才能がなかった

昔話。

研修医の頃

「研究」と「臨床」と、自分たちの頃は、卒業生がとるべき進路は 真っ二つに分かれていて、自分は臨床で名を上げたくて、そっちを選んだ。

忙しくて、厳しい研修をさせる病院に入って、バタバタと走り回って、何とか走れた。 走れたことで自信ついて、自信あったから、大学医局に入った。

新しい環境に慣れるのには相当に時間がかかったけれど、大学でも、 それなりに居場所ができて、そこは居心地がよかった。今から思うと勘違いだったんだけれど、 居心地よかったから、自分はきっと、そこそこすごいんだろうなと思ってた。

地方会に症例発表をする機会があって、田舎の大学は駅から遠いから、 駅までの道のりを、下級生の車で送ってもらった。

昔も今も、下級生には上級生を持ち上げることが義務づけられているから、道中の車内は、 もちろん自分の大自慢大会になって、下級生は「わぁすごいですねぇ先生」なんて、賞賛してくれた。

それはたしかに賞賛だったんだけれど、何か違ってた。ほめてほしかったのは、 たとえば臨床医としての判断力だとか、心臓カテーテル検査の腕前だとか、 そういうかっこいい部分だったのだけれど、出てこなかった。

下級生から見た自分の「すごさ」というのは、 たとえば誰も興味を持っていなかった、患者さんの食事の好みに詳しいだとか、 当時の病棟では、みんなが使い捨てにしていた人工呼吸器のパーツから、 新しい呼吸回路を組み立てられることだった。

下級生の風景には、自分という人間は、要するに、御用聞きとゴミあさり、廃物利用の エキスパートだった。彼らはそれを、たしかに「すごい」とほめてくれたのだけれど。

心臓カテーテル検査の腕前みたいな、かっこいい、競合者の多い、 みんながそこを目指していた序列の話になると、もう自分の名前は出てこなかった。

「先生はすごいですよね」なんておべっか使われながら、車の中で、 「自分は全然すごくないんだ」ということに気がついて、なんだかそのとき、 世界はずいぶん変わって見えた。

才能がないから成功する

「ブルーマングループ」という、米国で成功したパフォーマーの人たちは、 「才能がないことが成功の秘訣」なんだと語っていた。

「何の才能もなかったね。だから自分たちで楽器を作った。
楽器を作ることに才能が無くても、自分たちで作れば、
演奏者としてトップになれるからね」
ブルーマンを生み出した3人が語る秘密 - ブルーマンワールド

彼らには才能がなかったから、競合者のいる場所では、競争に勝てなかったから、 彼らは楽器と、たぶん世界を自作した。

彼らの音楽は、だから世界のどこにもないものだったから、それから15年、今でも成功し続けているのだと。

すでに出来上がった、「型」に追従していても、一番手には絶対に追いつけない。

劣化コピーには、「安い」という以上の価値が発生しない。そこでどれだけ頑張ったところで、 努力の成果は安く買いたたかれるし、もっと安価な新人は、ニッチを下から脅かす。

居場所というものは、自分で作り出さないといけないものなんだと思う。 たとえ先人のやりかたを継承するにしても、その人独自の見せかただとか、 切り口は、やっぱり自分で作らない限り、その人は絶対に、一番手にはなれない。

臨床頑張って、心カテ頑張って、自分は結局、芽が出なかった。

それでもその代わり、忙しい研修期間を通じて、大学の人たちが興味を持たなかった分野の知識が少しだけ身について、 「主流」とはかけ離れた、ちっぽけな知識が、自分に居場所を提供してくれた。そのときは気がつかなかったし、 むしろ自分にとって、それは余計な夾雑物にすら見えたのだけれど。

何かに「乗っかっている」と感じたその時点で、その場所は、沈みゆく泥船に変貌してしまう。

努力だとか、才能はもちろん大切なんだけれど、努力が成果に結びつかないことなんてしょっちゅうだし、 才能は、ない人間がいくら望んでも、もうどうしようもなく、手が届かない。

居場所というものはその代わり、かっこよさを望まなくていいのなら、 才能がなくてもたぶん、手持ちの部品でどうにか作れる。

自分にしかできない何かを身につけること。他の誰もが、それまで興味を持たなかったような場所を探すこと。 あるいは、自分が継承してきた何かに、新しい価値を探してみることが大切なんだと思う。