病院がソーシャルネットに自閉するとき

「100人村」の料理店

人口100 人の村にある、ただ 1軒の料理店は、 裏切りがばれた瞬間に村を追放されるから、村人を裏切れない。

村人は安心だけれど、その代わり、その料理店が本当に「おいしい」ものを出しているのか、 比較できないから分からない。

1000人村にある 10件の料理店なら、村人はきっと、「最高」がどの店なのかを投票で決められる。 「おいしい」料理を食べた幸福度は高まるだろうけれど、下位グループの料理店は、経営が難しくなる。 村人が増えれば、それだけ裏切りがばれるリスクは減少するから、「業界」全体に対する村人の信用は、 100人村より低下する。

料理店全体が生産できる「幸福度」というのは、各料理店が生み出す幸福の総和と、 業界に対する村人の猜疑心の総和との差分が決定する。

コミュニティが大きくなると、「最高の料理店」が生み出す幸福度はそれだけ増大するけれど、 業界全体の信頼度は低下していく。たぶんどこかで「臨界」が来て、コミュニティがそれ以上に 大きくなると、料理店全体が生み出す人口あたりの幸福度は、むしろ低下してしまう。

裏切り者検知のコスト

まだまだ欠陥だらけだけれど、「はてなブックマーク」みたいな投票サービスは、 「その日に書かれた最高の文章」を抽出する機能を実現している。Web コミュニティは 日々大きくなっているけれど、集団の上位を抽出する機能は、コミュニティの大きさに比例して、 ますます上手に機能しているように見える。

ところが逆に、「その日に書かれた文章で最低のものを見つける」という問題は、 解決するのが難しい。「最低」を喜んで読む人は少ないし、 「俺の文章は最低だ」なんて自薦する人もいない。 インターネットにつないだ初日、誰かが初めて書いたエントリーなんて、そもそも見つけられない。

世間が顔見知りの10人しかいないなら、「最低」はすぐに見つかる。100人ぐらいまでなら、 それでもあるいは何とかなる。数がもっと増えて、1000人とか10000人あたりになると、 「最低」を見つけるコストは莫大になって、もう誰にも不可能になる。

恐らく「最低」を抽出するためには、前提として大きさが不変である集団を定義しないと不可能で、 「投票」方式は、それでも「最低」を決定することができない。

匿名掲示板なんかでは、「あの病院最悪」なんて名指しされることが時々あるけれど、 そんな病院は「悪評という評判」が高い病院であって、たいていの場合、 同業者から見ても「最低」でないし、地元の評判は良いことが多い。

業界の信用は「最低」が決定する

「最高の医師」を特集する番組は簡単に作れるけれど、テレビ局の力を持ってしても、 「最低の医師」を探すことは難しいのだと思う。

本当に「良くない」病院は、そもそも患者が少ないから話題にならないし、 患者さん自身、自分が「最低」にかかってるなんて思わないから、見つからない。 医師に「最高」を自薦してもらうのは簡単だろうけれど、「最低」は無理。

「最低」は隠れているけれど、何かトラブルがあって、「やっぱり医者は…」なんて みのもんたが眉ひそめるのは、そんな施設。

世の中にはたぶん、絶対にかかってはいけない病院であったり、 絶対に入ってはいけない料理店が存在しているけれど、 コミュニティが大きくなるほど、「裏切り者検知」を行うコストは莫大になる。 今ではもう、住人も同業者も、「最低」がどこにいて、それをどうやって探していいのか分からない。

「最高」の最高度をいくら高めても、業界全体に対する信頼度は上がらない。 「最高」にはお客が殺到するだろうけれど、たぶんそれ以上に、 「お客にならない人」が持つ、業界全体に対する不信は高まってしまう。

それが小さなコミュニティなら、「無能排除」機能を実装するのは容易だっただろうけれど、 コミュニティの規模拡大と共に、どこかでスケールアウトの限界が来る。 恐らくはその限界が、業界が受け持てるコミュニティ規模の「臨界」を決定する。

業界側の準備コスト

「最高」と名指しされた料理店にしても、幸せではいられない。

コミュニティが大きくなれば、店に来るお客さんの顔ぶれだって多彩になる。 村が100人しかいない頃なら、「100人村一番の乱暴者」にだけ注意すればよかったけれど、 村が大きくなるにつれて、文句を言ったり、店を荒らしたりする人もまた増える。

店には「準備コスト」が発生する。小さなコミュニティでは不必要だった ガードマンを雇ったり、「当店ではフランス料理のフルコースは出せません」なんて、 店に入るときに同意書求めたり。

人気店になれば、あるいはお店は価格を2倍にできるかもしれないけれど、 「2倍」は準備コストに吸収されて、サービスを2倍にすることは難しい。 コミュニティが大きくなれば、「最高」の店はますます最高になるけれど、 支払った対価あたりで生産可能な幸福度は、昔ほどの効率が上げられない。

「お客さん」もまた、一つの業界。裏切りもの検知が不可能なのは、 料理店と同じ。料理店は、たとえ自らが「最高」であったとしても、 無能抽出の問題から自由になれない。

声の大きな人が病院に来ると、たまにとんでもないコストがかかる。

「訴えるぞ」の一言で、こちらはもう何もいい返せない。あの病院の医師と話がしたい、 ここに紹介しろ、車を手配しろ、前の主治医に文句が言いたい、あれこれ要求して、 いろんな施設の、あらゆる科の医師に頭を下げて、様々な職種のスタッフを拘束して、 午前中の2 時間あまり、人件費にすればたぶん数百万円分、もちろん本人には 一円も請求できない。その人は満足して、結局最初の方針どおり。

「声が大きい」、ただそれだけのことが、その患者さんに余計なコストを発生させて、 治療が遅れて、その遅れがまた、治療のコストを増大させる。

こういうのは瞬間最大風速だけれど、その「風速」に耐えられない施設は潰されるから、 みんな準備する。普段使わない、こんな能力を施設が維持するためのコストは莫大で、 これを減らせるならば、病院の装備はもっと軽くて済む。

病院のソーシャルネット化

病院に長く勤務してると「村社会最高」とか、知らない昔をうらやましく思う。

コミュニティの規模が「臨界」に近づいたとき、 たぶん最初にしわ寄せがくるのが、病院だったり学校だったりするからなんだと思う。

誰か頭のいい人が、「無能排除」のコストを劇的に低下させるアルゴリズムでも見つければ、 業界に対する信頼コストはまた下がって、コミュニティはもっと大きくできるのだろうけれど、 今のところまだ、そんな流れは見えてこなくて、「業界」はみんな、大きすぎるコミュニティに疲れてる。

たぶん「病院のソーシャルネット化」という動きが出てくる。

みんな「昔馴染み」の人にはコストをかけられないのに、声の大きな、特定の誰かに リソースのほとんどを持っていかれて、そのしわ寄せが「いい人」に行く。 ますます疲れて、準備コストはまた上がる。

老人医療なんかは特にそうで、お互い顔見知りの人で、医者に「お任せ」が通用するなら、 診療にかかるコストは相当に安くなる。安全率をコンマ数パーセントあきらめるだけで、 コスト上のメリットは相当に大きくなるんだけれど、「1000人に1人」が怖くて、それができない。

見知った人しか診療したくない、もうそんなに大々成功したいわけじゃない、 疲れた医師が、「友人」限定で30人ぐらいを対象に医療を提供するサービス。

全く健康な人は病気にならないから無理だけれど、高齢の人なんかは常に病人みたいなものだから、 「友達の両親」の介護を肩がわりしながら、ついでに医療を提供するようなサービスなら、 少人数限定をかけても、何とかなりそうな気がする。

あと10 年したら、団塊世代の人達がみんな介護が必要になって、老健施設とか、 ホームとか、奪いあいになる。病院はその頃、国からもっと締め上げられてるから、長くは入院できない。

団塊世代」需要を見込んで施設を作ると、そのあと高齢者人口の激減が来る。 長期計画で資金回収もくろんだら破綻するのは目に見えてるから、大きな企業はこのあたり、 参入するのが難しい。

施設が見つかったところで、状況はひどい。どこの施設も、人もお金も圧倒的に足りなくて、 その上「平等」に縛られてるから、ちょっと余計にお金を出すからいいサービスとか、 すごくやりにくい。

お金を出したところで、大きな施設は数万人規模の人たちを対象にしてるから、 「万が一」に備えた準備コストが莫大。「いい」施設はものすごく高い入所料を取るけれど、 払った対価ほどには、いいケアは受けられない。首都圏なんかだと、老人病院は月50万円ぐらい かかるけれど、それでも笑いが止まらない位にウハウハ儲かってる施設は、たぶん少ない。

「数万人に一人」規模の最悪に備える部分をスルーして、最初から 20 人とか、 友人限定サービスに徹すれば、準備コストを大幅に節約できる。 許容安全率については別途相談だろうけれど、「払っただけの」サービスを提供できる可能性は、 大規模な施設より高くなる。

「友達」を探すやりかたが問題になってきて、ここを「契約」にしてしまうと、 きっと元の木阿弥。インターネットは人と人との距離を縮めるから、きっと役に立つ。

40も後半回って疲れた医者が、あと10年で自分を「売り抜ける」戦略で、 富裕層の友達を20人程度集めて、介護とわずかな医療とを提供するやりかた。

その頃にはみんな、「信頼」に疲れ果ててるだろうから、きっとちょっとだけ流行ると思うんだけれど。