悪役が引っ張る議論手法

医療崩壊、産科滅亡なんて記事が連日話題になって、 鬱々としながら地元の医師会報を見た。

「80年代以降のカレラを全種類集めてます。最近子供からもっと実用的な 車を、なんて怒られて、脇道にそれてカイエンターボ買っちゃいました。てへ♪」

いつも患者さんブン投げてくる先生がこんな投稿寄せていて、ちょっと滅んでほしいと思った。

みんな頑張ってるけれど、今の予算ではもう限界。現場が限界を訴えて、 上から見おろす人達は、「みんな頑張れ」「今の予算で限界を越えろ」なんて、 噛み合わない議論。

グリーンピースはなぜ強いのか?

有名な環境テロリスト集団「グリーンピース」の主張や行動は、 ほとんどの場合、批判なしに報道される。

彼らの行動は、たいていの場合「悪いこと」で、時々いいこともするけれど、 どちらにしてもそのまんま。「恥を知れ」とか、 「鯨を救うのがグリーンピースの義務である。それを忘れてはならない」とか、 そんな論評がくっつくことはほとんどない。

マスコミがしばしば緑豆の大本営発表をそのまんま報道せざるを得ないのは、 彼らに逆らうと殺されるとか、心情的に彼らに賛成しているとかではなくて、 単純に、事実以上に面白い話を書けないからなんだと思う。

自覚的に悪役として振舞う人達に台本を書かれてしまうと、正義を自認する側は、 それ以上に面白い話を作れない。

グリーンピースの人達は、普通の人間から見れば狂った行動ばっかりしているけれど、 彼らは「鯨の保護が常に世界の話題として取り上げられる」ということが目的の全てで、 そのためには自らが悪役を買ってでることを恐れない。

緑豆号が捕鯨船に特攻したりするパフォーマンスは、 どう見たってグリーンピースの名を貶めている行為だけれど、「鯨が話題になる」と いう目標は十分に達成できるし、鯨はそれで傷つかないから、マスコミもまた 「緑豆が特攻しました。危ないですよね」としか報道できない。

正義は自覚的な悪に対して無力

たとえばそれが「アンパンマン」であっても「仮面ライダー」あたりであっても、 正義と悪との戦いが一段落した頃、正義側、悪側それぞれの代表者が「あの頃」を振り返った 手記を出版したとして。

内容が面白くて、資料的価値が高くなるのは間違いなく「悪」の側が書いた本であって、 正義が書いた本というのは、作者の思い込みを羅列したものにしかなり得ない。

正義という立場は、無自覚な悪役を「悪である」と定義することで、 初めて力を得られる。悪と定義された人達は、もしかしたら自分達の生活のために よかれと思って「悪」を為したのかもしれないし、単純に世の中に対して 無知だっただけなのかもしれない。

それが正義なのか、悪なのかを決定するのは、あくまでも世論という漠然と大きなものを 背負った正義の側であって、悪の側というのは、自らの世界の中で、 その行動を最適化しようとした、無知な集団にしかすぎない。

正義は悪の無知さを利用して、悪を定義して世間から力を得る。 悪の側が「悪であること」に自覚的で、自らの思惑を世間に公表してしまえば、 それは話しあいの対象にはなっても、「正義の味方」の出番は無くなってしまう。

憎悪をシェアして議論をはじめる

医療の現場が叩かれて、必要以上に叩かれて、その上叩きに対して ほとんど無力にも思えるのは、たぶんこうした「悪を買ってでる」覚悟というのを、 医師会の偉い人たちが持っていないからなんだと思う。

現状を変革して、何かを要求する人は、やはり自らが悪役になる覚悟を持たないといけない。

産科の体制を何とかしろとか、自然な分娩何とかしろとか。

汚い物を見たくないシミンの人たちが国に要求しているのは、 「何とかしろ」なんて思考放棄で、具体的なプランなんて何一つないだろうし、 予算が無いとか人材不足なんていい訳しても、「それも何とかしろ」という返事が返ってくるだけ。 そこには交渉の余地なんてないし、彼らは叫んで気分がいいかもしれないけれど、たぶん何も変わらない。

彼らが「悪として自覚的に」何かを要求するのだとすれば、それはたとえば増税の要求なんだと思う。

安全とか、自然とか、そんなやりかたには当然お金がかかるから、 市民の会として自治体に増税を要求する。 増税という行為は恨みを買うし、それは自治体の支持率を落とすけれど、 その憎悪は会自らが買う。

自治体としても、増税自体はきっとうれしいのだろうから、そこには話しあいの余地が出てくるし、 税金が上がるのを嫌がる人も、今度は「増税で得られる安全なお産」に代わる具体案を提示せざるを得ない。

医師会の偉い人達にやってほいしいこと

医師が集まろう、なんて昔の夢よもう一度みたいな人たちが新しい医師会作ろうと しているみたいだけれど、もしも集まって何かやるなら、 やっぱりみんなの悪意の引き受け手になってほしいなと思う。

命大切とか、官僚汚いとか、使い古された安全傘の下からいくらわめいたところで、 それはマスコミや市民団体がやってきたことと同じ。

継続可能な医療を訴える団体が国に要求すべきは、それは「医療費の値上げ」 であったり、「救急車の有料化」であったり。 たとえば深夜帯だけでも医療費を3倍ぐらいにして、夜間とか、救急時間帯の アクセスを制限するとか、飛び込みで来るような患者さんを牽制する。

当然病院の儲けは増えなくて、値上げ分は全部国庫に納入されて、 あまつさえそのお金は土建行政に溶かされたりするんだけれど、 病院へのアクセスがある程度制限できるなら、少ない人数でも救急は何とか回る。

今から現場の人増やすのには16年かかるし、産科医を増やすにはもっとかかる。

政府の人達は「悪役」にはなりたくないから、自分達の口からは、絶対にアクセス制限戦略 を提唱できない。アクセス制限をかけるやりかたなんて、 もう大昔から議論し尽くされているものなのに、「悪役になれない」その一点で 話が前に進まない。

値上げによるアクセス制限は、もちろん貧乏な人は救急にかかれなくて死んじゃうかもしれないし、 所得の少ない高齢者は餓死するかもしれない。そんな制度を認可したのは国だけれど、 それを提言したのは医師の集団で、実行したのも医師。悪いのはもちろん医師で、 国民の憎悪を引き受けるのも医師。

「正義」の側はもちろん医師を叩くのだろうけれど、悪であることに自覚的な 集団に対しては、正義は案外無力。実際問題予算は足りなくて、人数も足りないのだから、 アクセス制限に変わる具体案を提示せざるを得ないはずだし、マスコミの中の人達は 考えるのは得意なんだから、もっといい案あれば、それに飛びつけばいいのだし。

医師会の最終目標が「医療の体制を継続すること」なのであれば、 自らが悪を買って出る態度をとることで、議論がもう少しまともに 回ると思うんだけれど。