公立病院民営化について

国内にいる全ての医師を国家で召し上げて、政府の人達が、地域の需要に応じて 医師の配置を決めればいいんだと、今でも思ってる。毛沢東国家主席がかつて行った、 「文化大革命」の時みたいに。

世の中から「開業医」という仕事はなくなって、地域の基幹病院には、 医師があふれかえる。ベッドも医療費も限られてるから、 外来の待ち時間は倍ぐらいになって、医師の給与は半分以下になる。

その代わり、人手が増えるから、当直明けには家に帰れるし、 勤務する日はものすごく忙しいけれど、週の半分ぐらいは、 もしかしたら仕事しなくても大丈夫。

国家管理と自由化と

全体主義とか大好物なんだけれど、インフラ事業を国家で管理すると、たいてい大失敗する。 たとえば農業ならば、ソビエト連邦コルホーズであったり、中国共産党人民公社であったり。 いずれも国家が旗振って、生産が激減した。

仕事をしても、それが個人の報酬に跳ね返らない、国家管理のやりかたは、 現場の士気が低下する。いくら人をつぎ込んでも、効率が落ちてしまう。

コルホーズ人民公社を復活させたのは、「自由化」という処方箋。 市場経済が始まって、国が自由生産を認めるようになって、 生産高がそのまま農家の収入になったコルホーズの生産効率は、数年で倍以上になった。

全てを自由化して、報酬を「市場」が決定するアメリカ方式は、 理論的にはすごく効率のいいやりかた。

医師はみんな頑張る。頑張るから医療の供給量が増えて、 国民に安価で安全な医療を提供できる、はずだった。

アメリカの医療は今のところ、ちょっと割高で、あんまり上手に回っていない。

市場設計は難しいのだそうだ。アメリカ医療の失敗は、市場設計の失敗であって、 自由化とか、市場化とか、そんな方法論それ自体の失敗ではないのだと思う。 農業だったり工業製品だったり、市場化というやりかたは、いろんなものを豊かにしているのだから。

医療を自由化すると、アメリカみたいな地獄だよ」という言いかたには、 欺瞞が混じっている。アメリカ医療を論じるときは、むしろ「アメリカは医療の自由化を 果したのに、なんで効率のいい市場を創れなかったのか?」という、 市場の失敗を論じないといけない。

自由化というやりかたそれ自体を否定する論拠に、 アメリカ医療を引き合いに出すのは、何か間違っている。

市場は本来の価値を明らかにする

アメリカ政府は、携帯電話のサービスを民営化するとき、 オークションによる入札制度を採用した。企業の人達は、 政府が想像もしていなかったような高値をつけて、 政府に莫大な収入が発生したのだそうだ。

自由化に反対する人達は、要するに「不自由な現在」から利益を得ている人達。

自由化以前、企業の人達は、政府が用意した携帯電話の権利を不当に安く利用していて、 そこから莫大な利ざやを稼いでた。市場を通じて、その権利本来の価値が明らかになって、 その利益はインフラを提供していた政府に還元された。

医療を自由化しちゃいけない

自由化に反対している人達は、要するにそのへんよく分かってて、 自分達が利用しているサービスが「自由に」なって、本当の価値が公開されては困るから、 「アメリカみたいな医療にしちゃいけない」なんて反対論をぶち上げる。

患者さんが困るなんて言いながら、その実自分達が一番困るから。

インフラ維持のコスト

いろんな人達が乗っかっていて、実質「無償」で利用されている インフラの代表が、公立の基幹病院が提供している医療サービス。

インフラの維持にはコストがかかる。そのコストは本来、 インフラから利益を得ている人たちから、市場を通じて支払ってもらわないといけない。

大赤字出してる基幹病院抱えてる地方自治体は、 その「守備範囲」で開業している先生がたから、 インフラ利用料として、たとえば一施設あたり 年間1000万円程度の料金を徴収すればいいのだと思う。

「いざ」というときの入院先がなかったら、無床で開業している施設は回らない。

もちろん生命は大切で、今は施設間の患者移動には料金が発生しないのだけれど、 無床で開業しているクリニックは、「そこに基幹病院がある」という事実 を基盤にビジネスを行っていて、今はまだ、そのインフラに、 いわばただ乗りしている状態。行政はたぶん、対価を求める大義を持っている。

ベッドの市場化がもたらすもの

「ベッド」の料金は、大体1000万円前後。開業した先生がたが、 「もしも自分がベッド持ち要員の医師を雇ったら、年間いくらまで払ってもいいだろうか?」なんて 自問したら、大体これぐらいになるはず。

たいていの大きな都市には、基幹病院に相当する施設が複数ある。 それぞれの施設が「ベッド料金」を提示して、近隣の開業クリニックの人達が、 たとえばフォローしている患者さん300人あたり「一床」を 購入するルールで市場を創ればいいと思う。

ベッドが少ない地域なら、「ベッド料金」は高騰する。 無床診療所にもベッドを作る動機が発生するだろうし、行政の収益は上がるから、 基幹病院の運営はわずかでも楽になる。ベッドがたくさんある地域は、 逆に多くのクリニックに、ある程度安価にベッドを販売できる。 今度は患者さんの紹介率が向上したり、市場を通じてベッドを多く持っているメリットを生かせたりする。

地域ごとで違うだろうけれど、基幹病院一つの「守備範囲」には、大体40ぐらいのクリニックがあって、 その人達から「ベッド料金」を徴収すれば、年間4億円程度の収益が生まれる。 基幹病院の運営にはお金かかって、4億円程度のお金では状況全然変わらないけれど、 それでもたぶん、お金があって困ることはないと思う。

一度開業したクリニックを移転するのには、莫大なコストがかかる。「お金払ってよ」なんて 言われて、「嫌だから出ていくよ」なんて答えられるクリニックは、決して多くないはず。

対抗論理と今後

「インフラただ乗り論」に拮抗するのは、「コンテンツただ乗り論」。

回線を提供している電話会社が、「インフラにただ乗りしている」なんて、 帯域独占してた業者の人からお金を徴収しようとしたとき、 業者は逆に、「自分達がいいコンテンツを提供したからこそ、 回線の需要が増して、電話会社に利益が入ったはずだ」なんて、 「電話会社はコンテンツにただ乗りしている」なんて切り返した。

患者を「生む」のは誰なのか。地域医療を本当の意味で支えてるのは誰なのか。

このへんの議論は、たぶん今まであまりされていなくて、 「コンテンツただ乗り論」を唱える開業医の人達と、 今までクリアでなかった部分を明るくしていく議論を行えたら、きっとすごく楽しい。

宮崎県の東国原知事あたりが、「タレント知事のサプライズ」みたいな形で 議会に提案するのが最善手かもしれない。

タレント知事の人達は、存在それ自体が メディアであって、立場じゃなくて人間それ自体に支持基盤を持っているから、 こんな理屈の「面白さ」とは相性がいい。

「明日からお金とろうよ」なんて無茶な提案も、 「そのまんま東だから」でそのまんま通じそうだし、 なによりも「知事がこう言った」なんてニュースは、間違いなくメディアが取り上げる。 医師会はもちろん反発するだろうけれど、もしも対応が後手に回れば、 きっと議論が盛り上がる。

医療を「よく」するという言葉には欺瞞があって、「よさ」というのは視点と方向とを 持ったパラメーターだから、何かを「よく」すれば、必ず誰かが割りを喰う。

「面白さ」は、方向性を持たない概念。「市場化」は、医療を「よく」する保証はないけれど、 地域医療はきっと、間違いなく「面白く」なる。