たぶん来年流行するもの

流行るのはたぶん、かわいさ原理主義。承認証券による自意識の相場経済。 コミュニケーションの販売。 センスに対する累進課税ルールが敷かれた「平等な」場所。とりあえず前半2 つ。

フラット化しすぎた世界と、価値軸の多様化がもたらすだろう「何か」のお話。

平等の疲弊

それは政府予算であったり、健康保険であったり。 「みんな」から集めた予算を、立ち場に応じて「平等に」分配するのが、 昔ながらのルール。今いろんなところで制度疲労して、不満続出。

正義を担保していたのは、「みんな平等」という考えかた。 世の中に「平均値」なんて値を仮想して、予算配分を受ける権利は、 そこからの隔たりに応じて上下する。

平均は対立軸を生む。

富んだ人と、そうでない人。高齢世代と、若年世代。世の中をある平均値で2つに割って、 「上位グループ」から予算を集めて、「下位グループ」に移動する。 あらゆる価値観が多様化していく中で、もはやどんな対立軸でも世の中割るなんてできなくなって、 「平均値の欺瞞」が暴かれつつあるのが最近の流れ。

「弱くあることの強さ」が目立ってきたり、弱者であることを運用して、上手に富を集める人がでてきたり。

「あいつらうまいことやってやがる」

平等の恩恵から少し外れた、「平均値」のそばに集まる大多数は、きっとこんな思い。

「平均値からの隔たり」という価値軸が力を失って、これから代わりに出てくるのが、 目線圧力との親和性の高さ。「かわいらしさ」という価値軸。

「かわいい」が正義

「うまいこと」をした人には、必ず嫉妬が付きまとう。

ネットワークの発達は、人と人との距離を小さくして、コミュニティをより大きく成長させる。

集団の中で、ちょっと「ずる」をして得した人は、今では一瞬で知れ渡る。 昔だったら友達一人失う程度で済んでいた「嫉妬の力」は、 今ではコミュニティ全体を敵に回す危険をはらむ。

価値観が多様化して、「弱さ」がもつ力が低下していく一方で、 目線の抑圧はますます強くなる。恐らくはそれこそが、 次の価値軸を担うんだと思う。

目線圧力との親和性の高さ。「かわいらしさ」という価値軸。

「目線の抑圧」という神様が支配する世の中がもうすぐ来る。これからきっと、 みんなが「かわいさ」を競いあいながら、公共財に群がる構図が展開される。

寝たきりの超超高齢者に対する輸血の是非が話題になっていた。「平等」はもはや、 こうした問題に対する答えは出せない。

「かわいらしさ」という価値軸は、こんな問題に対する解答が容易。

「そんな人はかわいくないから医療資源分けられません」

もちろんそんなこと口に出したらおしまいだけれど、そんな思いを裏に透かした意見は、 これからきっと支持を集めるはず。

  • 寝たきりの、意識のない超高齢者は「かわいくない」。ところがそんな人に、 ものすごく熱心な、何年も前からその人を自宅で介護していたようなご家族が くっついたら、その患者さんは途端に「かわいく」なる
  • 子供さんは、子供であると言うだけで、無条件に「かわいい」。もちろんかわいい対象に対しては、 医療資源を無尽蔵に投じても、たぶんどこからも文句が出ない。ところがそのこのお父さんが 飲んだくれの乱暴者で、投じられた資本を「当然だろ」なんてうそぶいたりしたら、 その子は途端に「かわいくなくなる」

技術は進む。嫉妬目線の可視化手段は、これからどんどん進歩する。

すでにマスコミの論調であったり、政治や司法の現場においてすら、 多数意見が作り出す「空気」の力は侮れなくなっている。 「目線の神様」は実体化して、目線に対する無害さ、 「かわいらしさ」という価値軸に収斂する振る舞いが、ますます力を持っていく。

神様はたぶん、かわいいものが好き。そのあたりきっと、 昔話の神様が、ただの正直者ではなくて、「バカ正直」を愛したのと同じ。

自意識経済圏の実体化

多くの人が譲れないのは、自意識であったりプライドであったり。

blog なんてつけてると、 ただの記号でしかないハンドルネームがだんだん重たくなってきて、下手な振舞いできないなとか、 ありもしない他人様の目線を感じて、自意識過剰気味。

「かわいらしく」あることは、世の中に引っ掛かりを作らない振舞いかたをすること。 たいていの場合そんな振舞いは、どこかで自意識を曲げないと、実現できない。

「かわいい」振舞いに対しては、公共財から実体貨幣が支払われる。「かわいい」人はその代わり、 自ら持っていた「自意識通貨」を手放して、「かわいく」振舞いつづけなければいけない。

実体経済と、自意識の通貨を交換しあう自意識経済圏は、恐らく「かわいらしさ」の価値軸を 通じてリンクする。

自意識を手放したくないのなら、「かわいく」あることでもらえる何かを 手放さなくてはならない。自意識通貨を失いたくないのなら、その人はたぶん、 「かわいい」人達の目線圧力に対して、実体貨幣での対価を支払う義務を負う。

「かわいくない人」は、かわいらしさの時代においては、たぶんステイタスになる。 かわいくなさは、きっと実体貨幣で購入可能なものとして流通をはじめる。

自意識通貨と実体貨幣は重なって、相互に両替可能なものとして、一つの経済圏を作り出す。

自意識の「証券」としての承認

自意識通貨を実体貨幣に「両替」してしまうと、その人はきっと、 何かすがるものがほしくなる。

自意識を購入するためには、同じだけの実体貨幣が要る。それでは意味がないから、 恐らくは同じ額面を持っていて、より少ない実体貨幣で購入可能な「証券」が大量に出回るはず。

自意識証券としての「承認」ビジネスが流行する。

市中銀行はお金を預かって、それを元手に「信用創造」を行って、 実体貨幣の10倍近くの証券を作り出す。世の中に流通している実体通貨は少なくて、 実際の経済を回しているのは、ほとんどが「証券」。実体としての価値をもたないけれど、 お互いの信用で回せるお金。

「かわいさ」価値軸が強くなると、「自意識経済圏」の通貨は実体貨幣に両替されて払底するから、 そこにはきっと、通貨に対する需要が生まれる。

自意識経済圏の「銀行家」に相当するのは、今だとねずみ講とかマルチ商法とか、 多くの信仰宗教団体だとか。恐らくこれから、もう少し「信用」に足る証券を販売する人たちが現れるはず。

流通する自意識の量を、信用創造を通じることで仮想的に増加して、 実体通貨の対価として「承認」を販売するビジネス。元手要らないから、これからきっと流行る。

銀行家は、「タンス預金」からもお金を抜き取る。

実体通貨の価値は、運用しなくてもどんどん変わる。銀行は、 信用創造を通じて経済を動かしてしまうから、 たとえ銀行と関係のないタンス預金ですら、その影響を受けてしまう。 タンス預金を100年もため込んだなら、たぶん100年後、その価値はただの紙くずになってしまう。

自意識経済圏も、こうした「銀行家」の搾取から逃れられない。膨張する承認証券は、 そんな経済とは無縁でいたい、多くの人達の自意識をも蝕んでいく。

自意識経済に疲れた人達は集まって、恐らくは地域貨幣を生むような気がする。

コミュニティは分断されて小さくなって、あるいはたぶん、「平等の復権」が来るのかもしれない。