見える場所に価値が宿る

たとえば10億円ぐらいするCTスキャンの機械は、カバーを外すと、 そのへんのホームセンターで売られているようなアルミのアングル材で組まれていて、 基板もむき出しで、美しさだとか、精密さみたいな感覚とは遠い。素人である自分たちが、 ユーザーとして「中身」を見ても、CTスキャンには、あんまり価値があるように見えない。

フェラーリの車についている「跳ね馬」の紋章には、けっこうお金がかかっているらしい。 紋章はその代わり、けっこういい加減な固定をされていたり、ボディーを外したフェラーリは、 内部の配線だとか、エンジンやトランスミッションの構造だとか、必ずしも工学的に 突き詰められているわけではないらしい。

素人は「中身」を重視する

以前に「家を一軒自作しました」という日記を読んだことがある。公務員の人が、 材木を削り出すところから初めて、在来工法で、2階建ての我が家を一人で作るお話。

素人が人生かけて作っているだけあって、たとえば屋根裏の断熱材の配置とか、きれいだった。

建築途中の家を見ていると、プロの大工さんの「仕事」というのは時々いい加減で、 断熱材なんかは無理矢理押し込んでる印象。日記を書いていたその人の仕事は丁寧で、 たとえ目に見えないところでも、細かいところまできっちり作り込んでいた。

仕事の丁寧さは、もしかしたらその人は、プロの大工さん以上なんだけれど、 出来上がった部屋の写真だとか、実際にそこに住む人が見る、その家の風景は、 やっぱりどこか、「素人が頑張りました」という雰囲気が残ってた。

顧客が見る風景

顧客の目から見えるものというのは、たぶん想像以上に少ないのだと思う。あるいは顧客は、 そのプロダクトの美しさだとか、精密さを、プロの人みたいに正しく評価できない。

病院のCT スキャンは、そもそも自分たちでは分解できないし、基板の場所だとか、 構造材の組み方だとか、それが果たして「いい」ものなのか、「そうでもない」ものなのか、 判断できない。理解できないから、それが価値を持っているように、認識できない。

顧客の見る風景を見切って、そこをきっちりと作り込むことが、たぶん「プロの仕事」を 演出する上で、大切なのだろうと思う。

CTスキャン は、カバーがなくても動く。プラスチックの巨大なカバーは、機械としての性能には、 たぶん全く貢献していないはずなのに、病院におけるCTスキャンの「存在感」だとか、 何億円もする機械を所有する「満足感」だとか、顧客の意識に最も貢献しているのは、 実際にはなんの役割も持っていない、ただの「カバー」なのだから。

わずかな差が「プロの仕事」を作る

素人は、最初から最後まで、誠実な仕事をする。プロはたぶん、 顧客から見える風景を見切って、顧客の想像する「プロの仕事」を目指して、 自らの投入努力量を配分する。

素人はたぶん、「中身」にも、「外側」にも、同じように注意を払う。 何か作るときには、まずは中身が作られて、最後に外側を仕上げるから、 素人は、「中身」の段階から、丁寧な仕事をする。

素人はその代わり、最初から最後まで、同じ丁寧さで仕事をする。 中身も外側も、仕上げはもちろん、その人なりに丁寧だけれど、ごく些細な瑕疵が 残ったり、あるいは「その程度ならいいだろう」みたいな判断が下されて、 出来上がったものは、丁寧だけれど、素人っぽいものになる。

恐らくは「プロの仕事」に到達するには、こうしたごくわずかな差というものが、 断絶として効いてくる。

顧客の見る風景を見切ること

プロはたぶん、投入努力量のより多くを、「見栄え」に振る。

顧客に認識できないところ、機能に影響のないところは「手抜き」されるし、 プロの人たちは、素人ほどにはいい材料を使えないかもしれないけれど、 建物なら、壁紙の「コンマ数ミリ」の段差はきっちりと合わせるし、料理なら、「味」には 何ら関係ない、料理の配置だとか、お皿の色みたいな部分に、 素人よりもより多くの努力量を投入する。

恐らくはだから、「自らの価値観に誠実な」仕事のやりかたというのは、 「プロではない」のだと思う。

誠実に仕事をしたのに、上司が馬鹿で評価してくれない、という憤りは、 それは「素人」の言葉であって、「プロ」を名乗るなら、「顧客の風景」を最高のものにできるような 働きかたをしないといけない気がする。

それが上司であっても、顧客であっても、自分たちの業界ならば患者さんであっても、 たぶんその人たちからみえている「プロの仕事」は、恐ろしく範囲が狭い。範囲を見切って、 その場所に、「コンマ数ミリ」をきっちり合わせる努力を行って、その人は初めて、「プロ」なんだと思う。