プロカルシトニンの社会的有用性について

今作っているのは「症状」で分類した教科書で、患者さんはたいていの場合、何らかの「症状」を抱えて病院にやってくる。

西洋医学は「臓器」で分類されていて、医師国家試験は全ての臓器を網羅しているから、 医師はあらゆる臓器を診察できることになっていて、「症状」を「臓器」へと翻訳する工程は、 建前上、誰でも問題なくできることになっている。

実際にはもちろんそんなことはなくて、病院にはだから、いくつもの科があって、患者さんはしばしば、 「この患者さんは少なくとも、うちの科の領分じゃありません」なんて、症状を抱えているのに、 いろんな科から「うちじゃない」なんて、理不尽な返答をもらう。

検査の社会的有用性

主治医が決まらないと治療は始まらない。「うちじゃない」問題が発生するような患者さんは、 たいていの場合、どの科の医師にしても、きちんと診療する自信が持てないから、 そういう患者さんを診たときには、どこかの科に「押し込む」ことを考えないと、話が前に進まない。

検査には、医学的な有用さとは別に、社会的有用性というパラメーターがあって、 外来で「うちじゃない」問題が発生したとき、こういう検査が活躍する。

たとえば循環器内科領域には「BNP 」という検査項目があって、これは心不全を持った患者さんで上昇する。

循環器内科以外では提出されない検査だけれど、 胸が苦しいだとか、息が苦しい、という訴えをした患者さんでこれが上昇していると、 その人はもう、間違えなく循環器内科の患者さんであって、担当医は言い訳できない。

BNP は、この検査を提出しなくても、診察にはそれほど困らないのだけれど、 自分たちが「うちじゃない」をやるときだったり、専門施設に よく分からない患者さんをお願いするときだったり、社会的な問題を解決する必要が生じたときに、 この検査は大いに役立つ。

不明熱が難しい

「吐血」や「咽頭痛」みたいな、その症状を受け持つべき専門科がはっきりしている症状なら、 そもそもこうした問題は発生しない。

「呼吸困難」だとか「胸痛」みたいな症状もまた、振り分けが問題になるのはせいぜい2科だから、 いくつかの検査を提出すれば、「うちじゃない」問題は回避できる。

ところが「不明熱」だとか、「全身倦怠感」あたりになると、 そうした症状を生じる疾患は無数にあって、たいていの場合、 患者さんがどの科の門を叩いても、「うちの疾患じゃありません」なんて返事が返ってくる。

今作っている本にしても、簡単なマトリックスを使って、症状ごとに提出すべき検査の図示を試みているけれど、 「熱が出た」という症状と、「だるい」という症状については、こうした図版が破綻していて、 いきなり複雑になって、このままではたぶん、役に立たない。

「熱」や「だるさ」という症状を生じる疾患のうち、疾患名だけで勘定すると、だいたい半分ぐらいが感染症で、 残りのさらに半分ぐらいが、膠原病だとか、血管炎だとか、リウマチ膠原病疾患。残った1/4を、 悪性腫瘍だとか、内分泌疾患で分けることになる。

受け持つべき疾患が一番多いから、「不明熱」の患者さんが相談される先は、何といっても感染症科に なるはずなんだけれど、感染症の教科書には、不明熱の対処に関する記載が少ない。

有名な青木先生の教科書にしても、不明熱に割かれているのはせいぜい20ページぐらい。 原因の分からない患者さんに対して、感染症科ならではのやりかたで疾患名を当てるやりかた、 何かこう「必殺技」的な、「裏技」的なやりかたを期待して読むと、肩すかしを喰った気分になる。

不明熱に関する記載が充実しているのは、むしろリウマチ膠原病疾患の教科書だとか、血液内科の教科書で、 恐らくは「熱があるけれど分からない」患者さんの多くは、「分からないけれど細菌が原因」という状態を 検査で証明できないから、白血球が高いだとか、CRP が高い、といった理由にこじつけられて、 膠原病内科やら、あるいは血液内科に紹介されているのだろうと思う。

新しい検査が門を開くかもしれない

去年ぐらいから使えるようになったプロカルシトニン という検査があって、これが一般診療で普及するようになったら、あるいはこうした状況が変化するかもしれない。

この検査はCRPと同じく、炎症があると上昇するマーカーにしか過ぎないけれど、 細菌感染症に特異性が高くて、膠原病だとか、ウィルスによる発熱のときには、あまり上昇しないらしい。

今はまだ、敗血症の重症度判定に使われる程度だけれど、これが一般内科外来で気軽に提出されるようになると、 「分からないけれどとりあえず細菌感染症」という状況になった患者さんがたくさん生まれる。

この検査の特異度がどれぐらいあるのか分からないけれど、ある程度数字に信頼が置けるのなら、 検査で「分からないけれど最近」と判定された患者さんを、感染症科は断れなくなる。

敗血症みたいな、感染症と診断された患者さんの診療に関しては、この検査が与える影響は、恐らくは微々たるものだけれど、 病院内での医師社会に与える影響はもしかしたら大きくて、今まではコンサルタント的な立場だったあの人たちを、 この検査で「現場」に引っ張り込むことができるようになるかもしれない。

ネットをちょっと調べた範囲では、プロカルシトニンという検査項目を、「うちじゃない」問題の解決に使ってみました、 なんて報告はまだないみたいだけれど、将来的にそんな期待を込めて、今度の版から、 「不明熱」の項目に、プロカルシトニンに関する記述を追加してみた。

うちの病院ではそもそもこの検査が提出できないので、使ってます、とか、あんまり使えません、とか、 これを使って奴らをぎゃふんと言わせてやりました、とか、使用経験のあるかたがいらっしゃいましたら、 使ってみた感覚など、教えていただければ幸いです。。