ドーム型の没入ディスプレイがほしい

ドームの内面全てに映像が出力されるような、没入型ディスプレイが 家庭に普及したら、きっと面白い。

今のテレビとか、パソコンは平面ディスプレイ。もう何十年も前から 当たり前のようにそこにあって、薄くなったり大きくなったり。改良は続けられてきたけれど、 平面は「窓」にしかなれなくて、「向こう側」に行くためのドアにはまだ遠い。

未来世界のこと

もちろん未来になっても、川を渡るときには橋を使うし、 車はやっぱりタイヤで走ってるんだろうけれど、 SF はそれではつまらない。

SF 世界のディスプレイは、空中投影される画面だったり、あるいは立体映像だったり。 それは正しい未来予知だけど、相手を「向こう側」に知覚するデバイスは当たり前すぎて、 平面ディスプレイの考えかたから自由になっていない。

社会の窓として、平面ディスプレイは未来でも受け入れられるのだろうけれど、 SF はやっぱり、そんな既成概念に負けちゃいけない。

平面ディスプレイは実用上十分で、それが無い光景なんて想像もつかないぐらい、 それがある風景は日常になっていて、もはやそこから「驚愕」を生み出せない。

ドームディスプレイは邪魔なことこの上なくて、「ながら見」を徹底的に拒む。 映像を体験するという、ごくつまらないことだけのために、 その人の全リソースを要求する、欠点だらけのデバイス

平面に比べて全てが劣る、その代わり、ドームディスプレイは、 今までの平面ディスプレイでは絶対実現できない、 「没入」という機能を当たり前のように実現できる。

ドーム映像の没入感はすごく分かりやすくて、みんなびっくりする。 「驚愕」にはきっと、新しい何かが隠れている。「そんなものには意味がない」だとか、 「昔ながらのやりかたのほうが優れている」とか、たいていそんな考えかたは、 最初は批判で迎えられるんだけれど。

こんなことができる

直径3m ぐらいのドームを、極低圧の空気で膨らませて、液晶プロジェクターを周囲に4台、 それを制御する本体と、サラウンド音声だすスピーカーとをセットにして、 ゲーム機としてとりあえず3000万台。大量生産前提で、 思い切りコストが下げられれば、それはきっと、新しい映像インフラになる。

こんなふうに見える。

  • ドームディスプレイを挟んだテレビ電話は、今までとは全然違う体験ができる。 たとえば 4 方向向いたカメラを使って、ドームに入ってオンラインになると、 次の瞬間、自分は相手の部屋に居る。2人ともドームに入ると、人間以外何も映らないから、 バーチャル世界みたいな「壁紙」を、わざわざ映す必要が出てくる
  • ドームディスプレイに対応したアダルトビデオなんかがあったら、すごく奇妙なことがおこる。 自分がどこか知らない部屋に居て、そこには自分以外に 2 人、裸になった男女がいて、 自分のことなどおかまいなしに、いかがわしいことをはじめる。すごい疎外感が味わえる
  • 一人称視点のゲームは、もちろんすごく面白くなる。後ろから敵に襲われたり、 天井からモンスターが降って来たりという表現が、ドームだと当たり前だから
  • 没入ディスプレイで、ゲームをずっと続けていたら、今以上に現実との境目が曖昧になる。 セカンドライフみたいな架空世界は息を吹き返す。あれは空を飛べるから、 とんでもないことがおきるかも

やっぱりゲームをしたい

全周に映像が出るドームスクリーンの中で、空中戦を楽しんだりしたい。 ホラーゲームなんか、「音が聞こえて隣を見たら、そこにジェイソンが座ってた…」なんて映像が 簡単に作れる。「血の雨」とか本当に上から降ってくるから、 きっと今までとは比べものにならないぐらい怖い体験ができるはず。

ただ単純に、海の中にカメラ沈めた映像見るだけでも、 「そこにいる」体験できて、すごく面白いと思う。 カメラを4方向に向けて並べれば、「世界」それ自体を切り取れる。 そんなカメラを積んだ車を世界のあちこちに走らせたり、 飛行機とか潜水艦とか、ライブ中継する番組あったら、 それを漫然と眺めるだけで、一日潰れる。

ドームディスプレイでゲームが発売されるようになったら、 どこか架空の町に「住んで」、郵便局員をやってみたい。

スーパーに牛乳を買いに行ったり、銀行でお金を下ろしたり。架空の町で日常を過ごして、 友達と狩りを楽しんだり、町を歩くパレードを盛り上げたりできたら、 それはきっと、とても素敵なことだと思う。