立場から物語る力

いろんな技術が進化して専門分化していく中で、支払いを済ませる機会はますます後に回されて、 貨幣の価値が多様化して政治性を帯びていく。

技術者の成果に対する価値の見出されかたは、 時に技術者の想像を越えた角度からなされるようになって、 多様な査定を受けるようになる。

ごく大雑把にこんな流れがあるのだとして、技術者には技術を進歩させる以外の戦略がとれない中で、 最後に大切になってくるのは、きっと「立場から物語る力」なのだと思う。

専門分化が進むほどに支払いが遅れていく件

交換の概念すらなかった大昔、野菜を食べようと思ったら土地を探して、 肉食べようと思ったならば山に入るか、子牛を育てて。

みんなが消費者であると同時に、生産者であり、専門家。すべては自己責任だから、 専門家の説明責任なんて存在しないし、「支払い」の機会は、ものが口に入るはるか手前、 まだ肉や野菜が出来上がっていないタイミングで為された。

物々交換の時代。野菜ひと山と、牛一頭とを交換する時代。支払いと「口」との距離はまだまだ 遠くて、野菜は洗わないといけないし、牛は捌かないといけないし。

貨幣ができて、流通ができて、保存の技術が進化して。収穫物に対価を支払えばよくなったのは、 まだまだ案外最近のこと。

技術進歩の歴史というのは、「支払い」と「口」とが距離を縮めてきた歴史。

この流れが「ゼロ」になって終わるのか、それともそこから先があるのかは議論が分かれるだろうけれど、 個人的には、こんな流れはもっと進んでいくのだと考えている。

  • 食事をしたら、それが消化、吸収を受けて、トラブル無く排泄されて、はじめて対価を支払う。
  • 家を建てたら、車を買ったら、とりあえず10年ぐらい使ってみて、満足したらはじめて対価を支払う

こんなシステムをそのまま実装するのはもちろん無理なんだけれど、 「支払い」と「口」とが近づくにつれて問題になっているのが、専門家の説明責任。

技術者と消費者、お互いの距離は離れて、相互理解がほとんど不可能になるなかで、 「過程」を共有することはもはやほとんど不可能。 情報を与えられない消費者には「過程の正しさ」を評価することは難しくて、 結果に満足を示すこと以外の振舞いは許されない。「結果につながらない過程」の価値は、 技術の進化と共に、こうして失われてしまう。

専門家が説明する、こんな高コストのお仕事が価値を落としてきた現在、 「不満ならいつでも返品可能」のスーパーマーケットがそこそこ成功してきたりして、 支払いと口との距離は、たぶんそろそろゼロ点を通過するはず。

政治化する貨幣の話

王様独りが世界を支配して、世の中にお金が1 種類しかないのなら、 そもそもこんな問題はおきなかったのだと思う。

消費者に許されるのは「満足を示すこと」だけだから、 それができない消費者は排除すればいいだけの話。

貨幣の種類が増加して、お互いの価値が変動するようになってから、 その国の信用が貨幣の価値を左右するようになって、貨幣には政治性が付加されていった。

たとえば「円」という貨幣は、日本の信用力を信じる人が集めるお金。 日本を信じていない人が増えるなら、 円の価値は下がるだろうし、他の国が不安定になったなら、 相対的に円の価値を信じる人も、また増える。

ネット世界には「ポイント通貨」なんて新しい貨幣が登場して、いろんな企業とか、あるいは政治団体 なんかが様々なポイント通貨を発行するようになるのだとしたら、 貨幣の持つ政治力は、たぶんますます高まっていく。

それはたとえばアマゾンポイントであったり、楽天ポイントであったり。たとえば自民党が「自民円」を 発行したり、公明党が「ダイサクポイント」を発行して、政治資金の調達をはかってみたり。

全ての団体が「1ポイント1円」でこんなポイントを発行しても、信用力の高いポイントは、市場では もっと大きな価値を持つことができるから、その差額は企業の収入。為替と同じく、 信用力の高さというものが、そのまんま企業の価値、団体の価値に跳ね返ってくるだろうし、 ネットで発信を続けている個人の信用力というものも、もしかしたらこうしたポイントに 微妙な影響力を持つようになるかもしれない。

税金の問題であったり、ポイント通貨にはまだまだ難問山積みなのだろうけれど、 企業にはポイントを発行するメリットがあって、消費者には逆に、その企業が「悪」を為したら、 そのポイントを手放すことで、企業の価値を下げることができるから、ネット世論とリアル世間との距離は ほとんどゼロに近くなって、世の中絶対面白い方向に進むはず。

個人的に見てみたいのは、選挙直前。

選挙資金を集めるのに、公明党が大々的にポイント発行を準備する。 それを待ち構えてた2 ちゃんねるの株板では、そんな動きをウォッチしていて、発行と同時に持っていた ダイサクポイントを売り浴びせる「神」が多数出現、ポイント暴落して大損する公明党

そんな「祭り」をみんなで大笑いするような。

こんな流れはきっと、投票とか、政策を通じた政治活動とか、少数の専門家が決めてきた 「正しいやりかた」の無意味化につながっていく。

消費者が専門家を査定する時代

消費者権力の増大。過程の無力化。貨幣の政治化。そして価値の多様化。

成果につながらない良さや正しさ、一部の専門家にしか分からない価値といったものは、 こんな時代の流れの中で、これから確実に価値を失っていく。

「情報の非対称性」を理由に、専門領域の市場開放は不可能だという論理には、 実は結構反対だったりする。

要は「前払い」がもう時代遅れなだけであって、「結果に満足できて、 そこではじめてお金を払います」という ルールをどうにかして実装しないといけない時期が来ているだけなんだと思う。

顧客満足を最大化するルールは、たぶん安直なポピュリズムに陥らないで実装する 術もあるような気がする。

たとえば対価は対価として受け取る代わりに、それをサービスの提供者に支払うか、 あるいはその業界の「ギルド」に支払うのかを選択できたりするやりかた。

消費者は、そのサービスに満足できたなら、その「ピーク性能」に対して対価を支払うし、 不満であればギルドへの投資を選択することで、「平均値の底上げ」に期待をつなぐことができる。

お金は支払わないといけないけれど、そこに消費者の意志を加えることができるはずだし、 貨幣が政治化していく中で、「ギルド」もまた自らの信用を増していく必然性が生じるから、 「悪い奴ら」というレッテルをはられたギルドは、自然にその価値を下げていくはず。

面白がる力と物語る力

価値は間違いなく多様化する。

宇宙論の最先端、何億円もかけた加速器で実験する人達の成果というのは、あるいは一般の人には 何の役にも立たないけれど、SFじみた機械を日常的に使う科学者達の生態を面白く伝える 物語であったり、 「宇宙のはじまり」を見てしまった人達のものの考えかたとか、世の出来事に対する次元の異なった 視点であったり、そんな夾雑物は、あるいは誰かにものすごい価値を見出されるかもしれない。

正当なる専門技術、ごく一部の専門家から高く評価される論文を書く能力と、 同じ機械や環境を使って、あるいはすばらしく面白い娯楽諸説を書く能力とは、 顧客の前では対等になる。

それはどちらが正しいではなくて、本来サービスを受ける顧客こそが その専門家の価値を判断するなら、当然生じてくる流れ。

業界の古株、ごく一部の権威によって「正しさ」とか「よさ」が定義されて、 正しい過程が重視されて、正しい工程を経た、正しい結果だけが 少数の専門家によって価値を付加される時代から、 世界中の「素人」が、よってたかって価値を査定する時代へ。

この流れは、結果だけが評価されて、過程の正しさに意味がなくなるのでは決して無くて、 結果は結果として、過程の面白さは面白さとして、様々な立場の人によって、 それが等しく判断される流れなのだと思う。

専門家の人達にとって、時代を越えた武器になるのは、 「立場を語る力」と、「立場を面白がる力」。

それは本来、技術者にとって今も昔も変わらない大切な価値。決して悪い未来ではないと思う。