「みんな」に対する考えかた

「みんな」を商売の取引相手として考えるのか、 それとも既成事実を構成するための、単なる部品として考えるのか。

CTを買った

今度入ったCTスキャンは、定価の 9割引 で購入できたのだそうだ。

田舎の小さな民間病院。徳洲会とか、大きな病院グループじゃあるまいし、 価格の交渉力なんてそんなに無いはず。この値引率というのは、 たぶん民間病院の平均値。

うちに入った機械が、定価で5億円ちょっと。このとき競合相手に上がっていた 別のCTは、定価で12億円ぐらい。普通に考えれば、倍以上の価格差なんて、 最初から競合のうちに入らない。相手メーカーの提示価格は 分からないけれど、値引率で見るならば、たぶん今回買ったメーカー以上だったはず。

近くの公立病院では、最近オーダーリングシステム総入れ替え。 ほとんど定価で購入して、10億円以上かかったらしい。

医療機器の「定価」には何の意味もない。

それでも、国公立病院は、定価が分からないと予算が組めないから、定価が大切。 値引き交渉もするみたいだけれど、たぶんほとんど定価で購入しているはず。

開発した商品に、原価の10倍以上の利潤を乗っけて、それを定価を1割以下で販売する。

商売のやりかたとしては相当に乱暴だけれど、医療機器メーカーというのは どこも安定していて、「堅い」業界。

「みんな」をダシにお金を引っ張る

  • 安価で優秀な商品を、多くのユーザーに提供して、広く薄く利潤を稼ぐ
  • ごく一部の富裕層だけを対象に、高い利潤を乗せた商品を少数販売して利潤を得る

医療機器メーカー、特に国内のメーカーの人達というのはたぶん、民間病院とか 開業医なんかから利益を取ろうなんて考えていなくて、 利益はあくまで「国」や「公」から得ようとしているんだと思う。

民間病院には、とんでもなく安い値段で納入される医療機器。 民間病院との取引を通じてメーカーが得ているものというのは、 「みんなが支持して使っていますよ」という既成事実。

「みんなが使っている」「みんながそう望んでいる」という既成事実を積み重ねて、 国という巨大な財布をこじ開けて、高利潤の商品を買ってもらう。

医療機器メーカーとか、公共事業に乗っかる土建業界、あるいは、 防衛とか警察みたいなインフラ産業は、たぶんこんな考えかたで利益を得ている商売。

斜陽化したとか、崩壊しかかっているとか、モラルが低下したとか さんざん叩かれながら、それでも業界規模でいったら、 こんな業界はまだまだ圧倒的に社会の上位。 「公」に寄生するりかたは泥臭いけれど、国があるうちは絶対に無くならなくて、 まだまだ強力。

ネットサービスは世の中を変えない

ネット世界では、無料に近い対価で提供される、様々なネットサービス。 いままではノイズとして埋もれていた「ロングテール」を商売の対象として、 そこから巨大なビジネスを生んでいく…なんて宣伝されていたけれど、 今のところ成功したのは、広告モデルだけ。

たぶん、IT 企業が国家という集金装置を乗っ取れない限り、 Web 2.0 的なサービスというのはまともな商売にはなれない。

「みんな」というのは、既成事実を製造するための単なるインフラで、 既成事実が要請した「何か」をごく一部の上位層だけに販売するモデルが これからでてきて、そういう会社だけが生き残って、ネット社会を 商売の場所に変えていくのだと思う。

Web はまだ、そういう意味では世の中を何も変えていないし、 様々なネットサービスを提供している会社というのもまた、 既得権益に乗っかった企業、マスメディアとか、昔からある大企業の 「プラグイン」みたいな形でしか生き残れない。

手段のためには目的を問わないやりかた

結局のところ、政治の問題を避けては通れないのだと思う。

右とか左とか、特定の思想や宗教みたいな切り口ではなくて、 従来の既成事実モデルと対立する、「取引相手としてのみんなのありかた」 みたいな手段の違いを切り口にして人の意志を集めることができるなら、 それは結構大きな力になるような気がする。

多様性が致命的な欠点となる間接民主制。世代ごとに多様性が増していく中、 社会の方法論が変わらないのなら、高齢者層の発言力というのは増しこそすれ、 それが減ることは絶対に無くて、「変化したい」という若い世代の思いは大きくなるはず。

思想の違いを対立軸にするんじゃなくて、社会の方法論を対立軸にするような、 「思想や宗教の違いは横に置いておいて、それを社会に表現する手段 それ自体を変えようよ」みたいな、そんなやりかたを提示する政治家や 政党が出てくると、きっと面白いのだけれど。