拳を用いた異文化コミュニケーションについて

医:「○○のガイドラインはおかしくありませんか?」
弁:「おかしさの言語定義を行ってください」
医:「こことここ、矛盾していませんか?」
弁:「それは立法の問題です」
医:「この判決は不合理ではありませんか?」
弁:「それは立法の問題です」
医:「なんだか話してて腹立ってきました」
弁:「ではそういう立法を行ってください」

法律畑の人達と話が噛み合わない。お互いもっと話しあいを 持つべき業界なんだろうけれど、うまくいかない。

背負った立場が違うというよりは、会話を転がすためのルールに 不備があって、最初から「ゲーム」にならないイメージ。でも何が悪いのかよく分からない。

以下、「対戦格闘ゲームを通じてコミュニケーション語った文章読みたいな」、というお話。 自分はその頃、もうゲームセンターから離れていたから、感覚が分からない。

言葉は本質を隠蔽する

人間社会は言葉なしには成立しないけれど、言葉を持たない生き物だって「社会」を作る。

サルは手足で、ゾウは鼻で、犬猫は尻尾で、それぞれコミュニケーションを行って、 人間社会に負けないぐらい、複雑なルールを回す。

社会を作る道具は、たぶん何だっていい。

「道具」となるのは、たいていの場合、その動物が特徴的にそなえている器官。 ゾウなら鼻。鼻は有用で、独特のものだったから、ゾウは「鼻の社会」を作った。

「言葉」は、人間が生得的に持つ器官。

言葉というのは、社会が要請したとか、集団生活を円滑に進めるために開発されたとか、 何かの目的が作り出したものなんかではなくて、 人間独特の、生得的に備わっていたもの。

人間の社会は、言葉が作った。

社会が言葉を要請したのではなくて、言葉が社会を作り、常識を作り、 文化を作った。だからこそ人間社会は言葉と不可分で、 言葉が通じる社会は、生得的に言葉を備えた人間にしか作れない。

社会という現象は、状況が生み出した「収斂」なのだと思う。

イヌもサルも社会を作る。そこには裏切りとか駆け引きとか不倫とか、 社会を記述するための記号セットはほとんど揃っていて、 「言語」があるべき場所には、腕とか尻尾みたいなシグナルが鎮座している。

人間は、言葉を使って社会を作り出したけれど、「言葉社会」が持つ 特徴というものは、言葉をもたない動物社会にも共通して見られる。

社会にはたぶん、共通骨格に相当するものがある。ところが「言葉」が 社会とあまりにも深く結びついていて、言葉はしばしば、 そんな骨格を隠蔽してしまう。

「拳で語る」コミュニケーション

サル学であったり、動物行動学なんかを通じて人間社会を解説する試みは、 言葉が隠蔽してしまっている「社会的な何か」を探すとき、しばしば役に立つ。

人間同士のコミュニケーションは、もちろん言葉なしには成立しないけれど、 言葉はまた、コミュニケーションを考える上で大切な何かを隠蔽してしまう。

言葉がない状況に発生したコミュニケーションを論じることは、 だからこそ「コミュニケーションを真に生成せしめている何か」を観察するとき、 言葉が隠蔽していた何かを見出せる。

コミュニケーションを行うときには、「間」を読みあったり、蹴飛ばしてみたり。 相手の弱さを気にかけたり、あるいは逆に、 強さを信じて、和やかな空気に割り込みをかけてみたり。

突っ込みとか、強制割り込みなんて言葉は、何となく格闘技の空気。 格闘ゲームが大流行してた頃、ゲームセンターの日常会話でよく使われた単語。

法律畑の人達とは、未だに会話が成立しなくて、どんなやりかたしてもうまくいかない。 説明されても納得できなかったり、恐らく法律の人達も「俺様最強 w」なんて思っていなくて、 なんでうまくいかないのか、きっと首をかしげている、はず。

対戦格闘ゲームというコミュニケーション

対戦格闘ゲームをヒットさせようと思ったならば、ルールの設定が非常に大切なんだと思う。

特定のキャラクターが強すぎてしまったり、あるキャラクター同士の組み合わせで戦うと、 どちらか一方が絶対に勝てなかったりすると、恐らくそのゲームは盛り上がらない。

ルールはまた、プレイヤーの進化に応じて変化を要請される。

ストリートファイターⅡ」が発売されたすぐの頃、ロシアの鉄人「ザンギエフ」は 飛び道具もなければ動きも遅くて、使い物にならい、弱キャラクターの扱いを受けていた。

ところがゲームが普及して、各キャラクターに戦術が確立してくると、 ザンギエフには「立ちスクリュー」なんて必勝に近い戦略が見つかって、 使いこなせる人が使ったら、ほとんど無敵に近い強さを発揮した。

特定のキャラクターが強くなりすぎると、ゲームのバランスが崩れて、お客さんが寄り付かなくなる。 「待ちガイルは卑怯!」とか、「ダブニーハメ禁止!」とか、道徳に訴える ローカルルールも有効なんだろうけれど、それはやっぱり制度疲労を引き起こして、 プレイヤーは他のゲームに移ってしまう。

「ルールの不備」は、ゲームセンターの売上げ低下として可視化される。メーカーはすぐに反応して、 ストリートファイター2のルールは何回か改訂を受け、そのつどバランスは是正され、 たぶん売上げも回復したはず。

ゲームセンターにあって「会話」にないもの

実世界での言葉を使ったコミュニケーションというのはきっと、「やりこみ」を極めた プレイヤーしかいないゲームセンターのようなもの。バランス崩れて、ルールを調整 しないといけないのに、どうやればいいのかなかなか見えない。

対戦格闘ゲームのルールは微妙。どのキャラクターにも特徴があって、 強い部分と弱い部分、ちょっと見た目には区別がつかない。 プレイヤーが習熟してくると、お互い1 ドットの間合いを削りあう勝負。 わずかなルール変更が、時に大幅な戦略変更を引き起こす。

「医師-弁護士の言葉の壁」なんて問題も、恐らくは「1ドット」のバランス調整問題。 初期には問題にならなかったルールの瑕疵が、みんながゲームをやりこんで、 今では致命的な断絶となってきた。

法律畑の人達は、「訴訟」なんて飛び道具使えて、ガードをしても体力削られるし、 ジャンプしてやり過ごそうとしたら、今度は「言語定義」の無敵対空兵器を喰らう。 こっちが「倫理」とか「合理性」とか、起き上がりに下手な蹴り技出すと、 今度は「立法の問題」なんてコンボ入れられて、全然勝てない。

会話にも、たとえば「立法の問題禁止」とか、「言語定義は卑怯」みたいな ローカルルール作ってもいいのだろうけれど、お互いの戦略がよく分からないから、 どんなルールが面白いのか、全く分からない。

必要なのは、「売上げによる査定」なんだと思う。

どちらが正しいとか、こうするのが道徳的とかではなくて、会話の「売上げ」という パラメーターを何か設定して、それが最大になるよう、業界ごとの言語ルールを決めないといけない。 勝てないゲームはつまらない。つまらないからやらない。ローカルルールで 「法律の人が立法って言ったら回線切断」なんて作っても、それでは「売上げ」につながらない。

ルールの不備と、個人の資質の問題とは、恐らくは別個に考えられる。

世界大会で優勝したような、強いプレイヤーが常駐するゲームセンターは、 恐らくはその対戦台で勝てる人なんて出ないけれど、そのゲームセンター自体の 売上げは落ちないはず。 ルールの不備で負けるのと、すごい人に負けるのとは、全く別の問題だから。

お願い:誰か語って下さい

「拳で語る」という言葉には、恐らくは相当な真実が入っている。

対戦格闘ゲームが歩んできたルールの問題、 あるいはシューティングゲームに没入しているときに感じる、 作者とプレイヤーとの、「弾幕介したコミュニケーション」などには、 実世界でのコミュニケーションを論じるだけでは見えてこない何かがある。

言葉とか拳とかは、要するに道具なんだと思う。

コミュニケーションに本来必要なのは、同じ場所に複数の人が集まって、 一定のルールの元に、お互い意思疎通を図ることであって、 言葉それ自体は、コミュニケーションするのに便利な道具で、 しかも「人間同士のコミュニケーション」を作り出した立役者でもあるんだけれど、 必ずしもそれは、コミュニケーションそれ自体を作るのに必須なものではないはず。

ただの道具でしかない言葉が、コミュニケーションの世界では、あたかも王様のようにあがめられ、 バックグラウンドでコミュニケーションを駆動しているルールの問題は、言葉によって隠蔽される。

言葉の要らないコミュニケーションを論じることは、きっと言葉を使ったコミュニケーションの 問題点を、分かりやすい形で教えてくれるはず。

自分には残念ながら資質がなくて、ストリートファイターは2 ボタン時代の初代しか 知らないから、そのあたり全然分からない。

誰か全盛期を知っている人、コミュニケーション語りたい人、まとめていただければ幸いです。。。

たとえばそれは、ネットで文章発信している人達のやりかたを、 ストⅡのキャラクターごとに確立した戦術にたとえて分類したり、 ゲームセンターで、初対面した人に、挨拶もそこそこに「待ちガイル」されたときの哀しさだったり。 きっと楽しいと思います。

コミュニケーションから「言葉」を外して、もしかしたら技術畑と法律畑とを 隔てている「絶望的な1ドット」が見つかるなら、それはすばらしいことだと思います。

とりあえず、dankogai さんはザンギエフで。