ステレオタイプの疲弊

深夜の救急外来、よく分からない訴えの患者さんを載せた救急車を出迎えたら、 旅行鞄に大荷物抱えた患者さんのご家族が降りてきたことがある。「どうしましたか?」なんて、 いつもの問診取り始めたら、「どうもこうもない、今すぐ入院させろ!」だなんて、 お父さんから怒鳴られた。ゴールデンウィーク直前、まだ研修医だった頃。

何とかなだめて話を聞いて、要するに年寄りを旅行期間だけ引き取ってほしいだなんて、いつもの話。 ゴールデンウィークに旅行の計画を立てたけれど、 家にいる年寄り一人、引き受け手がいないままに時間だけが過ぎて、 飛行機の予約ぎりぎりのタイミングが「今」なのだと。

もう時間がないだとか、自分たちは悪くないんだとか、親戚は誰も引き受けないとか。 どこも悪くない、普通に歩ける高齢者挟んで、怒る父さんと研修医、明け方まで押し問答した。

あの頃はまだ、こんなケースは珍しかったけれど、今年のゴールデンウィークはたぶん、 日本中こんなだったはず。

診断学が通用しない人が増えている

それは「元気だけれど入院希望」の人だったり、「何ともないけれど湿布だけ山程希望」の人だったり。

目的をはっきり持っていて、にもかかわらず、病院側は、典型的な患者像として 想定していない人達。こんな人には、伝統的な診断学のやりかたが通用しない。

伝統的な診断学で想定している「患者さん」は、みんな普段は元気な人で、 何か特別な訴えを持ったから、病院にやってくる。体にはどこか、悪い場所が確実にあって、 丁寧な問診と理学所見とを行えば、検査をしなくても病気が分かる。そういうことになってる。

今の患者さん達は、「何もないこと」の証明を買いに来たり、「苦しんでる自分」を承認してもらいに来たり。 あるいは高齢の患者さんなんかは、そもそも痛くても「痛い」と訴えられないし、 腹膜炎起こしてても、腹筋ないからお腹が柔らかかったりする。

医療は一応進歩して、いろんな訴えに対応できるようになってきたけれど、 診断学はたぶん、こうした患者さんを最初から想定していない。想定していないから、 「証明」とか「入院」とか、何かの目的もってこんな人達に来られても、 医師が「医学」の範囲に留まっている限り、こんな人達には手が出ない。

「いつまでも居ていいんですよ」とか言ってみたい

医学が想定している患者さんは、訴えと原因とを持って病院に来て、 何とかそれが落ち着いたら、今度は一刻も早く退院したがる。医師は本来、 早く帰ろうとする患者さんを何とかなだめて、「お願いだからもう少しだけ待って下さい」なんて、 お願いするのを「お仕事」として想定している。

状況がこんな「引っ張り合い」なら、そもそもトラブルなんて起きないんだけれど、 今起きてるのは押し合い。患者さんのご家族は、一度入院をゲットしたなら 「できる限り長く入院させて下さい」なんて、交渉の出だしは「2ヶ月」ぐらいから。 2ヶ月見込んでるご家族に、主治医が「明後日帰れると思います」なんてやるから、必ず怒られる。

怒られるの嫌だし、病院は本来サービス業なんだから、 「いつまでも居ていいんですよ」なんて、言えるものなら言ってみたい。 医師は「いつまでも…」で患者さんを引き留めて、患者さんは 「やっぱり家が一番です」なんて、それを断る。大昔なら 当たり前だったこんな光景は、今はありえない。

ステレオタイプは疲弊する

たぶん医療以外にもいろんな分野で、「ステレオタイプの疲弊」が生じている気がする。

病院もそうだし、刑務所なんかもまた、今は「刑務所に入るために犯罪を犯す」高齢の人 なんかが増えてきていて、懲役という罰則それ自体が揺らいでるらしい。

トラブルもなく暮らしてた犯人が、ある日ふと思い立って、車でどこかに遠征して、 これといった動機もないのに「何となく」人を殺したなんて報道が増えた。 昔の刑事ドラマに必ず出てくる「地元のワルに顔が利くベテラン刑事」とか、 こんな人達に対しては、たぶん今まで蓄積したノウハウなんか役に立たない。犯罪捜査なんかもたぶん、 「犯罪は、犯罪を犯しそうな人が、動機を持って行うもの」みたいなステレオタイプを想定しているはずだから。

各々の業界には、それぞれ想定しているステレオタイプがあって、そこから外れる人が 増えて行くに従って、その業界が持っている昔ながらのやりかたは通用しなくなっていく。 業界が変化するのはすごく難しいから、今度はたぶん、「自分が顧客であることの立証責任」みたいなものが、 サービスを提供する側から、顧客側へと委譲されていく流れが来るのだと思う。

医学的には元気だけれど入院希望の人とか、とりあえず「大丈夫」という承認だけほしい人とか、 現行ルールでは対処できないし、ルールの枠超えて対処しようとすると、結局トラブルになる。 そういう人達にはだから、医療者側が笑顔で100% 応じる代わりに、入院費用とか、 検査費用とか、今までの10倍ぐらいに、対価を大幅に高く設定する必要がある。

医療に関する費用が大幅に上がった段階で、病院にかかる全ての人は、まず一様に「損」をする。 従来どおりの「想定された患者」さんは、あとから役所に出向いて申請を出せば、 支払ったお金の大半が払い戻される。

最近になって増えてきた、「想定されてない」患者さんは、たとえば検査データの基準なんかが 「想定された患者」の基準を満たせないから、お金が返還されない。そんな人達はだから、いつでも好きなだけの サービスを受けることはできるけれど、それをやるためには、高い対価を覚悟しないといけない。

役所の判断機能が極めて高くなる、「独裁国家」みたいなやりかただけれど、 このルールだとたぶん、「まじめな」患者さんが得するはず。

独裁国家は「まじめ」が得をする

「平等」な社会では、「弱い」人達が得をする。

「自由競争」社会は、「強い」人達の一人勝ち。

ステレオタイプをまじめに守ることしかできない中間層は、社会がどちらに転んでも、 いつも一方的に損をする。

「独裁主義」というルールは、たぶん弱い人たちと、独裁者の気にくわない「強い」人達とが割を食って、 独裁者から「かわいい」と認定された中間層は、もしかしたら得をする社会。社会が「平等」と「自由競争」との 間を揺れて、それでもやっぱり損をして疲れた「中間」は、だからしばしば「強いリーダー」を求めたり、 独裁的な社会を支持したりする。

犯罪捜査に「独裁ルール」を適用すると、たぶん「怪しそう」という理由一つで、 その人が牢獄に送られる社会になる。髪染めてたとか、ベルトの穴一つ外してたとか、 そんな理由でも捜査官に呼び止められて、「とりあえず牢屋に入っといで」なんて言われる。 牢屋に入ったその段階で、その人がいくつかの「基準」を満たせれば、その人は解放されて、 今までどおりの日常生活を送れる。

えん罪山積みのやりかただけれど、捜査官が想定した枠から外れた犯罪者が これから増えて、現場を回す捜査員の数なんかも増えるどころか減らされて、 あまつさえ「市民の声」が、「安心できる社会」を叫んだりするならば、 立証責任が顧客側に回ってくる、こんな流れが出てきてもいいような気がする。

アクセスと、コストと、サービスの質と。サービス業は、これら3 つのうち、頑張れば2 つまでは達成できる。 全てをあきらめきれなくて、もう一つ、「もっと安くしろ」なんて要望が来たら、サービスを提供する側は、 たぶんルールの改変を望むようになる。

「強いリーダー」が全てを支配する社会は、案外いろんなサービス業界で、支持を集めるんだと思う。