市場の崩壊と品質の帰還

業界が大きくなると、競争のルールが「品質」から「価格」に代わる。

「そこそこ」のものを大量に発売することで利益をあげようとした業界からは、 製品の質に満足できないユーザーが離れてしまう。

一度下げた品質を戻そうにも、品質の悪い物が支配的になった業界には、 もはや品質を論じられるユーザーがいなくなってしまい、 「品質が高いこと」にユーザーを引きつける力がなくなってしまう。

企業は価格を下げて、もっと質の低いものを出さざるを得なくなって、 結果として市場全体を失ってしまう。

「品質の時代」を再び始めるためには、たぶん流通システムを再起動する必要がある。

作る人と増やす人

世の中には「0 から1を作り出す人」と「1 を10に増やす人」とがいて、 市場というのは主に、「1 を10にする」人達の都合で大きくなる。

市場が求めているのは「1」という製品。 最初はきっと、「1を作って1を売る」ところから始まったはず。

「1を10にする」技術を持った人が加わる。

製品を増やす人。広告をする人。流通を作る人。スーツを着た人。 人と人とをつなぐ仕事。 こんな人達がわずかに増えるだけで、生産性は一気に10倍に跳ね上がる。

市場が生まれる。会社が大きくなる。スーツを着た人達の発言力が高まっていく。

作る人の発言力は、相対的に低くなっていく。 製品を届ける手段であったはずの「メディア」や「流通」は、 そのうち目的となって一人歩きをはじめ、 市場からは「より良いものを作る」動機が失われてしまう。

イノベーションのジレンマ

熱狂的なユーザーの声を聞きすぎた企業は、より高品質、高性能な商品を作る方向に 突っ走りすぎてしまって、「そこそこ」で満足していた多くのユーザーを見失ってしまう。 企業の努力は決して間違っていないのに、努力した企業は努力の果てに市場を失い、 後発メーカーにとって代わられる。

これが本来の「イノベーションのジレンマ」。品質を追求するばかりが大切ではないという教訓。

このお話には先があって、品質競争から価格破壊の時代が来たあと、 運が悪いと市場それ自体が滅んで無くなってしまうかもしれない。

大きくなってしまった業界には多くの人が集まるけれど、 「0から1を作り出す」能力を持った人は、 もともと少数。少数だし、もはや発言力も小さいけれど、 市場の大きさを決めるのは、やっぱり「増やす人」ではなくて「作る人」。

市場が大きくなれば、それだけ多くの人が食べられる。 「1を10にする」人達が働くと、「1」から「10」の利益が生まれるけれど、 それ以上を目指そうと思ったら、どこかから別の「0から1」を見つけてこないといけない。

「1」を作れる人なんてそんなにいないけれど、「0.7」みたいな中途半端なものを作れる人は、 きっともう少し多い。中途半端なものであっても、それを鍛えて「1」にする技術はあって、 たとえばそれは、編集者。出版業界のプロが担ってきた仕事。

業界が飽和して、コストダウンの要求が強くなって、 真っ先に切られたのもまた、たぶんこうした人たち。

ひどい本が増えた気がする。内容は面白そうなのに、やたらと読みにくかったり、 重要なところに線を引こうとしたら、文章がページをまたいで、肝心なところに集中できなかったり。

出版の業界でおきているのは、「1」を探しに本屋に行っても、 「0.7」がたくさん置いてあるだけで、満足がいく「1」がどこにもない状態。

見えない「編集の仕事」

「出版のプロ」の仕事は減っているそうだ。 作者の原稿が、ほとんど無編集で出版されてみたり、大手の出版社でも、 組織の改変に伴って、校正部門が整理されてしまったり。

編集の仕事というのは、生原稿を本にすること。

誤字脱字を訂正したり、送りがなを統一したり。 本を書きなれていない人の原稿は漢字だらけで、本に印刷すると、ページが真っ黒。 漢字を「割って」、ひらがなの割合を増やしたり、本の章立てを考えながら、 小見出しがページの右端に来るように字数を調整したりするのも、編集者の仕事。

「いい内容の本」と、「いい編集がなされた本」というのがあって、編集者の人達というのは、 お互いの「仕事ぶり」は良く分かるのだそうだ。

最近のベストセラーは、編集作業がお粗末なものが多いらしい。たまに「いい仕事」が されている本を見つけても、小さな出版社の本で、今度は全然売れていなかったり。

編集がいいかげんな本というのは、「消費されるデータ」ではあっても、 もはや「本」の延長にはなくて、ネット上で読めるなら、それで十分に代用できるもの。

プロの編集者が見ると、ちゃんと編集された本とそうでない本とはすぐ分かるらしいのだけれど、 たとえば自分なんかだと、もうはっきりとは分からない。

「不満足」というのは簡単に感覚できるけれど、 「快適な状態」というのは、訓練を積まないと感覚できない。

「いい編集」が当たり前だった昔なら、きっと悪いものは誰かが指摘したんだろうけれど、 もしかしたら市場からは、そんな「目利き」が減っているのかもしれない。

コストダウンの先にあるもの

満足な編集がなされていない本というのは、ただのデータ。 それは消費されるものではあっても、 伝えられるものにはならないから、寿命が短い。

消費のスピードはどんどん速くなっていくから、市場を維持していくためには、 企業はもっとたくさんの製品を投入せざるを得ない。 読者が本当に欲しいのは「1」つの完全な製品なのに、メディアはそれを10に拡大して、 膨らました9の部分で多くの人が食べている。今さら業界を「1」になんて戻せない。

残念ながら、「1」を作れる人の数は限られていて、中途半端な原稿に手を加えるだけのコストも 乗せられないから、出回るものは、山ほどの中途半端な製品。

半端物ばかりの業界からは、もはや「いい製品」の価値が薄れてしまう。

良いものの「よさ」というのは分かりにくくて、たぶん目の効く人が見つけて宣伝しないと、 多くの人にそれが伝わらない。昔も今も、良いものの数はそんなに変わらないのに、 製品の総数が増えて、目利きの数は減っているから、「良さ」はますます伝わりにくくて。

読者は結局離れていって、市場はそのうち、腐って崩れる。

目利きの人が「市場の世代交代」の明暗を決する

3巻が今度出る某小説があって、これは出版の流通経路を取っていない。

同人誌というには製本もちゃんとしていて、書いている人達もプロの作家で、 販売されている冊数も、たぶん普通の本と同じか、それ以上。 もちろん普通の本屋さんには置いていなくて、 即売会まで足を運ぶしかないけれど、寒い中晴海で徹夜したのも今は昔。 今は同人誌だってネット通販で簡単に購入できる。

同人誌業界というのは、作る人達の発言力が一番強くて、 だからこそ「良い物を作る」動機がとても強くて、良い物が広く読まれる可能性が高い世界。

出版業界が完全同人化することなんてまだまだ先なんだろうけれど、 「人と人とをつなぐ」コストが無限に安価になったネット時代、 本来真っ先に淘汰されないとおかしいのは、メディアや流通を 担う人達であるはずで、彼らがそれを広めてしまうと、 彼らの既得権が失われてしまうから、メディアは絶対に、 こんな動きを報じたりはしないはず。

市場の世代交代というのは、いろんな業界で、 たぶん報道されている以上に進んでいて、 これからきっと、もっと変わって来るはず。

ネットワークが市場を変えた先にあるのは、要するに自由競争経済だけれど、 これが上手く運用されれば「品質の時代」が再来するし、失敗すれば、 そこから先にあるのは「騙されたほうが悪い」ルールの弱肉強食世界。

未来を決めるのは、きっと「目利き」の役割。

「品質の時代」を知っていて、良いものを「いい」と見分けたり、 あるいは中途半端なものを完成品へと磨く技術を持った人達が、 新しい市場で「目利き」となって、いい物を見つけられれば、 きっと作る人達にとって幸せな時代が来るはず。

世代交代が遅れて、「目利き」がみんなリタイアした業界では、 こんな良循環はおこらない。もう品質が分かる人なんてこの世にいないから、 あとは騙したほうの勝ち。詐欺師が跋扈する時代。

出版業界なんかだと、「品質」の全盛期を知っている人達は、いまたぶん60台半ば。 まだリタイアするには少し早くて、次の市場に「目」をもたらしてほしいのだけれど。