時を止める人

100年以上生きている人がいる。

寝たきりになって、濃厚流動食を流し込まれてやっと「100」に到達したのではなくて、 100 年という時間ですら、単なる通過点にしかすぎないような人。

どこの病院にも、たいてい1 人ぐらいはそんな方がいて、例外なく異様に元気で、 ちょっと見た目は80歳ぐらいにしか見えない。頭もしっかりしていて、普通に会話するし、 杖も使わず歩いて外来に来る。

代謝速度と長寿

自分が受け持っているそんな超高齢の人は、 今年の3 月に転んでぶつけた頭の怪我が、まだ治らない。

傷はもちろん塞がっているし、痛くも何ともないんだけれど、皮下にできた出血が吸収されない。 もう8ヶ月以上たっている傷なのに、見た目はちょうど、治って1ヶ月位に見える。

大学の消化器内科でフォローしている超高齢の患者さんは、4 年前に胃癌が見つかったのだそうだ。

高齢だから、手術や化学療法は行わないでフォローしているのだけれど、 癌はごくごくゆっくりと成長するだけで、転移もしないし、もちろん何の症状もない。

同業者でのおしゃべりでは、こんな「時を平気で越える人」の話題が時々あがる。

結論はそのときによりまちまちなのだけれど、このあいだの結論は、 超高齢者というのは、細胞のターンオーバーが極端に遅いんじゃないかなんてところに落ち着いた。

たかだか2 例の経験にしかすぎないし、細胞の交代速度なんて、一体何をもって測定すればいいのか、 部分に関する経験だけで、それで全体を代表させていいものなのか、 そんなものはもちろん分からないんだけれど、何となく腑に落ちた。

生体の「回転数」

生命は動的平衡なのだという。

生命の見た目は常に同じだけれど、それはあくまでも平衡状態を保っているだけであって、 個々の細胞は古いものから脱落して、新しい細胞がそこを置き換える。 生命は常に入れ替わりを続けているけれど、 離れて見れば、そこにはいつも同じ形。

部分は常に入れ替わるけれど、全体を構成する形はいつも一緒。こんな性質というのは要するに、 生命を取り巻く苛酷な環境で生き延びていくために、動物が身につけた適応の手段。

「動的」であることは、恐らくは柔軟性を生み、外乱に対する抵抗力を増す。犬みたいな 哺乳類でも夏冬で毛皮が生え換わるし、トカゲなんかは、手足が欠損するような怪我を負っても、 しばらくすると元に戻ったりする。

細胞の入れ替わりの激しさ、「回転数」に相当するものには、恐らくは生物ごとの最適値が存在する。

小さな生きもの、苛酷な環境で生き延びる生命は、トカゲみたいな「高回転」を維持しないと 環境の変化に対応できない。環境が穏やかだったり、 あるいはメタセコイアみたいに巨大化することで、 局所の環境変化を相対的に無視できる程度に小さくしてしまえるのなら、 細胞を「ブン回す」メリットというのは小さくなっていく。

環境の変化は、本来なら10万年単位のイベント。ところがこの1000年ぐらいの間、 恐らくは人間を取り巻く環境だけは劇的に穏やかになってしまって、 人間が持っていた環境変化に追随するための能力、 細胞の「回転数」は、もしかしたら環境に対してオーバースペックになった気がする。

人間はもはや、寒くても毛皮を生やす必要はないし、皮膚が破れた程度の怪我ならば、 バンドエイド1 枚貼れば、当面は何とかなる。アフリカのジャングルではあるまいし、 野生動物ほどの治癒能力は、少なくとも文明国で暮らす人間には必要ない。

恐らくは、回転数が高いことには欠点もある。

半ば都市伝説だけれど、哺乳類が一生のうちに打てる心拍は、種族を問わずに一定で、 大きな動物の心拍はゆっくりで、ネズミなんかは極めて早い。寿命はそれに逆比例して、 大型動物は長命だし、小さな動物の寿命は短い。

「動的」であることを維持するには、おそらくは莫大なエネルギーが必要で、 情報を転写して、細胞を分裂させる過程には、常に一定の割合でエラーが混じる。 転写に失敗した細胞は癌化してしまったり、あるいは古い細胞が欠落した穴を埋め切れなくて、 脳であったり心臓であったり、様々な臓器の機能低下を招いてしまうかもしれない。

時を止めた人

ごく漠然とした印象として、元気な超高齢者の人というのは、 80才頃のどこかの時点で、「動物としての時」を止めてしまって、 以後は「植物の時」を生きているイメージを持っている。

もちろんみんな、動くし喋るし考えるんだけれど、その人達の構造は動的ではなくて、 むしろ極めて静か。その代わり外乱には極めて弱くて、骨折ひとつで何故だか亡くなってしまったり、 感染拾っても本当にぎりぎりになるまで症状出ないから、入院した途端に「眠るように亡くなって」しまったり。

みんなの興味は再生医療にむかっていて、 研究者はトカゲの再生力から何かを学ぼうとしている。 細胞のターンオーバーを極端に早めて、人間の常識を越えた治癒を得るやりかた。

何となく、逆のやりかたもあるような気がする。 ある年齢を越えたなら、あるいは何か特定の機能をあきらめられるなら。

千年以上の時を越えた木は、たとえば折れた枝の一部が腐食していたり、 ヤドリギが山程くっついて、正常組織を食い荒らしたりするけれど、全体の木としてのありようは、 案外そのまま何年も変わらない。

感染であったり、腫瘍であったり、病気という外乱は、外乱それ自体が悪さをする要素とは別に、 生体がどこかの時点で「全面戦争」に舵を切って、一気に具合が悪くなる。

生体が、あるいは医療従事者が、それを「正常化しよう」なんて余計なことをしなければ、 あるいはもう何年間か、時間を作るようなやりかたもできる気がする。

もうずいぶん昔、意識障害のまま何年も経過している患者さんがいて、いつも喀痰からは 物騒な細菌が生えつづけているのに、抗生剤も何も使わないで、何年も安定した経過をたどっていた。

「あの人は何で肺炎にならないんだろう?」なんて、当時の仲間同士、首を傾げたものだけれど、 あるいはその人を支配する時間軸というものは、その理由を説明してくれるのかもしれない。