「悪い人」とはつきあいやすい

ソセゴン中毒のこと

麻薬系鎮痛薬の依存になってしまって、いろんな病院を転々とする人がときどきいて、外来でトラブルの種になる。

パターンはだいたい決まっている。外来では診断不可能で、実際痛くて、 入院中は、たしかに痛み止めとして、麻薬系の鎮痛薬を使うような病気を訴えるケースがほとんど。

  • 「慢性膵炎で東京の病院にかかっている」
  • 「今出張中で、紹介状も薬もない」
  • 「痛みが強かったらソセゴンをうってもらえと主治医に言われている」

このあたりがキーワードになる。痛くて車いすに乗ってくるとか、 しわくちゃの、なぜか電話番号だけ入っていない、大学病院の紹介状を一緒に持ってくる人もいる。

痛みというのは患者さんの言葉を信じるしかないから、こういうのは実質診断不可能なんだけれど、 今はそもそも、「外来で麻薬をうってもらいなさい」なんて指示を出す同業者はいないはずだから、 「麻薬うってくれ」という訴えは、それを根拠に断ることになる。

悪い人は怒鳴って帰る

みんな「薬」が切れてから病院に来るから、いらいらしていて、 もちろん注射は断られるから、自分たちはたいてい怒鳴られる。

医師が患者さんに「負けて」、麻薬を出しちゃうと、以降その病院が「かかりつけ」になって、 自称慢性膵炎の人がたくさん来て、そこから先は大変なことになるらしい。出したことないから分からないけれど。

面倒なんだけれど、こういう人はその代わり、良くも悪くも「麻薬をもらう」という、 明確な目的を持った「プロ」だから、こっちが謝り倒して薬を出さないでいると、 時間の無駄だから、すぐに撤収する。

外来では、もちろん怒鳴るし、机を蹴るし、名札をにらんで「街で会ったら覚悟しとけよ」とか、 「お前は医者なのに、痛くて苦しむ患者を無視するのか」だとか、「この薮医者が」とか、 いろいろ言われるんだけれど、こういうのは歌舞伎の「見得」に似ているところがあって、 様式美だと割り切れる。

「いい人」たちはあきらめない

やっかいなのはむしろ、「いい人」たち。

選択枝の中に「撤収」の文字がなくて、 「目の前のかわいそうな馬鹿医者を、私が献身的に教育してあげよう」なんて、 行動が、良心で駆動される人。

良心というのは本当にやっかいで、目的必要なくて、絶対引かずに、ちょっとでも要求呑んだら、あとは際限がない。

「いい人」と対峙してしまったら、「よさ」を押し売るその人を、 あたかも人生の師匠であるかのようにあがめでもしない限り、 そういう人は満足しない。外来回らないし、帰しても「次」があるから、終わらない。

「悪人」は、つきあいやすい。目的をきちんと持った人と対峙するぶんには、 自分にできることと、そうでないこととの境界が必ず決まる。「悪い人」は怖いけれど、 お互いにやれることが明らかだから、「分」をわきまえさえすれば、何とかなる。

「いい人」は、目的を定義しない。自分の「よさ」を担保に、 相手の懐から、あらゆるものを奪い尽くすまで、よさの押しつけを止めない。 よさを押しつけられる側からすれば、彼らのやっていることは略奪なんだけれど、 彼らはそれを「正当な取引」だと信じて疑わない。

「よさ」の引き受けと取り付け騒ぎ

同じ怒鳴られるのでも、「この人は、目的達成のために、 怒鳴るという手段を選択したんだな」なんて分かっているときには、ダメージはない。

外来では、お互いぎりぎりの信頼はあるし、相手は怒鳴って、自分たちは無能で哀れな医者を演じて、 お互いが「プロ」の範囲で演じる限り、話はそれで終わって、相手もすぐに撤収する。

どちらかが「プロ」であることを止めてしまうと、相手なら警察行きだし、 自分たちが「プロ」を止めれば、以降その病院は「かかりつけ」にされて、骨までしゃぶられる。 怖いけれど、ルールは分かりやすい。

「いい人」の、目的意識のない、「ただ医師に腹が立ったから」とか、怒鳴ることで、こちら側を「矯正」してやろう、 なんて思いの元に発せられた「怒鳴り」は、どう対応したら相手が満足するのか、 そもそもそれが見えないことが恐ろしい。

「いい人」は怖い。彼らはいつも感謝して、いつも全面的にお任せで、 こちらが欲しがってもいない「よさ」を、ふだんからがんがん押しつけてくる。

「いい人」は、ふだん「いい人」であることそれ自体を「貯金」みたいなものだと考えていて、 いざというとき、医師の側から無限に「預金を下ろせる」ことを、心から信じて疑おうとしない。

取引の考えかたが成立しない、こういう人からの「よさ」を一度受け入れてしまうと、 「よさの貯金」が一方的に開始される。その人が、どこかのタイミングで「裏切られた」と感じたとき、 「よさの取り付け騒ぎ」が起きて、大変なことになる。

「よさ」を引き受けることと、麻薬中毒の患者さんに、外来で麻薬を処方してしまうこととは、 だから同じぐらいに危ないことだと考えないといけない。

よさの引き受けも、麻薬の処方と同じく、やってはいけないことなんだけれど、 「よさ」という価値に目をくらまされて、それをやって深みにはまった同業者は、 きっと多いんだろうなと思う。