生き延びられる場所について

商売をする場所には大きな人の流れというものが必ずあって、 みんなその「流れ」の中に身を置いたり、傍らにたたずんだりしてお金を稼ぐ。

流れは年々厳しくなって、お金を稼ぐやりかたは、これから減りこそすれ、 増えることはあんまり期待できなくて。

生き残るやりかたを考えた。

流れの傍流に立つ人は、濡れないけれど、流れが細れば自分も枯れる。 流れの真ん中に立つ人もまた、流れに身を任せているうちに、そのうち 立場を失ってしまう。

たぶん、流れの下流側、専門家としての立ち位置には最後まで需要があって、 たぶんほとんどの人はそこで生前競争を繰り広げる。

流れの源流側というのは、厳しくなると真っ先に枯れてしまう場所なのかもしれないけれど、 もしかしたらそこには、わずかばかりニッチが残るような気がする。

流れに身を晒す意味

外来は面倒で、入院患者の急変も面倒で、救急外来なんかはもっと面倒で。

病院というのは、たくさんの人が流れていく場所。そんな流れの「傍流」で 商売をするやりかたは、リスクが少なくて利益が大きい。

フリーランスの麻酔科医師がだんだんと増えている。 週3日勤務、年収は内科の2倍なんて、素敵な話。

もうものすごくうらやましいからやっかみ8 割なんだけれど、 出張麻酔科医というお仕事は、「源流」たる患者を押さえていないという部分で、 ものすごいリスクがある。偉い人達だけではなくて、末端の、もしかしたら匿名の誰かの つまらない振る舞いが、業界全体を激震させてしまうかもしれない。

それは臨床工学技師であったり、看護師による麻酔であったり。 以前から医師でない人に麻酔を任せようなんてアイデアはあって、 そのつど「安全な手術が保証できない」なんて、猛反発で潰されて。

実際のところ、たとえば人工透析の機械とか、人工心肺なんかは臨床工学技師の管理下で、 ずいぶん前から問題なく使われてきて。単純に機械としてみたときの麻酔器は、 その構造は案外簡単で。もちろん、簡単な機械であるほど、裏を返せば使いこなしが難しいのだけれど。

麻酔科医が現場で不足していて、その価格が高騰していて。その一方で、医療費を削減したくて、 もしかしたら病院を経営する人達も、麻酔科のコストを削減したくて。

今はたぶん、麻酔科学科の偉い人達と、厚生労働省の偉い人達とが それなりにうまくやっていて、危ういバランスを保っている状態。安全優先。

バランスは、つまらないことで狂ってしまう。

麻酔科の医師で、Web日記を書いている誰か、 あるいは麻酔科を騙る匿名の誰かが厚生労働省の悪口を書く。 自分の生活を面白おかしく誇張して、「自堕落で贅沢な麻酔科医師」の印象を流布させる。 こんなつまらないことがきっかけで、案外世論は大きく動いて。

制度一つが変化するだけで、全てがひっくり返る可能性がある。

「臨床麻酔師」の制度が導入されて、ごく一部の麻酔専門医が多くの麻酔師を監督して手術を回す。 それ以外の麻酔科医は路頭に迷うから、安く買い叩かれるか、患者さんのいる場所を探さざるを得ない。 麻酔科医は、他に救急と集中治療の現場を回す能力を持っていて、 現状この部分の人手は全く足りていないから、もしかしたら今度は救急が充実するはず。 こんな流れは、ある思惑を持った人達にとっては、すごく都合がいい展開。

こんな流れが生じる確率は、コミュニティの中で「最低の」人間が決定する。 それ以外の人がどんなに努力したところで、その確率には介入できない。

患者さんを持たない医師、源流を押さえられない立場というのはこのあたりが非常に弱くて、 自分を取り巻くすべてのものがリスクとなってはねかえる可能性があるから、油断できない。

自らをハードワイア化していくリスク

NHKでは、総務一筋20年のおじさんが解雇される番組を放送していた。

総務とか、経理とか。ある意味会社の中枢部分。解雇を宣告された人だって努力して 来たのだろうし、もしかしたら「会社に貢献してきたのになぜ?」なんて思っているはず。

書類の山を整理して、読みやすい形に整えてから別の部署へ。

総務や経理、中国にアウトソースされて、日本人の居場所がなくなってしまった こんな仕事というのは、最適化が不十分だった昔なら、きっと会社で最も大切な 部署だったはず。

たぶんみんな努力して、いろんな仕事を最適化して、いちいち考えて処理していた 非効率な部分を廃して、仕事を少しづつ「ハードワイア」化して。

こんな努力は実を結んで、仕事はもはや、日本人がやらなくてもいいぐらいに定型化して、 総務一筋20年の人は、会社に居場所がなくなった。それはひどい話だけれど、 最適化のやりかたというのは、時として自分の首を締める方向に働いてしまう。

「流れ」の傍流で仕事をするのも不安定だけれど、流れの真ん中で 仕事をしつづけている人もまた、早晩自分の場所が奪われる可能性から逃れられない。

病院内での欠かせない部品として、一般医がいくらがんばっても、そのがんばりは、 あるいはその人の首を締めてしまうのかもしれない。

非専門家が生き残れる場所

優秀な専門家というのは、たぶんこれからも引っ張りだこ。医療の分野でも優秀な人達は、 みんな専門家を目指していて、専門分化は加速する一方。

で、自分みたいに優秀でない人間は、お祈りしながらガタガタ震えているわけにも行かないから、 流れの中から「前」にでることを考える。

ドリルがほしいお客さんは、本当はドリルがほしいのではなくて、「穴」を開けたい。

たとえば、32ワットの蛍光灯を買いに来たお客さんに、電球でなくて「明るい部屋」とか、 「幸せな生活」を売る能力を持った人というのは、スーパーマーケットで中国製の 100円蛍光灯が簡単に買えるようになったとしても、たぶん生き残っていけるような気がする。

ユーザーが本当にほしいものというのは、たぶんユーザーと専門家とを結んだ直線上には存在しなくて、 それは「流れ」に乗っかる前、ユーザーの背後、言葉として「これがほしい」と考える前の段階に存在する。

それは言語化した「商品」なんかよりも、もっと漠然とした概念。

概念を言語化する工程というのは帯域幅が狭くて、 概念が持っていた情報は、それが言語化される過程で大半が失われてしまう。

欠落した情報からは、どんなに優秀な専門家が集まったとしても、不完全な成果物しか生み出せない。

「明るい部屋」とか「幸せな生活」を売れる人というのは、 たぶんユーザーの頭の中、概念の段階で情報に圧縮をかけて、 それを言語化して外に取り出す。狭帯域の部分を通過させてもなお、 ユーザーはほしい「何か」を再現することができるから、満足度はきっと高いはず。

難しい仕事を達成する専門家と、ユーザーの概念を再現できる能力と。

やっていることはどちらも同じで、要するにこれからの時代、「脳がかいた汗」にしか 対価が支払われない時代が来るのだということ。

立場を維持し続けることとか、流れの真ん中で情報を変換する仕事なんかは、 身体は大変だけれど、もしかしたらCPUパワーは喰わなくて。

維持や変換に比べれば、圧縮や再展開、あるいは発想という行為は、 はるかにCPUパワーを喰うお仕事。

たぶん、生き延びられる場所というのは「頭が汗をかける場所」であって、 立場上汗をかかざるを得ない人というのは、 たぶんどんな状況になっても、その汗に対価を払う人に恵まれるんだと思う。

たとえば高齢者を連れてきた家族の思いをあれこれ聞いて、 その頭の奥にある「しあわせな生活」の概念を見出せる医者というのは、 生き延びる可能性はそれだけ高いはず。

「しあわせな生活」の圧縮ファイルを汗かきながら解凍してみたら、 その中心には当の高齢者はいなかった…なんて結果は、 頭使う前から見えてはいるんだけど。