲み会の罰ゲームで立候補させられた大学生」とか、 「引退後の楽しみで運試ししている元社長」とか、今までだったらあり得ない、下手すると選挙活動すらしていない 人たちを相手に、「くじ引き」で勝負することになる。

ベテランが、ベテランらしくあろうと思ったら、地域の投票率を高めて、 なおも自分が当選するように頑張るか、毎回当選するための「努力」を放棄して「運試し」の仲間に加わるか、 決断を強いられることになる。

努力を続けている人

同期の出世頭で、東大の法科を出て、誰でも知ってる有名企業に入って、 人生絶好調が過ぎて政治の世界に足を踏み入れて、 そのあとずっと、まだ一度も当選していない男がいる。

時々名前を検索すんだけれど、党の指導なのか、出自とは全く関係のない市議選挙だとか、 国会議員選挙に出馬を繰り返して、やっぱりまだ、「議員」としての名前を見たことがない。 数年前まで候補者としての名前を見たから、きっと志は高いままに頑張ってるんだろうけれど、 前会ったときには「アルバイトで何とか食ってる」と話してたから、いまもたぶん、定期的な収入なんて 無いんだと思う。この数年、検索しても名前を見なくなって、40も近い男が、今何をして「食って」いるのか、分からない。

今政治がごたごたしていて、どの党にもたぶん、こうした「努力」を重ねている議員の候補がたくさんいて、 もしかしたら彼なんかも、「新人の」、「若手」政治家として、どこかに顔を出すかもしれない。

恐らくは、多くの若手議員なんて呼ばれている人、「二世」でくくれない経歴を持った人というのは、 たいていがこんな下積み期間を持っているんだろうけれど、こういう人たちが、 その「努力」が報われて議員になれたなら、誰だってたぶん、 その失われた15年だとか20年を取り戻したいと思う気がする。

その男が政治に舵を切らなかったなら、今もその会社は順調に経営されているみたいだから、 たぶん兵隊の位もそれなりに上がって、この15年ぐらいの時間で、 1 億円ぐらいは稼ぎ出していたはず。たとえばこの男が当選を果たしたそのとき、 誰か親切そうな人が、1 億円ぐらい持ってにこやかに援助を申請したなら、やっぱりそこで、 「志」を貫いて清貧決め込むのは難しいと思う。

たとえばある日、「君が明日から国会議員だ」なんて、昨日まで普通に暮らしていた人が、 ある日いきなり議員に指名されたなら、そこで1 億円差し出されたら、誰だって怪しむ。

ところが「努力」を積んできた人なら、その1 億円というものは、「15年前に落とした1 億円」が 入った自分の鞄なんだから、それは「懐に入れる」ものなんかじゃなくて、払った努力の当然の見返りとして、 きっと「取り戻す」べきものに見えるはず。

努力が報われない世の中というのは嫌だけれど、政治家の、その立場を得るための 「努力」というものは、世の中に、あまりいい結果をもたらさない気がする。

災厄としてのリーダーという役割

「リーダーに選ばれる」というイベントは、その人にとっての名誉でなく、むしろ災厄でなくてはいけない。

実世界で「リーダー」を任じられた人は、たぶん自ら望んでそうなったというよりも、 困難に直面したチームにあって、責任者として、あるいは失敗したときに差し出される「首」として、 無理矢理そういう立場に追い込まれたケースのほうが多い。

「リーダーになりたい人が立候補して選ばれる」という、選挙政治のやりかたは、他の業界だと珍しい。

リーダーというものは、たいていの場合、誰かが突然に指名されて、 あるいはチームから「あなたしかいない」なんて押し出される形で、 半ば嫌々引き受けるものだと思う。今の政治みたいに、候補者リストを眺めて、 「こんな人しかいないの?」なんてがっかりするという状況は、やっぱり政治限定で、 他の業界で、こういう状態に陥った企業というのは、普通この世からいなくなってしまう。

リーダーに選ばれるということは、本来が「災厄」であって、それは名誉かもしれないけれど、 責任が重くのしかかるから、「やりたい」なんてたくさんの人が手を挙げる状況はちょっとあり得ないし、 たぶんリーダーは、「やりたい」人に任せるよりも、むしろ「嫌だけれどそうならざるを得ない」誰かを捜してきて、 その役割を押しつけるほうが、チームは上手にガバナンスされる。

「本当はリーダーなんてやりたくなかった」という思いが、たぶん正しい判断を導く。 「さっさと辞めたい」リーダーは、メンバーの顔色をうかがう理由が存在しないから、 チームにとって、最適と思える判断を下す可能性が高くなる。

「その仕事をずっと続けたい」と思うリーダーは、「チームにとって最適」な判断よりも、 もしかしたら「仲間受けのいい」判断を優先して、組織の判断を誤ってしまう。 世の中が上手く回っているときには、両者の解離は目立たないけれど、困難に直面した状況で、 仲間の誰もがいい思いができる判断は、たいていの場合、チームの全滅を招く。

選挙はくじ引きでいいと思う

今の選挙のやりかたは、「その仕事を続ける」ことと、「いい判断を下す」こととが、同じ方向を 向いていなくて、民意を反映して正しい判断を下す、政治家というお仕事本来の振る舞いを目指した人は、 たいてい勝てない。

選挙で勝とうと思ったら、結束力の高い支持者を固めた上で、あとは投票率が低ければ低いほどに、 その地域での、政治に対する関心が低いほどに、その候補者が次も当選する可能性が高くなる。

もちろん投票に行かないことだとか、あるいは政治に無関心であることは、それはその人の責任ではあるんだけれど、 政治に関心を持ってもらって、多くの人に、投票所に足を運んでもらうこともまた、政治家の仕事なんだと思う。

地元の関心を高めて投票率を上げる、政治家本来の「仕事」に背を向けた候補者は、 こんどは「くじ引き」という、阿呆で理不尽なシステムに対峙することになる。

政治家はだから、馬鹿らしくてこんな仕事を続けられなくなるか、あるいは本気で「いい政治家」を目指すか、 どちらかを選択することになって、「政治家になるために努力する人」だとか、 「政治家であり続けるために努力する人」は、この業界からいなくなる。

それでも政治をまじめにやりたい人は、せめて自分の地域だけでも、政治に対する関心を高めなくてはならないし、 カルト宗教直結の政党なんかは、「選挙戦略」なんて姑息なやりかたに頼ることなく、今度は政治に無関心な地域に 候補者を送り込んで、正々堂々、教祖の法力で運を呼び込んで、くじ引きに勝利すればいいんだと思う。