制約に関する覚え書き

昨日の続き。

考えたこと

  • 話を簡単にするために、「主人公」と「世界」とを設定する。ロールプレイングゲームみたいなもの
  • 主人公の自由度が無限大で、世界の制約要素がゼロであるとき、主人公には意味も目的も発生しないから、 動けない
  • たとえば主人公に「いつか死ぬ」という制約を付加すると、主人公には「生きる」という目的が生まれる
  • 制約を一つ加えるごとに、主人公には意味が一つ増える。主人公の自由度が一つ増すごとに、 世界からは、制約の意義が失われていく
  • 制約と媒体とは、しばしば間違えられる。「飛べる」という自由度に意味を与えるために 必要なのは、「高い山」や「大きな湖」であって、「空」ではない
  • 最終的に、主人公が取り得る全ての動作に、何らかの意味が発生するように、世界の制約が デザインされると、ユーザーは、最大の自由を感覚できる。これがよくできたゲームなのだと思う
  • 世界から意味を付加されることのない、主人公の自由度は、ゴールに向かわない選択肢を増やして、 ゲームの目的をあいまいにしてしまう
  • 動作の意味づけに貢献できない、過剰な制約は、ユーザーに不自由さを感覚させてしまう
  • 主人公の動作可能性を最大に保ちつつ、それぞれの動作が意味を持つよう、世界に様々な 制約を盛り込んでいくことが、デザイナーの目的なのだと思う

突っ込まれたこと

  • 制約がゆるいと何でもできるから、ゴールに向かわない選択肢が増える。「パズル系は、 その中からゴールに向かう数少ないパスを見つけるのがゲームの目的ではある」という指摘をいただいた。 どう扱っていいのか、自分には分からない
  • 「無限にお金を持っているアラブの石油王は、じゃあ世界で一番不自由なのか?」という指摘をいただいた。 こういう突っ込みに対しては、自分の仮定で行くと、「お金がないとものが買えないという制約が、 お金を持っていることに意味を与えているから、お金持ちは自由」と逃げられる
  • いくらでもメタな方向に逃げられる時点で、こんな考えかたには、まだまだ穴がある