社会の情報構造

ジャンプしたり、走ったり。「筋肉が収縮する」という、ごく単純な動作の集積は、 骨格という構造により複雑な動作へと変換される。脳は身体を制御するけれど、 身体には、その構造それ自体に織り込まれている情報や「知性」を持っていて、 動作というものは、脳と身体との相互作用を通じて「創発」される。 身体の情報構造@デブサミDAY2より改変引用。

社会が持つ情報行動と、社会という系のなかで現場が陥ったかもしれない誤謬について。

社会記述の精度と不気味の谷

歩いていた人が、石につまづいて転ぶ。それまでは一定のリズムで収縮していた筋肉や関節は、 人が転んだ瞬間、今まで続けてきた動作を継続できなくなって、ダメージを受ける。

筋肉は目を持たない。お互いに、近くにいる筋肉が発生している「収縮力」 しか感覚できない。筋肉は収縮することしかできないし、自らつながっている関節の 働きであったり、「収縮」という行為それ自体が、人体をどう駆動することに結びついているのか、 たぶん分からない。

状況記述を行うときには、自らも「系」の一部でしかありえないということに留意しないと、 間違った結論を導いてしまう。人が転んだとき、たとえば「大腿四頭筋」は、 「梨状筋」のだらしなさを叩くかもしれないけれど、筋肉からは、道に転がっていた石は見えない。

状況を考えるときにはだからこそ、自分が観測した周囲の振舞いをそのままに 記載しようとする態度は誤りで、自らも含めた系が持つ情報構造、単純な筋収縮から 「歩行」や「ジャンプ」を生み出す身体のような、そんな社会の構造を意識しないと、 転んだ原因には行きあたらない。

マスコミが全て悪い、裁判官が、検察が、左翼市民がすべて悪いという考えは、 自分が昔から慣れ親しんできた世界記述「全てはユダヤ 12人委員会の陰謀だ」 なんてやりかたと、何ら変わるところが無い。思考停止は気持ちいいけれど、たぶん間違ってる。

実像はきっと、もっと不快で不気味で、やりきれない。

ロボットが人間に近づくと、近づくほどに親近感が増していくけれど、 ある一定以上に近づいたところで、親近感は急速に薄れていって、 「人間に近いこと」それ自体の精度を増していくほどに、 それが薄気味悪いものに感じられる。不気味の谷という。

国家黒幕論、マスコミ黒幕論は、誰にでも受け入れやすくて 気持ちがいいというその意味で、まだ「不気味の谷」の手前にも達していない。

局所最適と社会の誤診

自ら望んだ他者の行動を、社会にそのまんま発信するやりかたは何も生まない。 対立する他者をも含む系を介して、社会自身が自らの情報構造を通じて「診断」を下し、 「治癒」に必要な何かを創発的に獲得していくようなやりかたを考えないといけない。

団結しましょう、抗議しましょう、「敵」を倒しましょうみたいな行動は、 人体という系の中にいる「筋肉」が、自らおかれた状況を間違って判断して、 局所最適に走ったあげくに、全体を危機に晒しているように見える。

何となく具合が悪い。普段どおりに収縮したくても、対立する筋肉が勝手に収縮して、 自ら思うように収縮できない。「じゃあみんなで団結してフルパワー発揮しましょう」 なんてみんなが声上げる状況は、要するにてんかん大発作の重積状態。 みんなで団結して、全身の筋肉が収縮した挙句、放置された人体は、 呼吸ができなくなってしまう。

痙攣重積を放置するぐらいなら、気道確保した上で全身に筋弛緩かけたほうが、 まだ助かる目がある。「戦いましょう団結しましょう」は、 痙攣をもっとひどくするやりかたであって、人体に起きた障害の原因を、 当の医師自身が見誤っている。誤診して、治療戦略を間違ってる気がする。

声上げるのは大切なんだろうけれど、やっぱりなんだか違和感。

メディアは本当に「悪」なのか

厚生省も、マスコミも、あの人達は医師側から見て本当に「迷惑」ではあるんだけれど、 「悪」なのかどうか、よく分からない。彼らだってまた、社会身体を構成する「筋肉」にすぎなくて、 全体なんて見てないし、 自ら観測した危機に対して、最適と思う行動をとってるだけなのだと思う。

歩いたり走ったりするときには、筋肉は、動作の全体像を考えたりはしない。 転んだときもまた、「大腿四頭筋の悪意で転んだ」なんて反省は出ないはずだし、 転ぶのは石につまづいた人体であって、筋肉単体が「転ぶ」ことなどありえない。

今はたしかに、いろんな分野が「転び」つつある。医療は崩壊して、 新聞みたいなオールドメディアも、昔に比べれば読者数が減っている。 官僚だって叩かれて、企業の人達が喜んで人材を迎えた「天下り」は、 今では悪い意味にしか使われなくなった。

医療という分野は、系の「頭」ではありえないし、マスコミも、厚生省も、 みんな転びつつある社会を構成する部品ではあるかもしれないけれど、 社会を転ばせたくて、何か嫌な行動をおこしている人はいないんだと思う。

社会のどの分野を取っても、それはしょせん「筋肉」、「収縮する」という 単純な動作を行うだけの、単なる部品。「収縮」は、医療にとっては騒ぐことで、 メディアにとっては叩くとで、官僚にとっては止まることかもしれないけれど、 系の外から見れば、そんな動作はたぶん、みんな同じようにしか見えない。

転ぶときの人体は緊張する。筋肉がみんないっせいに収縮する。 現場が崩壊した医療。医師を叩き続けるマスコミ。悪くなる制度に対策しない官僚。 そんな動きは全て、転んで緊張した社会に対する各筋肉の反応であって、 何か特定の意志を持って、他の筋肉に影響を与えているわけではないのだと思う。

変わらない状況から利権を得る人

脳は動作を決定しない。身体に意志を伝えて、脳と身体との相互作用から、 必要な動作が創発される。

筋骨格系、人体が持つ情報構造に相当するものは、恐らくは社会にも備わっていて、 「歩く」とき、「転びそう」になったとき、社会の各分野が取るべき振る舞いもまた、 本来は、状況により創発的に決定される。

正常に機能している人体には、転びそうなとき、中枢の意思決定を経由しない、 ローカルな反射弓が実装されていて、転びそうになっても転ばないよう、防衛機制を働かせる。

今はなんだか、そんなローカルネットが遮断されていて、社会身体が円滑に機能しないイメージ。

「変わらない社会」から利益を得る人達が増えたのだと思う。社会は本来、 人体みたいに「歩いた」り、「転んだ」りして、動きつづけることが自然なはずなのに。

社会を構成する「筋肉」相互の通信を阻害する、お互いの不振を煽って、 緊張でガチガチに固まった社会構造の上にあぐらをかいて、 「変わらない世界」から利益を貪っている人がいるんだと思う。

「変わらなさ」というインフラにフリーライドした人達が、 変化しないこと、流れが変わらないことに投資しながら、 なおも「団結しましょう」なんてスローガン叫んで、 「系」としての社会から外れたところで、転びつつある社会を指差して嘲笑う。 そんな人達を探し出して、変化する世界を受容してもらわないといけない。

なんでこうなったのか、それでもずっと考えてる。誰が悪いのか。どうすればいいのか。 考えれば考えるほどに状況は見えなくなって、敵だと思ってた人達が敵に見えなくなってきたり、 味方だったり、英雄だと思ってた人達が、案外そうでもなかったり。

もっといろんな人達と、どうすればいいのか、いろんな「系」をまたいだ おしゃべりをしたいなと思う。

「脳」はどこにいるのか。原因は何なのか。どうやったら「創発」が発生するのか。

人数増えれば、きっと誰か正解に行きあたると信じてる。