MacBookPro が来た

医局の先輩がMacBookPro を買った。

同じ世代のパソコンなのに、自分が使っているThinkPad のT61 が、 いきなりみすぼらしく見えて、悲しくなった。

黒が輝いていた頃

銀色のノートパソコンに人気が集まってた頃、ThinkPad は「黒は銀より輝く」だったか、 黒いプラスチックの筐体にこだわりを持っていることを宣言したりして、かっこよかった。

昔のThinkPad は風格あった。

今も昔も、ThinkPad の筐体はプラスチックだけれど、中身には金属のフレームが入っていて、 しっかりしていた。プラスチックだけれど、まっすぐであるべきところはまっすぐだったし、 たわむところなんてどこにもなかった。

今まで使っていたA30 からT61 に乗り換えて、パソコンの性能は4倍ぐらいに上がったけれど、 見た目は安っぽくなった。T61 の筐体は、フレームを包んでいるプラスチックの薄板が微妙に歪んでいて、 それはもちろん、実用するには全く問題ない、ごくわずかな瑕疵でしかないんだけれど、 昔に比べると、なんだか劣化して見えた。

電源だとかキーボードだとか、指が触れる部品を支えているのは、内蔵されている金属フレームだから、 さわってみれば、ThinkPad は今も昔もしっかりしているんだけれど、普段指が触れない場所は、 軽くするためなのか、プラスチック1枚で支えられていて、けっこうたわむ。これは合理的なのかも しれないけれど、やっぱりどこか、安っぽさを連想してしまう。

MacBook の新しい筐体は、アルミ板を削りだして作られている。Apple が宣伝するほどには、 この作りかたは精密でもないし、ハイテクが必要なわけではないんだろうけれど、 新しいMacBook のたたずまいは清潔で、シンプルで、エッジが立ったデザインで、かっこよく見える。

「現場力」を信じないやりかた

ThinkPadMacBook と、製造国はどちらも中国で、値段もそれほど大きくは変わらない。 MacBook はたしかに安いと評判だけれど、企業が乗せる利幅はそんなに変わらないだろうから、 筐体にかけたコストは、そんなには変わらないのだと思う。

ThinkPad を作った日本の設計者は、製造現場の「作りのよさ」が、 昔と変わらず維持されるのを前提にしているけれど、MacBookをデザインしたアメリカ人は、 何となく、現場が適当に作っても、見栄え品質が大きく変わらないようなやりかたを目指してる気がする。

ThinkPad の構造、複雑に鋳造されたマグネシウムのフレームを、プラスチックの薄板でくるむ構造は、 恐らくは作る人たちが慣れていないと、歪んでしまう。プラモデルを射出形成するときは、 薄い平面をきれいに出すのはけっこう難しいはずだから、温度管理だとか、材料の管理だとか、 それを組み立てる工場の「現場力」みたいなものが、そのまま見た目に現れる。

MacBook の筐体は、たぶんアルミの押し出し材をフライス盤でくりぬいて、レーザー加工で穴を開けている。 このやりかたは、たしかにお金がかかるけれど、操作はほとんど機械だろうし、削られたアルミの固まりは、 ある程度粗雑に扱っても歪みにくいから、恐らくはMacBook は、 どこの工場で作っても、見た目がそれほど変わらないような気がする。

MacBook の図面を引いた人は、工場の「現場力」みたいなものを、どこかで見切ったか、最初から信じていないのだと思う。

スケールにあった技術のこと

パソコンをたくさん作って、それを「いい工場」が組み立てるなら、恐らくはThinkPad のほうが、 コスト的にも、性能的にも、よりすぐれた設計に思える。マグネシウム鋳造のフレームは量産できるし、 「いい腕」を持った職人が扱う限り、プラスチックの薄板は、昔ながらの、きれいな平面を出せるだろうから。

MacBook の筐体は、大量生産のメリットを生かしにくい構造。たくさん作ったところで、 部品は削り出しだから、コストダウンにはつながりにくい。工業製品としては、 MacBook のやりかたは、必ずしも優れていない。

Apple の人たちはたぶん、ノートPCという業界自体に、もはやそれほど大きな夢を持っていなくて、 「これぐらいしか売れないだろう」なんて、どこか業界を見限った結論として、 そのスケールに見合った技術を選択した気がする。

「中身」だとか、筐体の「性能」で勝負するなら、ThinkPad のロールケージは緻密だし、 図面引いたのは「大和魂」持ってる日本の設計所で、部品の実装にもこだわっていて、 MacBook なんかに負けてない、はず。でも表面はプラスチックで、しかも薄いから、 エッジが微妙に歪んでたり、直線であるべきところがわずかにうねったり、 ThinkPad の設計は、プロダクトとしての美しさを保てない。

MacBook の中身は、しょせんはアルミくりぬいた「ドンガラ」の中に、基板を置いている だけで、分解写真を見ても、なんだかシンプルに見える。筐体の強度については、 バスタブ型にくりぬかれたアルミが保証してくれるから、そのやりかたは贅沢だし、 理にかなってはいるんだけれど、工業製品として極めていないというか、 技術者が汗かいてないというか、どこか突き詰めていないように思えるのに、 MacBook はまっすぐであるべきところがまっすぐで、エッジ立ってて、 比べると負けた気分になってしまう。

カイゼン」の先に未来はあるのか

旧日本軍は、精兵でなければ実行不可能な作戦を立てて、現場の奮起に期待した。

米軍は、未熟な兵士でも実行可能な作戦を立てて、物量を投入して、戦争に勝った。

工業製品には、「現場の力」みたいなものを全く想定しない、一部のエリート層が 全体を率いるようなやりかたと、現場の力に期待して、それを当てにした設計を行って、 総合力として、すばらしいプロダクトを目指すやりかたと、大きな対立というか、 考えかたのぶつかりあいがあるのだと思う。

MacBook を設計した人たちから見れば、現場の「カイゼン」に期待するような やりかたというのは、技術者としてはまだまだ未熟な証であって、彼らはむしろ、 「技術者なら、未熟な現場であっても、すばらしいプロダクトを生み出さざるを得ない設計をすべき」 ぐらいのことを考えているのかもしれない。

米軍は勝って、自動車は、「カイゼン」を頑張った日本が制して、 机はさんでThinkPadMacBook と、見た目は何となく、今負けた気分。

カイゼン」は時に奇跡を生んで、やる気のある工場は、設計者の想定を超える 製品を作り出す。一方で、現場に期待しないやりかたは、現場力に欠けた工場であっても、 設計図面どおりの製品が生み出せるから、世界中探して、一番安価なところに発注できるし、 作りすぎたら現場を「切れ」ば、調整も簡単にできる。

自動車業界も、今では世界中に工場を持つようになっているから、 むしろパソコン業界以上に、「現場に期待しない設計」が主流になっているのだろうけれど、 より多くの人が幸せになれるのは、果たしてどちらの立ち位置なんだろうとか、 Mac のきれいな画面を見せてもらいながら、考えてた。