「グダグダ」駆動型の問題解決手法

政府が「まだ感染の拡大を阻止する時期だ」なんていう立場を崩していない中、大阪と神戸の人たちは、「もう感染は蔓延しているから、発熱外来に患者さんを集中させても意味がない」、という認識を表明して、「蔓延期」のやりかたに舵を切った。

恐らくこれからは、全ての一般病院で通常の診察が始まって、タミフルだとか、検査キットだとか、今まで流通が止まっていた道具が解禁されて、あのエリアは落ち着きを取り戻すんだろう。

新型インフルエンザが、弱毒のまま経過していく、という前提が崩れない限り、神戸や大阪の人たちがやろうとしていること、あるいは、大阪の橋本府知事が最初から言っていたような、「そんなに重たく考えるのを止めよう」という立場が正しくて、そっちのほうがお金がかからないから、他の県もこれから、神戸や大阪に続くのだと思う。

グダグダではあったけれど、結果として日本は、だいたい1週間ぐらいの経過で、世界レベルの、常識的なやりかたに軟着陸しつつある。

方法論として総括するなら、これはもう、リーダーの失政であって、ここまでに至る過程は「最悪」の一言だったけれど、課程の評価をすっ飛ばしていいのなら、「外国に右にならえ」をするわけでなく、地域ごとの試行錯誤を促した帰結として、ボトムアップのやりかたで世界レベルの解答にたどり着いた、と解釈してもいいのなら、「グダグダ駆動」の問題解決というのは、案外「あり」なんじゃないかなと思った。

「グダグダ」を成功させるのにも、必要な条件というものがある。

  • 上層部は、誰もが認める「無能」でなくてはならない。上司が中途半端に有能だと、現場はその人の判断を待って、 自ら動こうとする動機を失ってしまう
  • しかたがねぇな」という空気がアイデアを生む。今の時代、失敗のコストが圧倒的に高くなってしまうのは、たぶん全世界共通で、今更これを変えるのは無理。その代わり、「上司が無能で、組織が傾く」という、有事というエクスキューズが入ったのなら、失敗コストをそのときだけ下げることができる
  • 上司の役割は、だから「無能な上司それ自体が有事」という空気を作りだすことにあって、上層部から、積極的にグダグダ感を発信して、一刻も早く、現場に「有事」の空気を生まないと、グダグダ駆動はうまくいかない
  • 問題を解決するための資源を最初から分散しておかないといけない。タミフルだとか、検査キットは、県のレベルで流通を管理できたから、今回は、アイデアが生まれた。これがたとえば自衛隊管理だとか、国家管理だったなら、知事にできることといえば、国にお祈りするか、クーデターを起こすことぐらいだった
  • 問題の大きさを、知事だとか、市長だとか、「手に負える」大きさに切り分けて、兵站まで含めて、現場に「丸投げ」してしまわないと、「グダグダ」は生まれない
  • 制約要素をあらかじめ宣言しておくと、それが多様性を生み出すかもしれない。今回の事例では、財務省の人たちが、「対策にはビタ一文出す必要を感じない」なんて宣言した。これがもしも「予算も物資も天井知らずだ」なんて宣言だったら、たぶん単なる予算獲得競争になって、アイデアは、問題解決の方向を向かなかったかもしれない
  • 政府の人たちがもしももう少し責任意識が強かったなら、薬品なんかを「国家備蓄」にして、いざというときには我々が積極的に管理します、なんて立場を表明していたのなら、今回のような、「我々は勝手にやる」空気は、そもそも生まれなかった
  • 比較可能な「ものさし」を決めないといけない。今回の状況で行くならば、それは「予算」であって、「外来の待ち時間」だった
  • 発熱外来を運営するのにはお金がかかって、企業や学校の運営停止命令は、経済的なダメージがすごかった。大阪や、神戸の決断は、少なくとも「お金がかからない」だとか、外来の「待ち時間が減る」といった、比較可能な効果をもたらすはず
  • ここで「ものさし」が不在になってしまうと、たとえば舛添大臣が提案している「犠牲者ゼロ」なんてものさしは、これはインフルエンザの流行が終わってみないと、計測も、比較も不可能だから、「グダグダ駆動」ができない
  • 使えないものさしを提示されると、みんなは「汗の量」で、物事を評価する。役立たずでも、「一生懸命やった」ことが評価されてしまうし、有用な対策を打ち出したところで、それに要した「汗の量」が少なかったら、もしかしたらせっかく生まれた合理的なやりかたは、広まらない
  • 上層部は浅ましくないといけない。よさげなアイデアが生まれたら、さっさとそれを「自分の手柄」として自画自賛して、全国に広めないといけない
  • なまじっか上層部が謙虚で、そこで「よりよいやりかたを学ぼう」会議を主催したりすると、いい意味で場当たり的な、うまくいったやりかたは、「委員会」が生み出す鈍重な第2のシステム、牙を抜かれた、役立たずのものになりかねない

限界はあるだろうけれど、日本には、こういうのがあってるような気がする。