時が止まっていた

NHKクローズアップ現代で、小学校教育が特集されていた。「最新」の教育手法が、 見ていてなんだか懐かしくて、その懐かしさに、ぞっとした。

紹介された「最新」技術は、自分が昔習ったやりかたに、あまりにもそっくりだったから。

昔からある最新のやりかた

学校の算数について行けない子供というのは、問題文を画像化して考えるのが難しくて、 試験問題の文章を読んでも、それがいったいどんな情景を意味しているのか、 頭の中でそれを画像化できないから、問題が解けないんだという。

ちょっと前に流行した「百ます計算」みたいなやりかたは、作業効率の上昇を狙った手法で、 あれはそれなりに問題を解ける子供が、能力をもっと伸ばすのには役に立つんだけれど、 問題解決のボトルネックが「理解」にある子供には、あんまり役に立たないらしい。

番組 で取り上げられていたのは「絵解き文章題」という手法。問題文を読んで、 それを漫画みたいに落書きしてみたり、問題文に「○メートル」なんて長さの記載があったら、 まずはそれっぽい長さの線を引いて、とにかく問題文を、画像にして考えさせるやりかた。

このやりかたを習っていた子供のノートが放映されて、それがあまりにも、 昔自分が書いてたノートにそっくりで、怖くなった。

日能研の昔

昔、たまプラーザの日本能率で、1期生だった。

25年以上前。たまプラーザの駅前にはイトーヨーカードーぐらいしかなくて、当時は発売されたばっかりの「ぴゅう太」を目当てに、塾に通っていた子供同士、日能研の授業が始まる1時間も前におもちゃ売り場に乗り込んでは、 店員さんに怒られるまで遊んでた。

塾の授業では、「絵を描きなさい」だとか、「時間はたっぷりあるんだから、 絵を描く余裕は十分あるから安心しなさい」だとか、「最新」のやりかたを仕込まれた。

できたばっかりの日能研は、講師の人たちは大学生みたいな年格好だったし、教室も4つぐらいしかなくて、 ちょっと大きな田舎の寺子屋みたいな雰囲気だった。学校というよりも遊び場に近い雰囲気で、 建物に入って、挨拶もそこそこに事務室奥のソファに陣取って、勝手にアイスコーヒー飲んだりしても、怒られなかった。

マッチ箱にマッチを詰めて、授業に山ほど持ってきた先生がいた。

10の桁上がりだとか、割り算を教えるのに、マッチ箱の中には10本ずつのマッチが入っていて、 マッチ箱を重ねて、算数の手ほどきを受けた。「いい答え」だとか「ひらめき」を得られた子供には、 ご褒美として宝石の原石をくれた。磨くときれいに光るんだとかで、あれがすごくほしかったんだけれど、 手が届かなくて悔しかった。こんなやりかたもまた、「マッチ箱」が「キャラメルの箱」に置き換わっていたけれど、 番組にそのまま登場してた。

当時はたぶん、塾の人たちにだって、何か最新の、ものすごい教育手法を伝授しているなんて意識はなかったと思う。 日能研はまだまだ小さな塾だったし、当時はもっと、名前の通った、「頭のいい子」が行く塾は、たしか別にあったから。

「学校の子供」と「塾の子供」

「塾の子供」は、必ずしも頭のいい子供ばっかりではなかったような気がする。

小学校4年生で連立方程式が解ける同級生もいたけれど、自分にそれが理解できたのは 中学校に入ってからだったし、受験勉強して、 入学試験を受けたまさにそのときまで、自分が算数の問題を解くときには、「とりあえず漫画」だった。

実際問題、自分の成績は悪かった。

学校には昔から「田舎の神童」がいて、医学部の同級生にしても、100人いれば何人か、塾にも受験校にも縁がないのに、勝手に成績がよくなった奴というのがいる。地頭がものすごいから、塾の助けなしに何でもできるこういう連中がいるから、たぶん公立の学校は、やりかたを変える必要はないと判断したのだろうけれど、「塾のやりかた」で救われた人は、少なくないんだと思う。

学校の成績が悪くて、親に連れられて、当時できたばっかりの、日能研の門を叩いて、 日能研には試験があって、その試験の成績もやっぱり悪くて、父親から怒られて、 頼み込んで再試験させてもらって、やっと拾ってもらった。拾ってもらって成績伸びて、 そのうち学校の試験では100点以外取れなくなって、同じ頃、学校は、「塾の子供」と「学校の子供」に分かれた。

「塾の進度が速すぎるから」と説明されていたけれど、どこでも塾に行っている子供は、学校の試験は 満点以外取れなくて、意味がなくなってしまった。個人の能力なんて、こうなると全く評価できなくて、 学校の先生は、「満点は0点」というルールを導入した。

「塾の子供」は0点ばっかりになった。

「全問正解は0点」ルールのもとでは、間違えることこそが学習だから、間違えない子供の解答は、0点になった。

何となく、「ゆとり教育」のことを考える。塾組と、「学校の子供」と、もはや絶対に超えられない断絶が そこに生じて、「ゆとり教育」を決断した人たちは、成績というパラメーターに背を向けた。生きる力だったか、 とにかく試験で測定できないパラメーターを大切にしようだなんて、断絶にそっぽを向いた。

止まった時間のこと

自分は一応、曲がりなりにも受験校経由で医学部を卒業できたから、日本能率のやりかたは、 「正解」だったと今でも信じているけれど、裏を返せば25年前、田舎の塾で普通にやってたやりかたが、 今の公立学校で、ようやく「最新」だなんて注目されることが、ちょっと信じられない。

25年あれば、大戦末期の零戦が、F14に進化する。

自分たち「塾の子供」がF14で飛び回るその横で、公立学校の理念がどれだけすばらしかったところで、 「学校の子供」が乗っているのは零戦なんだから、そもそも勝負になるわけなかった。 25年というのはそういう時間で、それがあったから、自分は「お得」な思いができたのだろうけれど、 この25年間、「F14」に乗る機会を逸して、それでもそれが「正しい」ことにされた人は、 損をしているんだと思う。

懐かしいどころか、そもそもそう習ったことすら忘れてたぐらいに昔のやりかた、当時の自分たちも、 教えてくれた先生たちも、そのやりかたが画期的にすごいだなんて思ってもいなかったような教わりかたが、 今になってやっと、公立学校の「最新技術」。教育の方針を決める上の人たちが、今までいったい何を見ていたのか、 気持ち悪いぐらいにそっくりな、「最新」教育の授業ノートを見ながら、どうにも理解できなかった。

「塾の子供」の断絶を肌で感じて、それでもそれを取り入れようとしなかった公的教育機関の上の人たちは、 いったい何を持って「いい教育」を定義していたんだろう。

プログラマーDankogai さんなんかは、むしろ学校を捨てたことで自分が伸びたみたいなことを言っておられたし、 こういうのはもちろん、個人の向き不向きはあるはずだけれど、自分は正直、日能研の人たちがいなかったら、 今とは全然違った人生歩んでいたと思う。