「もの」と「情報」の界面

命令だとか理屈、説得といったやりかたとは別に、 「もの」それ自体に込められた情報を利用したやりかたは、 その人の振る舞いを、強力に縛れるような気がしている。

風邪に食べ物を処方する

タミフルなんかはむしろ例外的で、風邪みたいなウィルス感染症に対して、 自分たち医療従事者ができることなんて、実際問題ほとんどない。

それが本当にウィルスの感染症ならば、暖かくして家で休んでいることが、本人のためにも、 まわりの人のためにも一番望ましいのだけれど、たいていの人は、守れない。

こういう患者さんに対して、風邪薬を処方して、「家で安静にして下さい」なんてお願いするのでなしに、 「暖かくして家で寝るためのセット」を、保険で「処方」してしまうと、家で安静にする人が 増えると思う。

「安静にして下さい」なんて言われたところで、何もしないでじっとしているのは苦痛だし、守れない。

ところがそれがあんまり積極的に食べたいものでなかったとしても、白衣を着た人間から、 「5日間これを食べて下さい」なんて指示されて、5日分の食料と水とを押しつけられたら、 たぶんそれなりの割合の人が、そのとおりに行動する気がする。

赤い羽根には逆らえない

言葉の拘束力はしれているけれど、「もの」が規定する力というか、それが規定する振る舞いには、逆らいにくい。

赤い羽根の共同募金で、胸に羽根を貼り付けられた人は、それからしばらくの間は「いい人」になる。 簡単な実験系を組んで、赤い羽根を募金の対価としてでなく、一方的に、道ゆく人の胸に貼り付けても、 たぶん羽根をもらった人は、一定の確率で「いい人」になってしまう。

たとえば赤い羽根を胸にくっつけられた人の帰り道に、段ボール箱に子猫を入れた奴を仕掛けておくと、 羽根をもらわなかった人に比べて、子猫が拾われる確率は高まるような気がする。

それが単なるレトルトのおかゆであっても、「それを自宅で食べきることが治療である」と宣言されて、 パックに「治療用」なんて書かれたおかゆは、たぶんそれをもらった人に「病人らしさ」という振る舞いを強制して、 その人の外出確率を下げる。

偽薬による「治療」と、やっていることは全く同じなんだけれど、偽薬というのはたぶん、 「振る舞いを後押しする形」をしていることに、重要な意味がある。

アフォーダンスで動作を記述する

禁煙用のニコチンガムや、ニコチンパッチは、あれがガムであり、パッチの形をしていることが、 たぶん欠点になっていて、「喫煙する」という、たばこ本来の動作を置換できていない。

たとえば、薬理的な効果をもたない「禁煙パイポ」を、病院でとりあえず200本ぐらい、 黙って処方箋を切って、相手に押しつけてしまうと、その人は、その200本を消費するまで、 次のたばこを買いづらいような気がする。

薬というものは、人体のある反応を、別の反応で置換することで、特定の効果を発揮する。 人の動作というものもまた、「もの」が後押しする特定の振る舞いを利用したり、同じ形の、 違った機能を持った何かで、その人を取り巻く「もの」を上書きすることで、 その人をコントロールできるのだろうと思う。

「もの」と「情報」との境界は、たぶん相当にあいまいなもので、 「アフォーダンスで環境を上書きする」手法というものが、これから先、たとえば医療だとか、 あるいは広告の業界で、安静を指示する「もの」だとか、食欲や、 購買意欲を後押しする「もの」のデザインや、機能の上書きといった形をとって、 きっと伸びてくるんだろうと思う。