規格の制定と多様性

景気対策というか、縮小しつつある業界に活気を取り戻すのに必要なのは、補助金みたいなやりかたでなく、 プロダクトをいくつかのモジュールに切り分けて、モジュールのプロトコルを規格で決定して、 プロダクトに多様化をもたらすことなんだと思う。

新しいPCを買った

今まで使っていたDell のテレビパソコンが昇天して、結局新しいPCを買った。

Dell は安くて良く設計されていたんだけれど、以前みたいなテレビPCを選べなかったから、 2ちゃんねるで評判が良かった「サイコム」という業者さんに、組み立てを依頼した。

規格化された、汎用部品をねじで組み上げるPC は、CPUやメモリの量、電源の容量や銘柄は言うに及ばず、 PCケースだとか、ケースの冷却に使うファンの銘柄まで指定できて、いろいろ調べて、 秋葉原集合知というか、2ちゃんねる御用達の部品を集めたような、部品を選んで、 巨大なケースの、そんなPCが自宅に来た。

壊れたDell は、よく設計されていた。ほとんどあらゆるパーツははめ込み式の専用部品で、 たとえばCPUクーラーをカバーするプラスチック部品は、同時にビデオカードを支えたり、 電源コードを押さえつけたり、あらゆる部品は、何か2つ以上の役割を担っていた。 部品には、「そこにある」必然があって、部品の配置だとか、配線の引き回しだとか、 これ以上「いい」やりかたを、ちょっと思いつけなかった。

Dell はその代わり、分解するのは大変だった。電源回路をちょっと外そうにも、 外せるパーツを全部外してまだ足りなくて、CPUクーラーをマザーボードから外さない限り、 裏側に通っているコードが抜けなかった。どこかのパーツを交換しようにも、ほとんど全てのパーツが はめ込み式の、専用設計のパーツだったから、どこか壊れても直せなかった。

汎用部品を組んでもらったサイコムのPCは、Dell に比べると詰めが甘いというか、 部品は規格に従ってねじ止めされているから、裏を返せば「ドライバーが入る隙間」があって、 その分だけ、部品の実装密度が甘く見えた。その代わり、部品を外すのは簡単そうで、 なによりも、どの部品も、「秋葉原まで行けば同じものが買える」という安心感があった。

汎用部品は、部品ごとの交換ができて、交換できるから比較ができて、いろんな人が、比較をした結果を公開していた。 実際のところ、自分の選択がベストなのかどうかは分からないけれど、いろいろ読んで、 目的に合いそうな部品を選択した満足感は得られたから、購入したPC には、それなりに満足できた。

自動車にも「ディレクターズカット」がほしい

今乗っているヴィッツがもう8年目に突入するから、そろそろ新しい車を買おうかな、なんて考える。 普段は1人乗りで、時々2人と1匹に増える使いかたをして、いまは「ラクティス」という、 背の高い車がほしいんだけれど、なかなか難しい。

自分がほしいのは、そこそこ回るエンジンと、固めた足、いいブレーキだけで、 犬乗せるから、内装なんかはむしろ、一番安い、プラスチックのほうがいいんだけれど、 そういうグレードは存在しない。「いいブレーキ」なんてものを目指した時点で、 車は自動的にスポーツグレード限定になって、今度は使いもしないパドルシフトだとか、 滑るばっかりの革巻きステアリングだとか、絶対使わない、むしろ迷惑なおまけが、たくさんついてくる。 自動車を分解することなんて、素人にはもちろんできないから、「お金払ってもいいから、これ外して下さい」なんて やりかたも、やっぱり難しい。

初代プリウスは、試作段階では、けっこう「走る」車だったんだという。

ボディ剛性が高かったからなのか、サスペンショングループが頑張って、 わずかに固めた足回りを作ったら、主査の人が驚くぐらいに、よく曲がって、よく走る車になったんだという。 「走るプリウス」は、たしかに楽しい車だったらしいのだけれど、最終的に、 「これはトヨタの目指す車の方向ではない」ということで、もっと足回りを軟らかくする方向に、修正されたんだという。

プロダクトは、「らしさ」に支配されてしまう。

試作された車は、開発にかかわった技術者ごとに、途中でいろんな個性を身につけるのだろうけれど、 最終的には、たぶん「トヨタらしさ」みたいな、一つの方向に支配されてしまう。もちろん予算の制約だって 大きいのだろうし。

改造車を作るメーカー、トヨタならTRD だとか、日産だったらニスモだとか、 BMW だったら Mスポーツだとか、ああいうところもやっぱり、それぞれの「らしさ」に縛られる。 ちょっとだけ固めた足回りが欲しくても、スポーツを志向する、そんな会社には、「ちょっと」を 求めるのは厳しいだろうから。

自動車は、いろんな技術者の共同作業だから、たぶんそれぞれの技術者が、 かかわった車に対して、「こうしたかった」という思いを持っているような気がする。 映画の「ディレクターズカット」と同じく、自動車にも、たとえばサスペンショングループの、 ボディグループの、あるいは内装制作チームの、それぞれのディレクターズカットを設定してほしいなと思う。

メーカーが販売する一般グレードに、価格を上乗せして、メーカーの、ブランドの「らしさ」とはちょっと外れた、 その車にかかわった技術者の、「らしさ」を購入できたなら、満足感高い気がする。

性能でなく物語に価値が生まれる

プロダクトは、それを個人の手に負える大きさに切り分けて、モジュールどうしの 通信プロトコルを規格で固定することで、多様性を得ることができる。

汎用部品の参入を許す、こうしたやりかたは、モジュールを開発する人、 部品を選んでプロダクトを組み立てる人、それぞれが、好きなスケールで、 プロダクトと対峙できる。

大きなスケールでプロダクトに取り組みたい人は、好きなモジュールを選んで、 一つのプロダクトを組み上げて、それを世の中に問えばいいし、 何かを一から開発したい人なら、とりあえずはモジュールを一つ開発して公開することで、 少ないリスクで、素早いプロトタイピングができる。

最初から「完成品」を志向するやりかたは、大企業でないと難しい。

自動車なんかは、安全のこともあるのだろうけれど、経験知の固まりみたいな機械だから、 今ある大メーカーには、モジュールを志向するメリットがなくて、分割不可能なプロダクトを、 陳腐化させつつ世代を重ねていくやりかたが続いている。

陳腐化を繰り返すことで、同じユーザーに新しい製品を販売できるし、競合者は、業界から締め出されていく。 業界が膨らんでいくときには、こうしたやりかたは有効なんだろうけれど、 多様性は失われて、トヨタなんかは数え切れないぐらいの車を作っているのに、それは「トヨタの車」らしさを どこかで引き継いだ、多様とは対極にあるもの見えてしまう。

購買というものは、つまるところはお金を支払って満足を買う行為で、業界が膨らんでいくときには、 「安さ」とか、「よさ」といった価値パラメーターを満たした製品が最強なんだろうけれど、 購買による満足度が伸び悩んでくると、恐らく「よさ」は力を失う。無理してすごく安くした車だとか、 あるいは今以上に、劇的に高性能な車だとか、今はそういうのを発売しても、満足度は上がらないし、 購買にはつながらないような気がする。

むしろ「自分で選んだ」だとか、「サスペンショングループが本当に作りたかった足回り」だとか、 性能でなく、ユーザー自身の関わりや、そのプロダクトにまつわる物語ごと購入してもらう、 というった価値軸に、満足度が生まれる気がする。

業界で、「モジュール」と「プロトコル」を、できれば国をバイパスする形で作れたら、 ATX 規格のPC みたいに、電動スクーターだとか、できれば自動車だとか、 メーカーをまたいだ「汎用部品」からあれこれ選んで組み上げられたら、きっと面白いと思う。