ユーザーは狭く見る

Google の新しいブラウザ 「Chrome 」を使った感想。

Chrome は速く感じる

今まで使っていて、なんの不便も感じていなかった Sleipnir が、どうにも調子が悪い。 中で動いているIE8 の問題なんだろうけれど、 blog の更新だとか、コメント欄の管理だとか、エラーが頻発する。

いい機会なので、常用するブラウザを、Google Chrome に変更したんだけれど、これはたしかに速く感じる。

自分には、技術的なことは何一つ分からないし、普段見ているページのほとんどは、 文字しかないようなページばっかりだから、ブラウザの本当の速さ、 内部処理の速さだとか、実装のすばらしさだとか、そういうのは全然分からないんだけれど、 素人がちょっとさわってもびっくりするぐらい、Chrome は速く「感じる」。

このブラウザは、ユーザーへの「速さの見せかた」に、気を遣ってデザインされている気がする。

Sleipnir にしても、Firefox にしても、タブブラウザを使う人たちは、いちいちページを開いたりしない。 「お気に入り」をフォルダごとクリックして、タブを一度に20も30も開く使いかたをする。 フォルダを開くと、タブが一気に開いて、タブの横には、進捗状況が棒グラフで図示されて、ちょっと待つとタブを開けて、 それぞれのページを閲覧できる。

Sleipnir だとかFirefox は、ユーザに対して「正直」であることを優先して、デザインされている気がする。 進捗状況は正確だし、ブラウザが一生懸命動いているのはよく分かるんだけれど、 リンク先のページが、ある程度「見られる」状態になるまではタブを開けない。 それはほんの1秒か、その半分ぐらいのことなのに、たしかに「待つ」感覚がある。

Chrome はたぶん、そういう意味では嘘をついている。

タブをまとめて30ぐらい開いても、Chrome のタブは、あたかも「いつでもどうぞ」みたいなアイコンを出す。 開いてみれば、そのページはまだ空っぽなんだけれど、Chrome はそれでも、タブを開ける。

ダウンロードが終わるまでのほんの数秒間、Chrome は、その間にもユーザーにできることがあって、 それがなんだか、すごく速いブラウザをさわっている気分にさせてくれる。

「使える奴」の動きかた

何かをお願いしたあと、たぶんたいていの上司は、その人が視界から消えるまでの時間でもって、 その人の「使える度」を判断する。

問題解決のプロセスは、上司からは見えない。見えないものは、評価できないし、評価の対象にはされない。

「まじめなグズ」は、まじめだから、上司がいる目の前で、問題の検討を行って、分からないことは、目の前の上司に尋ねる。 やりかたは正しいんだけれど、「まじめなグズ」は、上司の視野からいつまでも立ち去らないから、ウスノロ扱いされてしまう。

「使える奴」は、問題の解きかたを知っていようが、知るまいが、問題を依頼されたその瞬間、ダッシュして、廊下の陰に隠れる。 上司の視界から身を隠しておいて、あらためて、問題の検討を行って、分からないことは、上司以外の誰かに尋ねる。 そのやりかたは効率悪くて、結果が帰ってくるまでの待ち時間は、「まじめなグズ」よりよっぽど長いのに。

「使える奴」は不真面目で嘘つきで、それなのに、あるいはだからこそ、上司から「使える」という評価を手に入れる。

Chrome というブラウザには、すごい内部構造とは別に、そんな「嘘つきの名人」が、 ユーザーの体験を設計している気がする。 速度感をユーザーに体感させるために、ブラウザには、あえて不自然な動作をさせてるような印象。

ごくごくわずかな差でしかないんだけれど、その「速さ」はたしかに気持ちがよくて、 しばらくはこれを使ってみようと思わせる。

同じGoogle が作っている「Gmail 」にも、そういうデザインがされているらしい。

Gmail は、普通のWebメールと違って、全てのメールが読み込まれてから表示される。メールの一覧が表示されるまで、 Gmail はわずかに待つけれど、そのときにはもう、全てのメールが読み込まれているから、 メールを一件一件開くときには、全く遅延がない。他のWeb メールは、最初にリストが読み込まれて、 メールを開くためにクリックすると、メールをサーバーまで取りに行くから、ごくわずか、待たされる。 コンマ数秒の、わずかな差なんだけれど、けっこう大きい。

Gmail のやりかたは、最初にリストだけ読み込んで表示する、もっと常識的なやりかたに比べれば、 ユーザーの待ち時間はむしろ長いのに、ユーザーは、立ち上がるのが遅いメーラーソフトで、 一覧が表示されるまでに「待つ」ことには慣れているから、そこはそれほど気にならない。

Gmail は、メールをクリックしてから、それが開くまでの時間を最小化することに特化されていて、 それが「軽快さ」という感覚につながっているのだという。

名前がほしい

ゲームの業界には昔から、こういうユーザーを「欺く」ためのノウハウみたいなものを持った人が活躍できるらしい。

ゲームの要素技術は、現実にそれが正しいかどうかよりも、「正しいと感じられるかどうか」、
すなわち理論的整合性よりも心理的整合性をより強く要求されるのが常であり、
これはとりも直さず被験者の心理状態を操作するということである。
shi3zの日記

限界がある中で、正直にやったのでは、ユーザーの満足につながらない場合、 あるいは正直な競合者に対して、ユーザーを上手に「欺く」ことで、自らの強みにするやりかたというのは、 たぶん「センス」の一言で片付けられてしまうんだろうけれど、もったいないなと思う。

昔の内視鏡クリップは、手先の器用な助手が、いちいち装着しないといけなかった。2mm ぐらいの小さなパーツだから、 慣れないと難しいし、不器用だともっと難しい。

クリップの装着は、若手の技師さんとか、研修医の仕事だった。検査技師の仕事だとか、 あるいは研修医の技量の中で、「クリップ装着」なんて、それこそ直径2mm のクリップぐらいの価値しかないのに、 それは通過儀礼みたいなものだったから、「できる奴」と「使えない奴」は、クリップで選別された。

クリップをくっつけるのが下手な研修医は、実は内視鏡をやってみたら天才だったとしても、 「こいつは使えない」という先入観の中で、内視鏡を学ばないといけない。 たぶん「クリップ装着が下手」という理由で、内視鏡あきらめたり、内科自体が嫌になった人がいるような気がする。

今のクリップは、買ったら5円もしないような、プラスチックのさやの中に格納されていて、 素人が目をつぶってたって、ワンタッチでクリップがつけられる。クリップ装着なんて、 そもそもこの程度のものでしかないのは自明だったのに、当時はみんな、 「クリップ」こそがユーザー体験の全てだったから、人間は、それで判断された。

それが顧客であっても上司であっても、ユーザーから見える世界を測定して、 それを上手に欺くためのやりかたを、学問として名前をつけてほしいなと思う。

名前を持たない、実体のあいまいなものは、あいまいだからお金につながらないし、 あいまいだから、それが一人歩きすると、「クリップ一つで全人格否定」みたいな、 おかしな現象が起きてしまう。

Chrome の速さだとか、Gmail の軽さみたいな感覚を、もうすこしきれいに言語化できると、 幸せになれる人が多いと思うんだけれど。