技術の先に見えてくるもの

技術は極限まで磨かれ無意識的に行われるまでにならなければ、 目的を達することは不完全になる。 自動車の運転はすべての操作が無意識的に行われてこそ、 景色を楽むことができる。技術者は技術の先にある成果を目標とすべき コメント欄から抜粋

コメント欄を読ませていただいて、 こういう考えかたもあるんだな、と正直驚いた。「技術の先に見えてくる世界」というものは、 自分にとってはしばしば、「技術を商売に結びつけること」だったから。

注) 以降「エンジニア」「技術者」という言葉を、設計や製作を行う人たち以外に、 広告を考えたり、プレゼンテーションを行う人達にまで、しばしば拡張して用いています。 うちでは昔からそうだったので。

武芸的な、技術的な

「技術を極める」という言葉から、武芸的な何かを想像する人は多いのだろうか?

「武士の魂」日本刀は、極める道具。それを極めてしまえば、もしかしたら 「斬ろう」なんて思った瞬間、相手の胴が落ちている域にまで極め尽くせるけれど、 武器としての日本刀は無力。鉄砲には勝てない。

技術を極めていないのに技術のことを語る、自分みたいな輩は、「手段を目的として混同している」 なんて、たぶんベテランに叱られる。技術語ってる暇あったなら、もっと技術極めろなんて。

自分が想定していた「技術」というのは、それが日本刀なら、目標を「殺すこと」におく考えかた。

「日本刀」という技術を極めていった先には、もっと扱いが簡単な「槍」が来て、 さらにそれを延長していくと、鉄砲に行きあたる。

日本刀の技術を極めて、たとえば名刀持った宮本武蔵を10人作れば、その集団は 接近戦では無敵だろうけれど、現代のライフル銃を持った素人が100人集まって、 宮本武蔵の集団と戦ったなら、たぶん勝ててしまう。

名刀の値段はものすごく高いけれど、 AK47 あたりのライフルならば、安いところで買うと5万円もしない。

「技術を極める」という言葉から自分が想像していたのは、「コストダウン」と「大衆化」 であって、何かを深く極めていくようなやりかたは、武芸に近い感覚。

工学で使う「技術」とは別に、武芸的なやりかたには、何か別の言葉が要る。

技術者にとって誠意とは何か

「品質向上」なんかですら、あるいは技術の本質から外れた「無駄」な目標なのだと思う。

本当に誠意を持った、あるいは技術に対してストイックな技術者は、 プロダクトの精度を公差範囲に納めることができたなら、 今度は「どこから手を抜けるのか」を考えないといけない。

要求された仕様以上の精度を出すための努力というのは、 技術者のありかたとしては、むしろ「怠慢」だと面罵されるべきであって、 それを美談にしちゃいけない。

日本のエンジニアは、どこかでこんな誤謬に捕らえられて、技術を評論する人達もまた、 「もの作りは日本のお家芸」なんて、問題を悪化させる方向に煽ったけれど、 エンジニアの人達は、やっぱり舵の切りかたを間違えた。

技術者は、本当に品質向上を「売り」にしたかったのならば、 それをブランドイメージにつなげる努力を、 もっとあざとくやるべきだった。

ツーリングカー選手権のこと

1996年の日本ツーリングカー選手権では、ホンダアコードと、トヨタエクシブが、 優勝を争った。

ツーリングカー選手権の新しいルールが告知されて、一番最初に車を仕上げたのは、 マツダランティス。わざわざV6 2L のエンジン開発して、市販車にロールケージを 張り巡らせて、「プロトタイプカーと同じだけのボディ剛性を達成しました」なんて、 モーターショーで発表してた。

最初不振だったホンダは、見た目は市販車、中身は別物の化け物を投入して、 96年シーズンを勝ちつづけた。マツダみたいにまじめにルールを守ったチームは、 この頃もう勝てなかった。

「ホンダは汚い」なんて、いろんなメーカーがホンダを非難したけれど、 ルール解釈の議論はグダグダになって、そんな中でも ホンダは速くて、レースを勝ちつづけた。

シーズン終盤、「やっぱりホンダのポイント無くそうよ」なんて落しどころが見えた頃、 トヨタは新聞広告を出して、「トヨタ優勝」なんて大見出しをつけた。

同じ戦略も、視点の置きかたによって「汚い」と思う人もいるし、「すごい」と思う人もいる。

「勝つこと」を目標にして、ルール解釈を含めた「技術」を極めたホンダも、 「優勝」の文字を広告に入れることを目標にして、競技それ自体の破壊まで 視野にいれて頑張ったトヨタ自動車も、戦略に対する解釈は様々だろうけれど、 技術者として、みんな「頑張った」んだと思う。

「まじめに努力した」マツダの人達は、もしかしたらもっとも「頑張らなかった」のかもしれない。

マツダの技術者はルールを守って、結果はたしかに負けだったけれど、 その「負けっぷり」を武器にして、「どんな逆境でもルールを守る技術者集団」なんて イメージを作ることだってできた。

「まじめな技術者」というイメージは、もしかしたら「優勝」なんてものよりも ずっと高い価値を持っていたのに、技術者はそれでもイメージの運用をしないで、 ひたすらまじめに「ルール違反」したチームを叩いてた。

その態度はまじめだし、時には美談として語られるけれど、 本当は怠慢なんだと思う。あのときのマツダは、本当はトヨタ以上の大勝利だってできたのに。

日本一の乗用車は何か ?

初心者が運転するのにもっとも安全な車は何か ?

免許とってすぐの頃、いろんな自動車メーカーの人達が、わざわざこんなこと考えてくれた。

結論はすぐにでて、「やっぱりカローラが日本一」なんて結論。 ほとんど全員一致で決まったらしい。

カローラには、「国内では数km ごとに代理店があって、 日本国内では事実上、どこで故障が発生しても、歩いていける距離に修理工場がある」 という強みがあって、こればっかりは他のメーカーでは、絶対にかなわない。

車の絶対的な性能だけを論じれば、きっとどのメーカーの人にも「技術屋のプライド」が あるんだろうけれど、初心者がはじめて乗る車という限定をかけると、 車と、車を取り巻くサポート施設という、「系」としての信頼性は、 当時カローラにかなう車はなかった。

あの頃から、自動車を作る人達は、性能というものを「車単体」で考えてなくて、 代理店とか修理工場とか、車を取り巻くシステムを通じて、性能を論じていた。

技術者が、技術を極めた先に見るべきなのは、「極めて来た技術それ自体が不必要な世界」であって、 技術それ自体を極めるべき対象にする考えかたは、もしかしたらしばしば、 「改良」を拒んでしまって、進化を志向する人達の足を引っ張ってしまう。

問題を「系」として考えて、解決すべき目標を運用、改良しつつ、 要素の技術を大衆化、一般化していくことが、技術者が目指すべき「努力」。

それはきっと、同じ「工学」である自動車工学も、医療もまた、変わらないのだと思う。