存在の渦をつなぎ止める小石のこと

偏差と復元力の話をもう少しだけ。

たとえば川底に小石が一つ転がっていたとして。小石の形と、川の流れとがうまい具合に調和すると、 その石を中心にして、川面には渦が作られる。

渦はある程度の恒常性を持っていて、流れの具合が少々変わったぐらいでは消えることなく、 渦はずっとそこにありつづける。

川の水は常に入れ替わるけれど、川面にはいつも渦があって、その中身は常に変わっても、 そのありようはいつも同じ。

渦には2つの構成要素がある。

  • 川の水のように、動的平衡状態としての「ありかた」を形作るもの
  • 川底の小石のように、平衡状態を保つ「きっかけ」になっているもの

気候の激変がなければ、川面の渦は何百年経ってもそこにある。川底の小石は、 それでもごくわずかな歩みで削られていく。

渦の消失と小石の不変

何百年も経って、小石はわずかずつ丸くなる。小石はある日恒常性を保てなくなって、 川面からは渦が消える。

川面で起きたことは「激変」なのに、小石の変化は連続的で、ごくわずかなもの。

渦を作っていた昨日までと、渦が無くなった今日の小石と。 何がいけなかったのか。何が変わって渦が消えたのか。 小石をいくら調べても、たぶん原因は分からない。

医学のこと

人が老いる。指摘できる病気も無いのに寿命で亡くなる。あるいは、同じ程度の重症感なのに、 ある人は何事も無く回復して、ある人はなぜだか治療に反応せず、無くなってしまう。

医療は常に正常値を目指して、崩れた恒常性を回復させようと努めるけれど、 いくら栄養を入れたところで、抗生物質やら強心薬やらを投与したところで、 「恒常性を維持していた何か」が欠けた人というのは戻ってこないし、 それが保たれている人は、少々治療がラフでも元気になる。

その人が「元気な状態」に復帰するのか、それとも亡くなってしまうのか を決定しているのは、「復元力」みたいな何か。

「生体という渦」の存在を担保している小石みたいなもの、あるいは概念が どこかにあって、それが削れてしまった人と、それが保たれている人との違いというのは、 恐らくは感覚できないぐらいにわずかな差なんだと考えている。

西洋医学は小石を観測できない

ところで「小石」を観察することは、恐らくはすごく難しい。

渦の発生はたぶん、川底に散らばる岩の分布であったり、水温であったり水の濁り具合であったり、 流れが小石と反応する以前の段階で、すでに様々なものに影響される。渦の発生は、 だからこそそれが発生したことを通じてでしか観測されず、特定の形状をした小石を見つけたところで、 その発見が渦の発生を決定しない。

一度発生した「渦 - 小石系」は、観測ができない。

水面に渦を見つけて、水中にある小石と渦との関係を観測しようと系に介入した瞬間、 渦は元の形を崩してしまう。川底から小石を取り出して、それを観察することは たぶん可能なのだけれど、石の大きさや重さ、峰の形やへこみ具合など、 小石を表現する様々な要素のうち、何が渦の発生に貢献しているのか、 石だけを取り出していくらながめても、恐らくは答えが出ない。

渦というのは動的な現象。解剖学とか生理学とか、渦を作らない「石それ自体」を 相手にする学問からは、恐らくは渦という現象についての全てを見ることはできない。

小石という、科学の川面からは見えないファンタジーな何かを仮定した時点で、 何かすごく負けた気分なんだけれど、今の西洋医学では説明できない、 もちろん東洋医学とか記憶する水とかマイナスイオンなんかでも説明できない、 同じ治療に対して同じ結果を担保できない違和感というのは常にあって、 認知的不協和いっぱい。

考えたところで結論出ないから、とりあえずは今と同じ事を続けるしかないんだけれど。