夕張の医療特番を見た

破綻した自治体の、破綻した市立病院。それを立て直そうとして独り奮闘する医師のお話。

夕張の状況は最悪。

もう何年も入院している、行き場の無い患者さん。大量の病院職員。医師だけがいない。 予算は市の財政におんぶに抱っこ。56億円もの赤字。病院を潰すわけにはいかないけれど、 こんな状態になった組織をどうやって立て直せばいいのか。

病院長になった村上医師のとった方法は、手堅いやりかた。

病院組織を整理して、病院は診療所へ。病院組織はスリム化して、やる気を持った職員だけが残された。 もちろんその裏では、大量に解雇された病院職員。破綻した自治体だし、そんな人達にはたぶん、 市の職員としての仕事は残っていないはず。「どこかにいった」そんな人達がどこにいったのか、 そのへんはカメラに写らなかった。

病院の残ったベッドを利用して、介護センターが作られた。 内服薬を削って、リハビリテーションを中心に行うそんな施設は、 同じ高齢の患者さんを診察しても、収益を多く上げることができる。

訪問看護も始めた。これもまた利益率の高いやりかた。

どちらのやりかたも、いろんな地域で実践されて成果を上げている、手堅い手段。 残った職員は訪問看護に力をいれて、リハビリテーションに積極的に取り組んで、 病院の収益は上がり、寝たきりだったお年よりは、手厚いリハビリテーションの末、 自力で立ち上がるようになった。

部分の最適と全体の不利益

番組では順調な成果。それはきっと間違い無いのだろうけれど、 病院の収益が上がった分、きっと夕張市財政支出はそれだけ増えている。

夕張は高齢者の町。65歳以上のお年寄りが4 割。大きな産業も絶えて久しいはずだから、 物語の主役、市立病院に長い間入院していた高齢の患者さん達というのは、 たぶんそのほとんどが、市の補助を受けて生活する人。

夕張市が実質つかえるお金は、年間 80億円ぐらい。

病院を運営するのにはものすごいお金がかかって、公立病院はどこも赤字。 県立病院級だと年間20億円、大学病院クラスになると、年間50億円ぐらいの補助金を 入れないと、病院組織は回らない。

院長は頑張る。リハの人も頑張る。患者も頑張る。収益は上がって、 病院の赤字は減って、請求書は市に回って、タダでさえ苦しい財政はますます圧迫されて、 他のサービス、学校の整備であったり、若い人の福利厚生であったりは、たぶん削られる。

たとえば村上先生の活動を意気に感じて、新しい医師が2人ぐらい、 今の病院に赴任することになったとすると、 その人達の給料とか、その人達が作る「売上げ」を支払うために、市の財政はたぶん、 さらに1 億円ぐらい飛んでいく。

今夕張の財政を支えている若い人達、普段は病院を利用しないそんな人達は、 負担した税のほとんどを、高齢者に吸い取られてしまう。

「医師が増えました」なんてニュースを見た翌月、どこかの小学校で給食が無くなってみたり、 毎日来ていたごみ収集者が週3 回に減らされてみたり。 若い人が高齢の人達を支えるのはどこの地域だって同じ構造だけれど、夕張みたいに 「閉じた系」の中では、たぶんそうした不利益は嫌でも目に付くような気がする。

税を負担する若い人達は、きっと余力のある人から外に出ることを考える。

村上先生達は、そのへん全部分かってて動いているんだろうけれど、職員の努力は結局、 市の年齢構造をもっと歪にしていく。

みんな正しいことを目指していて、病院だってもちろん、 医学的にも経営的にも正しい努力を行っているのに、 経済系が閉じてしまっている夕張市では、努力がすべて裏目に出てしまう。

可視化された世代間抗争のこと

集めた税金を誰のために使うのか ?

政治の機能というのは要するに、世代間の予算分配競争。子供は生産力と勢いで、 大人は老獪さと道徳で、各々正当性を主張して、自陣営により多くの予算を奪いあう。

普通の都市では、予算規模が大きすぎて見えにくかったり、「若者は年配のものを敬うべき」なんて 建前をみんなが飲み込んでたから、今まであんまり問題にもならなかったけれど。

年寄りは敬われなくてはいけない。人は元気にならないといけない。

当たり前すぎて、疑うこともしなかったこんな「常識」も、もちろん誰か考えた人がいて、 その人にとってはこんな「常識」が、その人を利する武器になったり、あるいはその言葉が生む 利権が案外大きかったから、いろんな人がそれに乗ったり。

少し前まで、高齢者の知恵は実際役に立っていて、たぶん年寄りを敬うことには ものすごいメリットがあった。

高齢者は頼りにされたし、敬われたけれど、それは人生が60 年だった頃の話。

80も後半回した、チューブ栄養で叫ぶだけの高齢者。そんな人にものすごく手厚いリハビリを行って、 請求書見たら軽く失神するようなお金をかけて、その人「敬って」得られたものは、 「自力で寝返り」であったり、足をばたつかせることができるようになったことであったり。

今は「この先」の話を積極的にするようになった。お金の話もする。 「よくなってもせいぜいこれぐらい」なんて話もする。 それでもほとんどのご家族はチューブ栄養を望むし、文句もいわずに対価を支払ってくれる。

それは道徳的にはとてもいいことなのかもしれないし、自分たちは神様じゃなくて、 なによりもそれで対価を得ている商売人だから、そんな決断に対して口を挟む 権利なんてない。

やはり「こんなはずではなかった」と思う家族もいるのだとは思う。

常識とか、道徳に従って、目の前の医者に対価を支払って。毎月のように馬鹿高い請求書回されて、 在宅介護に24時間、3年ぐらい費やして。得られたものは、痛めた腰と、 排泄物の臭いがしみついた部屋一つとか。

道徳守って与えられるはずの「何か」なんてそこにはなくて、認知的不協和の黒幕探して、 結局これは、「医者が騙した」なんて潜在的な思いにつながる。

ピンピンコロリ運動なんかが流行っているけれど、提唱する人達の興味は「ピン」にあっても、 行政とか、お金を出す側は「コロリ」させることしか考えない。

腹囲測定ひとつで診断できるメタボリックシンドロームなんて 怪しげな定義が作られて、それが既成事実化して、今度は健康診断の検査項目が 削られるらしい。血液検査なんかが大幅に減らされて、要するに医者は、メジャー片手に 胴回り測ってればいいなんて。

行政の補助は減る一方で、医師にできることもまた、減らされる一方。「道徳」と「対価」との 乖離は、これから先広がっていくことはあっても、道徳を見直さない限り、縮まることはありえない。

番組終盤、それでもリハビリテーションのかいあって、長い間寝たきりでしゃべれなかったお年よりは、 自分の力で歩き出して、歌をうたえるまでに回復した。

元気になった父親に久しぶりに再会したご家族は、その人の引取りを拒否した。