NHKのインフルエンザ番組

発症率と弱毒化

ウィルス感染症みたいな疫病のお話をするときには、体内に入ったウィルス粒子が 実際に病気を引き起こす「発症率」と、ウィルスや細菌が進化する方向としての 「弱毒化」の問題とがあって、危険度の見積もりかたで、温度がずいぶん異なる。

大腸菌O-157 であったり、ノロウィルスの感染症なんかは、本来が比較的珍しい病気。 だからこそたぶん、発病率をある程度論じることができて、 数十個オーダーの粒子が体内に入った時点で、 かなり高い確率で発症するなんて言いかたができる。 実際問題、集団感染が容易におきるし、入院しても、患者さんからよくうつる。

インフルエンザみたいな大規模感染症になると、そのあたりがよく分からない。 シーズンになると、たくさんの人が発熱を生じるけれど、40度を越える人もいれば、 単なる風邪みたいな症状で済んでしまう人もいる。「粒子がいくつ入ったら感染します」 を調べることはできるんだろうけれど、人の振舞いかたは様々だから、 どういう振る舞いをすれば、入るのは「いくつ」ぐらいなのか、調べられない。

「ウィルスはいるけれど発症しない」状態、不顕性感染は、インフルエンザとか、単なる上気道炎 みたいな感染症ではたぶん多くて、それがどれぐらいの割合で、実際問題、 一定数のウィルス粒子が体内に入ったとき、何割の人が感染を起こして、 何割の人が何もおきないのか、厳密なデータは無いんだと思う。

インフルエンザで、もう分からない。鳥インフルエンザになると、もちろんもっと分からない。 今見てるのが、ごく一部の例外ケースで、実は不顕性感染がたくさん生じているのか、 それとも素直に、人類破滅の兆候を見てるのか。

方向性としての弱毒化

鳥インフルエンザは今のところ、発症したときの死亡率が6 割前後とものすごく高い。 「毒性」の高さというのは、ウィルスが持つべき性能としてはむしろ「弱点」となる。

ウィルスが変異を繰り返して、鳥から人へ、人から人への感染性を獲得するとき、 ウィルスはたぶん、同じぐらいの割合で「弱毒化」する。たとえ渡り鳥に乗っかって 鳥インフルエンザが海を越えるようなことが起きても、鳥を殺してしまうような強毒のウィルスは、 「渡り」を行うことができない。

感染が成立したら、その人が即死するようなウィルスは恐ろしいけれど、 患者さんがすぐに亡くなってしまうなら、そんなウィルスはそもそも広まらない。

発症確率と弱毒化。期待値を大きく見積もるならば、鳥フルが全人類に拡大する リスクはごくわずかだし、その頃にはもう弱毒してるから大丈夫なんて議論になる。 期待値を最悪に見積もるならば、 NHK の番組みたいに、ウィルス感染症で人類壊滅なんて可能性を論じないといけない。

鳥インフルエンザは、まだまだ症例が少なすぎて、研究者によって「期待値」が 大きく異なっているからこそ、意見が分かれているのだと思う。

自分達医療従事者はのお仕事は、ワーストケースを想定することだから、 今回のNHK番組は「そうだよな」、という感想。

隔離のお話

ドラマ編でも実戦編でもスルーされていたけれど、対処法がない疫病の治療戦略は、まず隔離

インフルエンザもウィルスである以上、高湿度環境とか、紫外線で失活する。 飛沫感染だけれど、「射程」はせいぜい5m。理論上、すべての人が5m 以上離れて 一定期間何もしなければ、ウィルスはそれ以上に感染を広げられない。

人権を無視していいのなら、どこかの病院で取りインフルエンザ感染が報告された瞬間、 その病院を中心に半径2km ぐらいを隔離するのが最善手なのだと思う。

道路を封鎖して橋を落として、その地域を「陸の孤島」にした上でミニ戒厳令を発動して、 すべての住人に引きこもってもらう。 その上で、隔離地域を取り囲むようにタミフルを配ったり、ワクチン接種を行ったりして 「免疫の輪」を作って、ウィルスの封じ込めを図る。政府とか警察のお仕事は、感染者が「輪」を 破らないように全力を尽くすことと、地域を隔離したことによる経済損失を計算して、 その住民への補償案を作ること。

ウィルスがどう変化しようが、やるべきことはたぶん一緒。 たとえ薬やワクチンに効果が期待できなかったとしても、「隔離」は確実な効果が期待できるはず。 これはもちろん、感染症をやっている人たちなんかには常識以前のお話だけれど、 ドラマ編では隔離政策が俎上にあがることはなかったし、実戦編でもまた、 隔離政策にあんまり言及なかったのは、何故なんだかよく分からない。

「やさしさ」が病気を広げる

潜伏期間が短いこと、高い致命率を持つことそれ自体は、ウィルスにとっては「弱点」として作用する。 発症した人が動けなくなるぐらいの重症感染症は、「その人」までで感染が止まる。 拡大できない。

ウィルスや細菌の立場でもっとも「進んだ」連中は、たとえば腸内の常在菌。 彼らにしてみれば、人間が住居を提供してくれて、あまつさえ「餌」まで供給してくれる。 もちろん時々水に流されてしまうけれど。

強毒性のウィルスは、だから放置してしまえば勝手に収束するはずなんだけれど、 人の「やさしさ」であったり、困った人は助けないといけないなんて「道徳」の考えかたが、 こうした強毒性ウィルスの増殖を助けてしまう。

毒性の高いウィルスは、症状が派手だから、人を集める。集まった人の中には「手当て」を する人が必ずいて、その人はたぶん、見た目健康な状態を維持しながら他の集団に溶け込んで、 そこでまた「発病者」になって、感染症を広める。「やさしい人」とか「道徳的な人」は、 本来淘汰されるべきウィルスにまで「やさしさ」を発揮して、彼らの増殖を助けていく。

鳥インフルエンザの大流行が生じたとき、医療従事者のお仕事は、 こうした「やさしさ」との戦いに半分ぐらい持っていかれる気がする。

ドラマ編では、主人公の周りに集まる熱心な医師と、理解のいい患者さん。 実世界ではたぶん、「やさしい人」が輪を破る。

たとえば死体袋の問題。鳥インフルエンザで患者さん亡くなるときは、もちろん家族は付き添えないし、 たくさんの人が亡くなるから、いちいち「荼毘に付す」なんてできない。なくなった患者さんは、 ご家族に「亡くなりました」と電話を入れたら、後は患者さんを死体袋にくるみこんで、 近くの穴に埋めることになる。

子供のお父さんとか、本当にそれで納得してくれるとは思えない。 健康な人は自宅待機が必要なのに、たぶんお父さんは「主治医を一発ブン殴る」、それだけのために 検問突破して、病人だらけの病院に、マスクもしないで突っ込んでくる。 それは道徳的に正しい行動なんだろうけれど、そのお父さんもまた、ウィルスの味方。

実世界ではたぶん、いいところ見せたい社民党の議員とか、絶対に風が吹いてほしくない、 受診を待ってる長蛇の列にダウンバースト叩きつける毎日新聞のヘリコプターとか、 「やさしさ」「正しさ」振りかざしたウィルスの味方が、人類を苦しめる。

パンデミックゲーム

対策案とか、隔離案はきっと「ある」と信じてるけれど、それを検証するのに「ゲーム」型式で 討論会開くと、きっといろいろ見えてくる。

こんなルール。

  1. 人類滅亡を図るウィルス側と、対抗する人類側、「現実」を提示するための審判を用意する
  2. ウィルス側は、日本地図の任意の場所に「発症」を宣言できて、気候とか風向きを自由に設定して、 ウィルス感染を最大にする戦いを挑む
  3. 人類側は、一定の確率で効く「タミフル」を配ったり、道路や橋を封鎖して、ウィルスの拡大を阻む
  4. 「現実」提示する人は、「それ予算的に無理です」とか「その場所には自衛隊入れません」とか、 「その季節にはさすがに台風は発生しません」とか、机上の空論に実世界から突込みを入れる

このゲームは、「人災」要素がなければ100% 人類側が勝利する。どんな天変地異が生じても、 戒厳令出して、すべての住民がそれを守れば、そもそも感染は広まらない。

ウィルス側についた人は、だからこそ任意の「裏切り」を設定して、人類側のブロックラインを 突破しようとする。「下水道使って隔離地域から逃げ出した住人が感染を広げた」とか、 「人権派議員が警察脅して、隔離ラインから人を連れ出した」とか、「宅配便のダンボールに 患者さんが思いっきり咳をして、田舎の息子に荷物送った」とか。

人類側は、それに対して「下水道も当然見張る」とか対案出したり、「現実」サイドからは 「うちの党に限ってそんな馬鹿いませんから」とか訂正いれたり。 あるいは人類側から「日本戒厳令」なんて 提案出されたら「現実見て下さい」とか。これが「議事録」として残る。

感染症学者とか、マスコミの人、国会議員や、 たとえばゲームデザイナーの人とかネットワーク技術者とか、 いろんな分野の人達が攻守を交代しながら、「机上の空論」を戦わせると面白いと思う。

ウィルスを「知能化」することには、きっと意味がある。 状況が上手くまわっていないとき、何をやっても裏目裏目に出ているときは、 「神様の悪意」を目の前に感じるなんてしょっちゅうだから。

とりあえず「人類側」をプレイするなら、「東大病院のホットゾーンに 厚生省の事務次官が常駐する」ルールを徹底したいなと思う。

一番偉い人が命張れないなら、どんな提案も机上の空論の域を出ないし、 「足りない」物資は「足りてる」事にされて、日本が滅びるまで、 何かが「足りる」日なんて来ない。

これやるだけで、厚生省の「本気度」は、無茶苦茶に上がって、 人類は、どんな感染症にも手ごわい相手になれる気がするんだけれど。